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2F/当番ノート

わたしを測るものさし、測れないわたし。

当番ノート 第46期

ここでのエッセイも今回で最後、何を書こうか、とても迷った。2ヶ月間、自分自身について書いてみて思ったのは、わたしはまだ、わたし自身のことがよくわからないということ。

自分の思う自分とは、他人のまなざしを積み重ね、それによって自己像が少しずつ、ほんの少しずつ鮮明になっていくもの。優しい、気難しい、面白い、社交的、そういった気質は他人との比較のうえで生じてくる。誰とも比べず、他人の目を気にせず、内面化された評価も全て拭い去る、そんなことは出来やしない。

思えばこの10年間のわたしは、自分を測るものさしを探しつづけていた。同時に、自分を測るものさしに振り回されていた。知能、容姿、性格、交友関係、仕事、自分の自己認識はすべての項目において落ちこぼれ。今思うとそれは、優秀な人に囲まれていたということかもしれない。背のびしすぎていたのかもしれない。でも、それも仕方ない。自分の自己像は、わたしに向けられる他人からのまなざし、隣にいるあの子と並んだときに自分に向けられるまなざしを反映して出来てしまっているのだから。

ナンバーワンでなくてもいい。それはそうでしょう。オンリーワンになろう?オンリーワンにならなきゃだめなのかな。過度な劣等感と焦りは良い方向には働かないものだ。自己防衛の強気。もしくは逃避。その過程で多くの人を傷つけただろう。親しかった友人と疎遠になってしまったことも沢山ある。

わたしがアパートメントで書く最後の文章、ここで文章を書くことが自分の背負ってきたものたちを整理するためのきっかけだったのだとしたら、最後に書くのはこれしかない。わたしのものさしの話。
***

かつて、わたしは戦っていた。何に?何だろう、何もかもと戦っているような気持ちだった。90kg近い体型、容姿で他人に劣る自分は能力で昇りつめなきゃいけない。そんな脅迫観念のような気持ちは、自分のそこそこの要領の良さと口達者さが後押しして、強気な自分自身を作り上げた。当時、無我夢中で没頭していたファッションショーのサークルでも、私生活でも、とにかく気の強い人間だった。気の強さを勘違いしていたのかもしれない、周囲への配慮とか優しさを持ち合わせるには、わたしは若すぎた。

そして渡英、夢諦めての帰国。しかし、こんな強気の姿勢が折れた原因はこのことではなかった。帰国して、母が旅立ち、しかし自分は立ち止まってはならないと奮い立って再び始めた東京暮らし。このまま創作から離れてしまうのが怖くて、自分の留学資金の残りを使い、周囲の友人を頼りにZINEをつくる企画を始めた。結果として、大失敗だった。お蔵入りしてしまっているのがもったいないほどに面白い写真も残っているのだけれど、わたしのマネージメント力、そして何よりもやりたいことに対するスキルと学ぶだけの謙虚さが足りなかった。このことをきっかけに友人たちにもなんとなく会いにくくなってしまった。逃げるように距離を置いた。いつも強気で、能力の高い友人たち。もうそこでやり合う自信も、精神的な余裕もなくしてしまったのだった。

そこでちょうど、大学院に入学した。新しく知り合った友人たち。ここで、内面に自信のなくなった自分は外見なら何とかなるかも…と、戦う先を容姿に変えた。そして、35kgの減量に成功した。この時ずっと言っていたのが、かわいげのある人間になりたいと。今までの自分が虚勢ばかり、傲慢で、かわいげがないと思っていた。かわいげがない、それは呪詛のようだった。だからこそ、自分が今までの自分を知る人がいない環境のなかで、かつては距離を置いていたコンサバな服装や、「リア充」な思い出づくり、自分のなかで本心では憧れていたのかもしれない、だからこそ忌避していたものが得られるようになった。一方で、どんどんと昔の友人たちに会うのが怖くなっていったが、良い友人に恵まれて、もうそこで戦わなくてもいいと思った。

