「なんで逗子を選んだんですか?」
「そうですね、肌が合ったとしか」
東京から1時間、海を見に来たという20代半ばの黒髪ショートボブが似合う女性は、暮らす街を選ぶ理由について期待した答えを得られず、すすっと珈琲をすする。
逗子で編集者夫婦により土曜日だけ開店する「アンドサタデー珈琲店」で、何百回と交わされては一度もスイングしたことがないこの会話。
どうして自分たちはこの街で暮らすことを選んだんだろう。
もちろん理由なんて幾つでもあるんだけれど。でもなかなか、芯を食っていて気の利いた返しが見当たらない。
「私たちの場合はね」
見兼ねた隣席の常連じゅんさんご夫婦が、静かに教えてくれた。
「駅を降りたらトンビが気持ちよさそうに空を泳いでて。それでこの街に決めたんです」
*****
アンドサタデーの2人がこの街に移り住んできたのが3年前。自分は元々新宿という何でもあって何でもない街で生まれ、歌舞伎町には近づくなという親との約束だけは守りながら青年に。大人になってからは仕事起点で会社に近いという理由で家を選び、街への愛着も特に育まれることなく、仕事場と家を往復して過ごした。
さすがに一つの会社に長く勤めて飽きが来て、そして会社が無ければ何者でも無い自分にマズさを感じたある日のこと。
一度きりの人生を動かそうと、結婚と離職と引越しをほぼ同時にしてみる。
その時にはじめて、ずっと重かった肩の力が抜けて、フラットに人生と向き合えたことを覚えている。忙しさを理由に考えることを後回しにしていた、人生で大切にしたいことがぼんやりと浮かんできた。
そしてふと考えた。
自分の人生を始め直す時に、暮らしていたい街ってどこなんだろう。
住む街なんて一定の利便性と本屋でもあればどこでも良いと思っていた。でも、いざ新しい人生を踏み出す時に、心のどこかでくすぶる、好きな街で暮らすことへの憧れ。この感覚はなんだろう。
あれは、小さい頃によく見たアニメのワンシーンだ。暮らす街を探していた魔女の少女が空からこんなようなことを叫んでいる。
『海よ、海!』
『大きな街!』
そして次の瞬間にはこう言うのだ。
『私、この街にする』
文字通り街に足を降ろしてすらないのに、直感だけで暮らす街を決めてしまう。そんな風に大きな決断をしても大丈夫なのだろうかと、子ども心に思う。それでも物語が終わる頃には、自分の好きな景色があり、多彩なお店があり、人の縁にも恵まれ、ここが自分の街だ!と思える場所での魔女の暮らしが、とても豊かなものに映った。
それと、最初に街の人と話した時、彼女はこんなことを聞いていた。
『この街に魔女はいますか?』
彼女は、競合となる存在がこの街にいないかを気にしていた。暮らす街で居場所をつくるために、街に「余白」があるかを考えていたのだと思う。若き天才マーケターだ。単純にひと街ひと魔女みたいなルールがあっただけかもしれないけど、それはもう忘れた。
美しい街と、街が持つ余白。
感性と、少しの打算。
振り返ってみると、重なる部分があるように感じる。
この街の海を眺めていた時に湧いてきた直感が、ここで暮らす決断を突き動かしてくれた。そしていつか自分たちの場所を持ちたいと思う中で、プレイヤーがひしめき合い渋滞している東京は息苦しかった。その点、逗子には当時まだ珈琲店も少なく、じゅうぶんな「余白」があった。
その余白の中で開いた自分たちのお店も、もうすぐ3年を迎える。街と繋がるこの場所で生まれた、たくさんの人たちとの繋がりが、人生を豊かなものにしてくれた。
ここが自分の街だと思えることで、今は自分たちの存在の確かさを、誰よりも自分たちが感じられている。
そんな大切な直感を与えてくれるものが、空から見た海と大きな街なのか、それとも空を泳ぐトンビなのかはわからない。でも、暮らす街だけでなくてあらゆる場面で、あれこれ理由をつけて行動しないよりは、感性と少しの打算ですぐ動いて後から理由をつけた方が、人生は良い方向に転がっていく気がしている。
「駅を降りたらトンビが気持ちよさそうに空を泳いでいたから」。
感性の大切さとこの街の余白を感じさせてくれる、じゅんさんご夫婦の表現はなんて素敵なんだろう。
*****
「よい土曜日を。」
お決まりの言葉をかけて、黒髪の女性を見送る。お店を出た時に、何気なく空を見上げていた姿が余韻として残った。彼女はこの街を好きになって、東京に帰ってくれるだろうか。
「もうこんな時間、今日のお昼は何にしようか」
この街をトンビで決めたじゅんさんご夫婦は、あれでもないこれでもないと目の前の小さな決断ができずに笑っている。
それでも。暮らす場所だって今日のお昼ご飯だって、何かを決める理由なんて空にトンビが泳いでいるだけでいいんだ、きっと。