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こんばんは。当番ノート42期のヨシモトモモエです。
毎週火曜は私のお部屋で、のんびりしていきませんか。
27歳・実家暮らし。
会社勤めを楽しくしながら、家業を手伝い、踊りなどもしています。「踊れる・食卓」では日々のくだらなくて、けどすこしくだるなぁ、と感じたことをゆるっと書いていきます。
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第三回:未知なるアヒージョ
第一回で書いたアヒージョのこと、私もそうだと言われることが多くてすこし嬉しかった。未知なるアヒージョとの遭遇、というのがどうやら人それぞれありそうだ。
椎名林檎を聴いてばかりいた中学時代を経て、ピザ屋の彼女になるべく、高校生になった私は近所で評判のピザ屋さんでアルバイトをするようになった。マルゲリータに、マリナーラ、クアトロフォルマッジョ。家族で外食することが年に一度あるかないかという家庭で育った私にはどれもこれも初めて見聞きするものばかりで気分が高揚した。カタカナを必死にメモを取り、帰宅してパソコンで検索をしたり、高校の図書館で調べたりしていた。
「お母さん」
「なぁに」
「クアトロフォルマッジョって知ってる?」
「クアトロアルマジロ?」
「やだ、知らないの〜?」
制服のままアルバイトへ行き、帰ってくるなりすぐに台所でふざける私。母は会社勤めをしていたこともあるが、我が家にお嫁に来てこのかた、外食はほとんどせずにいた。私が覚えたての知識をそれっぽく披露すると、母は素直な人なので、いたく感心し褒めてくれた。
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そんな私も大学生になり、ちょっと好きになってしまった人と、いわゆるデートをすることになった。もちろん、家族には秘密である。
「ももちゃん、食べ物だったら何が好き?」
「そうだなぁ、ピザかなぁ」
外食慣れしていないことがはずかしくて、自分の得意分野であるピザと言ってしまった。待ち合わせは表参道で、当時の自分のなかでの最高のお洒落をして、待ち合わせ場所に着く。今でも思い出せる、祖母にもらった品の良いワンピースと買ったばかりのリーガルのパンプス。
緊張してしまって全然上手に笑えない私と、なんでもなさそうにしてる彼。たどり着いたのは路地を一本入った素敵なスパニッシュ・イタリアンのお店だった。席に腰掛け、ぐるっと店内を見渡す。
「ももちゃん、ピザ、食べたいって言ってたから」
「嬉しい、ありがと。私はマルゲリータ食べたい、あとシーザーサラダ。」
「あとは?」
「私はいいから、好きなの選んで。」
「じゃ、あとはアヒージョと、」
「アヒージョ?」
好きな彼を茶化したい気持ちなどかけらもなく、ただただ音として陽気なアヒージョ。私はあろうことか笑いのつぼに入ってしまい、軽く涙すら流した。
出してもらったアヒージョには海老と何かの固い葉っぱ(のちにその正体を知る)とにんにくがぷかっと浮いていた。
「熱々のうちにどうぞ」
「ありがとうございます」
ところがどっこい、どうやって食べたらいいのか、当時の私は皆目見当がつかなかった。
(あぁ、なるほど、これはスープだ!)
あろうことか、私はアヒージョをスプーンですくって食べてしまったのだった。熱い。何かがおかしい。のどの奥が熱い。なんの迷いもなくスープだと思った私を見て、今なら彼がどんな気持ちだったかわかる気がする。彼もお店の人も優しい人だったので私が気にしないように最大限の配慮でもってアフターケア(!)をしてくださったし、彼に教わった食べ方で食べたアヒージョに私は驚いた。
まず、こんなに堅いバゲット、家では食べたことがない。そして、オリーブオイルってそれだけでこんなにおいしいのだろうか。ちょっとしみしみになったバゲットを噛めば噛むほど小麦の味わいと海老の旨味が感じられ、鼻腔をおしゃれな空気が通っていく。おしゃれな空気、ってなんだろうと自分でも思うけれど、香りというよりもうおしゃれな空気だなと感じた。高揚感。そして、こんなにシンプルでおいしいものを知っている彼にまたキュンとした。(喉元過ぎればなんとやら、恋の行方については割愛させてほしい)
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デートのことは家族に秘密にしていたけれど、アヒージョとの衝撃的な出会いは母に話したかった。けしからん娘だと思いながらも、台所で洗い物をする母に報告した。
「お母さん」
「なぁに」
「今日ね、お友達と表参道にランチに行ったの。イタリアンの。」
「お洒落なことしてるわね」
「ねぇ、私なに食べたと思う?」
「ももちゃんのことだから、ピザかな?」
「ピンポン。あと、アヒージョっていうのを食べた」
「アヒージョ?」
手をたたいてケラケラ笑う、私と似た人。そう、音が愉快なのよ、それだけで楽しいよね。そうやって、愉快な音だけで楽しくなってしまう人から私は生まれているのだと知り、すこし自分を好きになる。
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先日、立派なマッシュルームを頂いたので、自宅で家族用にアヒージョを作ってみた。
「これはなに?」
「アヒージョだよ、ほらいつか私が話したあれ」
「これ、お母さん好きだな。いくらでもパン食べれちゃう」
「おいしいよね、シンプルなのに。作るのもとっても簡単なの。よくキャンプとかで作るのよ」
「ももちゃんは、昔から私の知らない料理をたくさん知ってるね」
そう、私のさまざまな行動の根っこを、自ら掘ってみると、私って母においしいものを教えたいのかもしれないと思ったりした。
おいしいものは、いろんなひとに教えたくなる。そして、私においしいものを教えてくれた人には、なおさら教えたい。
アヒージョのように、母も私も、これからまだまだ出会うべきものがたくさんある。知らない料理がたくさんあるということは、生きてる間の驚くチャンスがたくさん残っているということだ。それらをひとつひとつ、驚きとともに、たらふくおいしく愛おしく味わいたい。
(まだまだこの調子で、つづく)