容姿の変化は根底から自分の世界を変えた。男性の態度の変化は清々しいほどにあからさまだった。女性の変化は怖かった、疎遠になる人もいれば、親友と呼べるほど親しくなった人もいる。でも、内面はやはりあんまり変わらないものだ。自分の外見の変化に内面が追いつかず、なんだかどんどんと自分がわからなくなっていった。今度こそ容姿で得をしたい、そんな下心もあったのかもしれない、新しい姿になってからの恋愛はことごとく上手くいかなかった。どんどんメンタルのバランスが崩れていった。
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ここでわたしは、戦うことをやめた。自分自身の評価を、自分で勝ち得ていこうという気持ちを失ってしまった。自分に自信のないわたしを評価してくれる誰か、自分の居場所をもたらしてくれる誰か、そんな風に他人を求めるようになった。自分で自分を測るのをやめて、他者に自分の価値を見出すことをアウトソーシングし始めたのだ。束の間は満たされ、幸せだった。しかし、そんな相手に依存しきった状態では上手くはいかない、結果的に、わたしは壊れてしまった。この時のことは、まだ乗り越えられていない、語ることができない。いつかもし、再び自分を振り返るタイミングが来たら、その時にまた考えたい。

空っぽになった、そして、すべてがとまった。今まで感じたことのなかった「生きにくさ」を感じた。社会とのズレ、周囲とのズレ、もう自分には何も出来ない、生きていくことすらも難しいと本気で思っていた。

それでも自分には自分をこの世界に繋いでくれる家族がいて、そして自分を社会のなかに繋ぎ止めてくれる友達がいて、戻る場所を残してくれた先生がいて、しばらくお休みすることにした。もちろん抱えていた仕事はあるし、休みます!といって気持ちが簡単に休まってくれるわけではない。ただ、今は焦らなくていいと自分に言い聞かせ続けて日々を過ごした。怖かった、このまますべてが終わってしまうと怖くて仕方がなかった。

ありがたいもので、世の中には色々な縁がある。こうやって生きることのリハビリをするなかで、ふと巡ってきた新しい仕事のチャンス、わたしを導くのではなく寄り添おうとしてくれるパートナーとの出会い、そこで新しいステージに進むことを決めたら、自然とわたしのおやすみ期間は終わっていた。
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そうは言っても人間、急には変われない。相変わらずの気の強さで反省することも、また、相変わらずの気の弱さで反省することも日常茶飯事。仕事は忙しい、自信がなくなり心が折れることもある。それでも前よりもずっと、心地よく毎日を過ごしている。

もっと成長したいと思う。でも、苦労することが成長、努力したみたいな考え方はもうやめたいのだ。蛇にピアスという小説、あれは痛みを乗り越えることでの擬似的な成長を重ねている物語だとわたしは思っているのだけれど、自分にもそういう性質があるような気がしている。苦労した分、得られるものは大きいのだろうし、きっと世の中にはわたしよりも苦労している人、努力している人はたくさんいる。でも、それはポジティブな気持ちで選択すべき道。自分を失うほどの刺激では、成長物語を語る前にダメになってしまいそうだ。

20代は自分の弱さを嫌というほどに目の当たりにし、弱さに苦しむ時間だった。30代、これからは弱さを大切にしてあげたい、きっとそれはいつか強さに変わる日が来ると思うから。生きていく以上は、ずっと何かのものさしで測られつづけていくのだろう。それは仕方がないことだけれど、何もなくなったときの自分でも抱きしめてあげられるようにしたい。それはなんというか、自律的な自分を見出すことなのだろうかと考えている。

8回のエッセイ、どれほどの人に読んでもらえたのかわからないが、PV数や評価を気にせずに文章を書くというのは素敵な経験になった。色々な経験を経て現在の自分がある、ありきたりな言い方だけれど、そう思えるように振り返る時間は貴重なものだった。たとえばまた10年後にこういったエッセイを書くならば、自分はどんなことを書くのだろう。それまで書き物をつづけているのだろうか。猫はまだ元気でいるかな。

そんなことを思いながら、この文章をインターネットの海に流し、この瞬間からまた、新しい日常を生きていこう。
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藤嶋 陽子

藤嶋 陽子

研究者。
文化社会学・ファッション研究。
株式会社ZOZOテクノロジーズ(ZOZO研究所)・所属。東京大学学際情報学府博士過程・在籍。
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1988年山梨生まれ。フランス文学を学んだ後、ロンドン芸術大学セントラルセントマーチンズにてファッションデザインを学ぶ。帰国後はファッションにおける価値をつくるメカニズムに興味を持ち、研究としてファッションと向き合うように。現在は、ファッション領域での人工知能普及をめぐる議論や最先端テクノロジー研究開発にも携わるように。
26歳で35kgの大幅減量を経験、自己像や容姿との戦いは終わらない。猫2匹と同居中。

Reviewed by
藤坂鹿

わたしはわたしを測ることを、きっといつまでも終われない。けれども、測った自分と測られた自分を憎むのではなく、愛せるようになることが、おとなになるということなのかもしれない

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