・・・
こんばんは。当番ノート42期のヨシモトモモエです。
毎週火曜は私のお部屋で、のんびりしていきませんか。
27歳・実家暮らし。
会社勤めを楽しくしながら、家業を手伝い、踊りなどもしています。「踊れる・食卓」では日々のくだらなくて、けどすこしくだるなぁ、と感じたことをゆるっと書いていきます。
・・・
第九回:ソルティおにぎり
母が風邪を引いた。
いつもそうなのだけれど、誰かが風邪をすると、母は母の総力をあげて看病をする人で、でも体がそんなに強くないので、次は母が風邪を引く。この冬もそうだった。
おしゃべりな母が風邪を引くと、家が静かになる。彼女は決して声は大きくないのだけれど、言葉数が多いし、たいてい自分の中で盛り上がりながら話すので、とっても楽しそうにしている。声は高くて、でも、おそらく空気をはらんでいるからか、”つんざく”という形容は似合わなくって、ほんのりと声が空気になっていく。そんな声で、「今日はご近所さんと介護について分かち合った」とか「祖母は最近こんな行動をするようになった」とか「肉まんをおいしく温めるための容器を買った」とかそういう話を、帰宅した私にずっとしている。
母が寝込んでいたこの数日、久しぶりに夜も家にいるので、妹とごはんを作った。廊下に立派な白菜があったので、豚バラ肉を交互に入れ込んで、串をさし、昆布でだしをとったところにいれて、醤油とみりんと塩と胡椒と至極シンプルな味付け、あとは生姜を入れて煮込んだ。これは母がずっと私に「ロールキャベツ」と言って、昔から作ってくれているレシピなんだけれど、本当に笑ってしまいそうになるが、「ロール」でもないし「キャベツ」でもない。でも、昔から好きなメニューで、この数年台所に登場しなかったので母が驚いたらいいなと思って作ってみた。あとは冷蔵庫の野菜室の隅っこに、母がコソコソ使っているセロリの端切れなどがあったので、ごま油で炒めたおねぎとあわせて、丸々と太ったトマトと卵をさらっとといたりして、これまた至極シンプルなスープを作った。
「今日は何を作ったの?」
「ロールキャベツもどきと、菜の花のおひたしと、蒸し野菜と、いろいろで作ったスープだよ」
「お父さんがお母さんのところにもっていくよ」
「あら、めずらしい。ありがとう」
大変イレギュラーなのだけれど、ほとんど無口な父が甲斐甲斐しさを発揮して、母の膳を持って階段をあがっていく。
「お母さん、もっとやさしい料理にしてあげたほうがよかったかな?」
「そうだよね、一応どれも刺激物は控えたけど」
妹と私のそうした杞憂はものの15分で不要となり、父が空っぽになった膳を下げる。
「え!完食?」
「完食だよ。かなり食べてた。たくさん寝ておなか空いたんじゃないかな」
「よかったー」
翌日、私が職場の近くでお昼ごはんを食べていたら母からSMSが届いた。
「モモちゃん、昨晩は夕飯を作ってくれてありがとう。美味しかったです。今朝から平熱になったのであともう少しで元気になれそうです」
私は自分の母なのに、そう、もう27年とすこしの付き合いなのに、あぁ、母ってこういう人だったんだなと、あらためて思った。
・・・
母で思いつく料理は、ヘンテコなもの、ちょっとがんばったんだろうなと思うもの、脈絡のない気合いを感じるもの、誰かの好みに寄せたもの、いろいろあるけれど、私の中で最強だと思っている一品は「塩おにぎり」だ。
小さい頃から母は余ったご飯で塩おにぎりを作って、台所に置いておいてくれた。帰宅したら、おやつの代わりにその塩おにぎりを食べて、それでもおなかがすいたらすこし甘いものをねだるのが我が家の常。それでも、中学生になると、塩おにぎりだなんて、なんて貧相なんだ!と、急に思うようになったりして、部活の試合に母がもたせてくれたおにぎりを友達がいないところで一人で食べるようにしたりした。帰宅するなり、台所の母にたずねる。
「ねぇ、お母さんさ」
「おかえりなさい、ももちゃん」
「今日もたせてくれたおにぎり、なんで塩なの?うちっておかかもないの?」
本当にそう思ったから、口からそんな言葉がでてしまったのだけれど、母はとても悲しそうな顔をした。もともと下がっている眉が、もっと下がった気がした。
でも、当時の私はそんなことはおかまいなし、「子どもをそんな気持ちにさせる親ってなんなのよ」とすらトゲトゲと思っていたので、母の悲しい顔にだってイラっとした。
母はその後、塩おにぎりを作らなくなった。私たち兄弟の部活の試合にもたせるときは、できるだけ鰹節を醤油で和えたものや佃煮、ふりかけごはんを握ったりしておにぎりにしていた。「塩おにぎりなんて、そんな」って、いつからか私は思うようになっていたけれど、そんな自分に気づいたのははずかしながら、社会人になってからだった。
・・・
昨年の夏。
