東大に入ってもう4年以上経つというのに、受験について回顧するのは気が引ける。気が引けるというかダサい。東大生が大学に入学して時間が経っているのに自分の受験期のことをツラツラ書くというのは、キャンパスで特段何も成し遂げられなかったがゆえに1月や2月の受験シーズンになると突然始める自分語り、というと言いすぎだろうか。でも今日はあえて受験のときのことについて書こうと思う。
いつだってそうなだけど、過ぎてみれば別にただの通過点や、数ある局面の一つだったかもしれないものも、渦中にあるときはそのときの人生の視界を100%覆いつくす。全国の高校生のうちある程度のボリュームの人たちにとって、大学受験もそうだと思う。どの大学に出願し、受験し、合格するかどうかが人生のほとんどのパーツを決めてしまうように見える。大人からそうやって脅されることもある。実際そのようなこともあるのかもしれないけど、大抵の場合は過大評価だと思う。私が高校3年生のときはまさにこの状態で、文字通り受験勉強を中心に生活(というか当時の感覚でいうと人生)が回っていたし、周りの友達もそうだった。
受験勉強というのは、それが生活を心理的に覆いつくすというだけでなく、ある単一の価値規準に照らし合わせて何点がとれたかどうかというのが、そこにいるだけで常に突きつけられるような独特な空間を作り出す代物だ。
私の身体は幸い日本の大学受験に合っていたようで、受験勉強自体も比較的楽しめるタイプだったのだけど、それよりも、一つのことに生活を覆いつくされるということが段々と苦痛になってきた。高校3年生の秋ごろになると、勉強するという行為自体の楽しさよりも、メタなレベルでの息苦しさの方が優勢になってきたのだ。
そのころ、趣味で続けていたピアノにかける時間がぐんと長くなった。特に、一つ年上の大学生の女の子と、連弾や二台ピアノでアンサンブルをするようになった。一日は24時間しかないのに、我ながら不思議なことに、勉強時間が伸びるごとにピアノの練習時間も増えていった。センター試験の数週間前には、二人で小さなコンクールにも出た。
よく、適度に息抜きをしてメリハリを、というけれど、なんというかそういう問題ではなかったように思う。楽器を他人と合わせて演奏するというのは時間も頭も体力も使う。楽しいことには間違いないが、息抜きにしてはあんまり息が抜けない作業だ。
両立していて偉いね、みたいな褒められ方をすることもあったが、そういう話でもなかった。私には片方を続けるために両方必要だったのだと思う。正確には、受験を中心に回っている世界に居続けるために、そこから橋を渡って別の世界と行き来するのが必要だったのだ。そういう往来がないと、あの独特の空間からホログラムみたいに自分が消えてしまう気がしていた。
二人で合わせていると、パートナーの弾いたメロディの終わりから、私が次のモチーフを始めるまでの間に、一緒に息を止める一瞬がある。その一瞬の間など、数時間前まで受けていたマーク模試のことなんか存在自体忘れているし、そもそも自分が高校3年生であるという事実に興味が失せている。
それに、パートナーは大学で音楽教育を専攻していたので、当然周りも音楽を本業にしている人の割合が高かった。なので、彼女の周りには、お互いを音楽家としての能力で評価する文化圏が拡がっていた。彼女や彼女の周りの人たちからすれば、私は当然そういう対象ではなかったのだけど、彼女と一緒にいるときは、その文化圏に触れることができた。そこでは、「二次試験まで〇〇日」といったカレンダーが急に無意味で野暮ったく見えてくる。
当時受験勉強は好きだったし、かつ私の学校の中では勉強が得意な方だったので、わざわざ外に出ようとしなくても十分居心地よかっただろうと今になっては思う。でも、一つのものに汲みつくされてしまうことに、それをもとに評価され理解されつくしてしまいそうになることに、強烈な抵抗感があった。たとえそれが好きで得意なジャンルだったとしても。
私にはやっぱり、橋を渡って「そっち側」に顔を突っ込んで、自分を混乱させる時間が必要だったのだと思う。