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2F/当番ノート

ルームメイト

当番ノート 第43期

あなたは私のことを面白いとか好きとか言ってくれますが、あなたの中の私は私全体のうちのほんの一部なんです、いうなれば私A。私の中には私A以外に実は私Bもいて、あなたは私Bのことあんまり好きじゃないかもなあ、それ以外に私Cというのもいるんですけど、私Cに関してはそうだな、むしろあなたが血管が切れそうになりながら憤慨するような所業も結構平気でできちゃうと思います。あなたがそれを目撃して憤慨したとしてもたぶん私はそれをやめない、なぜなら私は私Aも私Bも私Cも等しくエンジョイしているし、何よりそれぞれと付き合いの長い(あなた以外の)友人もたくさんいますので、彼らとの縁を切って私Bや私Cを殺すというわけにもなかなかいかないんです、それでもOKでしょうか?

 

「あくまでこれは私の一面なので」「あなたは私のこと全部を知っているというわけではないので」とかいう、相手とドップリ100%の相互的な信頼関係を築くことに対するささやかな拒否・諦め・安心感は、自己防衛の手段としてありふれていて、誰もがどこかで共感するものなのではないかと思う。

 

単なる他人と比べて、家族とか恋人とかいうのは、全人格的な肯定感を供給しつづけてくれる。特に、両親からの愛情一本勝負から卒業して、自律的な人間関係の中で作った恋人は、両親のオルタナティブ、もしくは両親よりはるかに良き「全部理解してくれる」人になる。むしろ「全部理解してくれる」ことを起点に唯一無二感が増幅してロマンスが盛り上がる、みたいな展開には、誰しも心当たりがあると思う。

 

ここ一年で私が経験しているのは、そのどちらでもない。湿気の多い愛情でほどきがたく結ばれた運命の恋愛関係でも、自分の複数のアスペクトから一部を選択的に見せた暫定的な交友関係でもない(ちなみに私は、これまで繰り返してきたように後者の方がかなり居心地がいい)。一年前から一緒に住み始めた、ルームメイトとの関係は、ちょうどその間に位置する特別なものだ。

 

去年の3月に、同じ年の女の子とルームシェアを始めた。彼女とは同じ団体に出入りしていたので昔から顔はよく知っていたけど、大学も違うし、それまで特別仲が良かったわけでもない。ましてや二人でご飯を食べたり遊びにいったりすることはほぼなかった。

 

私たちのルームシェアは、本当に偶然決まった(私は偶然が重なりすぎてグラグラ不安定なところで幸せに暮らしている)。たまたま一緒にいるときに、私が住まい探しのサイトをブラウズしていたら、横に座っていた彼女が覗いてきて、え?じゃあ一緒に住む?となって、一週間後には家が決まっていた。

 

家族と住むのも難しいが、赤の他人と住むのも難しい。いくら自室があってそれぞれがリラックスできたとしても、共有部分であるお風呂や洗濯場や台所やトイレでは何かしらのトラブルが起きるものだ(水場というのは人の清潔感の基準が一番露骨に出るところだし、食事はともかくとしてお風呂とトイレはエマージェンシーが発生しやすい。出かける30分前にシャワーを浴びる予定だったのに、さあ入ろうと思ったら同居人が長風呂をして占拠している、みたいなトラブルは往々にして発生する)。

 

ところが、ルームメイトとの生活は今のところ全くトラブルがない。表面化していないだけでちょっとずつ我慢している、ということもおそらくない。そもそも私たちの間には守るべきルールがない。戸締りのことがあるので、家に帰らない日は連絡する、というのがゆるやかに習慣になっているけど、特に連絡なしで外泊することもある。

 

トラブルもルールもないけれど、二人の日課はある。ほとんど毎晩、どちらからというわけでもなく、ルイボスティーをきっちり二杯分淹れて、一杯ずつ飲む。マグカップが空になるまでお互いの今日一日の話をする。マグカップが空になったら、明日何時に起きるかなどを大まかに打ち合わせて、解散する(たまにスキャンダルやニュースがあるともう少しおしゃべりが長くなる)。

 

ルイボスティータイムのおしゃべりは、特にお互いに共感を求めるものではない。その日あったことをその日の夜に話すので、ヤマやオチをつけたネタに仕上げる暇もなく、日記を即興でオーラルにつけている感じである。

 

彼女には何でも話す。心を許している、というと陳腐に聞こえるけど、そういう状態なのかもしれない。もちろん話していない話もあるけど、意図的に隠し扉を確保しているわけではない。彼女の前では、このチャンネルを使おう、みたいなのが、もうほとんど意味をなさないからである。私A私B私Cが今日経験したことについて切れ目なく話してしまう。ドアが開きっぱなしなのだ。

 

ふーんとかへーとかに加えて、簡単なコメントはするけれど、そういうコメントが「ああやっぱりあなたが一番私のことをわかってくれるわ!」という実感を強化する、というわけでもない。これが不思議だ。「AなあなたもBなあなたもCなあなたも全部好き!なぜならあなただから!」みたいな狂気じみた愛情がなく、私BやルームメイトCが登場しても、お互い(今のところ)素通りできる。

 

私たちの間にはまったく恋愛関係はないのだけど、この人と家族になれたらなあと思う(現行の制度と文化では全然無理だけど。私たちの関係はおそらく家族というカテゴリーには参入できない)。正直、今まで恋愛関係になったどの相手よりもしっくりくるし、彼女となら、子育てなんかするのも楽しそう!と思う。

玉越 水緒

玉越 水緒

1996年兵庫県生まれ。焼き鳥屋で働きながら政治思想を勉強している東大生。

Reviewed by
合田 紗希

ルームメイトとの距離感。それは時にとても難しいものだ。この文章に出てくる二人の関係は、こういう距離感をまだ見つけれていない私には、とても新鮮だった。
お互い相手を認め、一緒に時間を過ごす。毎日の何気ない日常を過ごせる相手、自分がそのままでそこにいれる相手に出会うことはとても稀なことだなと思う。この2人の関係を読んで、私にはまだ体験していない感覚をこの文章はくれた気がする。

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