わたしは花の名前をあまり知らない。その理由にはなんとなく心当たりがある。小さいころから、道を歩いていたりして名前がわからない花を見かけたとき、いつもそれを教えてくれる母や祖母がいたからだろう。
教わった一つひとつをきちんと覚えようとしなかった。心のどこかでまた聞けばいいとおもっていたのかもしれない。聞き覚えのある花と実際の名前を一致させていただけ。 わたしは金木犀の匂いがどれなのかも、いまだによくわからない。
小さいころから母はなんでも知っていたし、わたしは質問をし続ける子どもだった。わからないことがたくさんあった。それでもわたしはいつかじぶんも母のようにすべてを知るのだとおもっていた。けれどもわたしは、大きくなっても花のことを知らなかった。祖母の家の庭には花がたくさん咲いている。母も同じように家で花を育てた。わたしはじぶんを大切にしているように装いたい気分のときだけ、きまぐれに切り花を買う。
昔住んでいた家の和室に、桐の板に墨で名前が書かれたものが置かれていた。気になって何か聞いたら、母が華道を習っていたときのものだという。教室を開くこともできるのだと話してくれた。
ふとそれを思い出して、母に生け花をやってみたいと持ちかけた。そうすると、すんなり話が進んで教わることになった。それほど高くない花器を買った。剣山は祖母のものを使わせてくれるという。母がハンドバックの中からむき出しになった剣山を取り出したときはすこし笑ってしまった。あきらかにあぶないけれど、わたしみたいだなとおもった。
練習として、祖母の家の庭に咲いている椿と雪柳、水仙を生けることになった。母がお花を習っていた何十年も前に持ち帰った椿の枝が、そのまま育った木らしい。時間の流れにくらくらする。いくつかをもらい、実家へと向かう。
昔から、こうしなさい、ああしなさいとあまり言われたことがない。間違ったことをしていても、母は早急にそれが間違いだと決めつけようとはしなかった。「まあ、はじめは好きにやってみてね」という母の隣で、基本のことと、避けたほうがいいことだけをいくつか聞いて、やりはじめる。
生けはじめると、むずかしい。どうしても平面で考えてしまうせいか、全体に奥行きがあまり出ず、動きがない。足りないものがはっきりわかるのに、どうすればよくなるのかがどうにもわからない。母に教えを乞うと、こうしてみたらと見せてくれた。それだけであきらかによくなる。
しばらく試行錯誤したあと出来上がって満足していたら、帰るときには生けた花をひとつずつ剣山から取り、もう一度家で生けなおすのだという。すこし考えたらわかることかもしれないけれど、今まで想像もしなかった。生け花教室で教わったあとは、みんな水がこぼれないように慎重に家まで持ち運ぶのだとばかりおもっていた。
拍子抜けしながらも、今度は家に帰り、ひとりで生けてみる。わたしは写真を撮ってそれ通りにしたけれど、デジタルカメラのない時代はメモをしたり、記憶したりしていたのかな。わたしはあまりに便利すぎる世界にいる。
生け花を置くと、ぱっと部屋が華やかになった。できるだけ部屋をきれいにしていようとおもえる。そんなふうに一つひとつが作用して、わたし自身も少しずつ変容していく。
「死なせないで、生き続けるようにする」。祖母が育てた花と、母から教わる生け花。生ける(活ける)という言葉の意味をしっかりかみしめながら、またはやくやりたいなとおもった。