夏も近づいて湿度が徐々に高まる6月の終わりに、私は仕事であるプロジェクトに関わっていた。そのプロジェクトに向けて春先から全力投球という感じで、初めてやる仕事にとにかくがむしゃらに、いや、雰囲気としては「我武者羅」に取り組んでいた。新しい部署に異動して最初の年。知恵熱ってこのことなのだろうか、ここ一番の大事な日の前日、私は原因不明の41度の熱をだした。どうやって帰宅したのかは覚えていないけれど、玄関先でほっとして気が抜けたのか動けなくなり、目が覚めたら、私はとても狭い自分の部屋で、天井の木の模様を見ていた。そこからしばらくは久々の高熱と、関節痛と、身体にできてしまった謎の湿疹で、意識は遠のく。
「なんでこんな時に、私はここに」
イベント当日の昼すぎ、仲間たちが一生懸命に仕事を楽しみながらお客さまとコミュニケーションをとっている姿が目に浮かんできて、仰向けの私の目から、ぽろぽろぽろぽろ熱い温度の涙が落ちた。不甲斐ない。本当にこればっかりは不甲斐ない。でも、どうしようもない。仕事のことで頭がいっぱいで、涙と鼻水と汗でどろどろの私。そんな私の状態にはまったくおかまいなしに、母はせっせと、さまざまな食べ物を私の部屋に持ってくる。
「ももちゃん、水分取らないとだめよ」
「どうだろう、林檎なら食べれるかしら」
「あのね、バナナもあったから持ってきたわよ」
「これ、ゼリーだからいいと思うわよ」
スポーツ飲料に、すった林檎、バナナやゼリー、ヨーグルトにおはぎ。
母の総力のあげ方はとてもわかりやすい。
「いらないよ」とは言えなくて、まずは食べてみる。
どんなに熱があっても食欲はあるので、すぐに食べてしまい、中身は異なるが完全にわんこ式。
母が階段を降りる音がするたび、私はまだオロオロ、ピーピー泣いていた。本当にピーピー鳴っていた。水分を取っても取っても、涙になる水分量のほうが多いくらい泣いた。社会人になって「泣けばいいってもんじゃない」ってなんとなく分かっていたつもりだったけれど、やっぱり泣くっていうのは根源的というか人間としての生理現象というか、逃れることができない身体の反応で、せき止めていた何かが外れたダムのように泣いた。悲しかった。情けなかった。自分が許せなかった。
・・・
数日、地底にのめり込むイメージで寝た。身体も動かなかったし、気持ちも憔悴しきった。やっと身体が軽くなった朝、髪の毛はぼさぼさでとっ散らかり、部屋着はよれよれ、肌はぼろぼろ。久しぶりに階段を降り、お腹がすいたので台所に向かう。午前11時の光が雑然とした台所に差し込んでいて、あぁ、私よく寝たなと思った。お茶を飲むためにやかんでお湯を沸かし、携帯でくるりをかけた。久しぶりに聴いた音楽。冷蔵庫を覗くけれど、これといってすぐ食べれそうなものがない。
「えー、おなかすいたのになにもない」
ふと目をやると、机の上におにぎりがあった。ラップの上に、チラシを千切って私の名前を書いた紙。母の特徴的な文字が、ほかの家族を牽制している。
「なんだ、おにぎりか」
この時のアホな表情をした自分の頬を、ぺちんと叩きたい。バシン!ではない、ぺちんである。
一口食べる。
さっき作ったのだろうか、まだかすかに人肌くらいに温かい。祖父母が固いご飯を食べれないので、昨今ゆるめにたいているからか、やわらかいお米がほろほろと崩れていきそうになる。二口ぐらい食べて、気づいた。具がない。なつかしい。塩味のおにぎりだ。まあまあ大きめなのに、塩味のおにぎり。
あー泣く泣く、そう思って、でも祖母が台所のあたりをうろうろしているので、泣かないようにしようと思った。だけれど、もう自分では物理的にもどうにもできなくて、今度はぽろぽろとかでなくて、ぼろぼろと涙がこぼれてきた。一ミリも貧相とかでない、贅沢な、立派な、誇れる、私の大切なごはん。手を合わせて、お皿を洗った。最強だ。最強なんだ、今もなお、最も強いのだ、その時の記憶が。料理を通じて、母の愛やら優しさやらを食べている。
「ごちそうさま。おいしかったよ」
出かけた母が帰ってきたのをみて、玄関先ですぐにそう言った。気の利いたことは特に何も言えなかったけど、もうそれに尽きたのだった。
「いただきます」
「ごちそうさま」
「おいしかった」
人は、ずっと食べていく。
何歳になっても、歯が抜けても、病気をしても、味がわからなくなっても、自分の手では食べれなくなっても、声が出なくなっても、ずっとその気持ちと、その言葉を大事にしたいなと、母や祖父母を見ていて日々感じている。
・・・
私は、今年、実家を出ようと思っている。
母に最近、その話をしたら、「そうよね、もう27歳だもんね」と言われた。
や、そうなの。本当に19歳ぐらいの気持ちでいたら、27歳でした。
庭の梅が咲き始めると梅酒作りに思いを馳せ、大根をたくさんもらったら洗濯物の横で切り干し大根を作り、金柑をもらったらすぐに甘く煮て、美しい野菜についてはわざわざ切らずに家族に見せるまで台所に飾り、豚なし豚汁やら名無しのポタージュやらおでんのパロディなど独自の料理を作る母との毎日。
その一旦の終わりが見えたから、それぞれの光景が美しく思えたというわけではなくって。
終わっても終わらなくても。それが私の食べた愛なのだ。そう思った。
おいしくいただきました、ありがとう、今日も今日とてごちそうさまでした。
(読んでくださってありがとうございました。おわり!カロリー高めの愛を込めて)