前回は、私の恨み節に相当な文字数を割いてしまい、Uの人間性についての説明がかなりざっくりとしたものになってしまった。とはいえ、彼女が優しさと芯の強さを併せ持つ人であることは、何となく感じていただけただろうか。
もちろん、それだけでも魅力的である。しかし、それだけの人であったとしたら、彼女と私が仲良くなれたかと考えると、どうだろうかと私は首をかしげてしまう。少なくとも私は「素敵な子だなあ」ぐらいにしか思わなかったかもしれない。
前回もチラリと書いたのだが、私は彼女のユーモアセンスと発想力に強く惹かれていた。その基になる地頭の良さが暴走するのか、「なぜそんなことを?」と思ってしまうような言動を、時折発するのだ。それが奇抜なわけではなく、どうでもいいと言ってしまえばそれまでの、しかし私のツボを的確に突いてくるものばかりなのである。私にとって印象的なエピソードをいくつか記そう。
「あのさあ、トイレと便所、尻とケツって言葉があるじゃん?」
と、小学生だったころのあるとき、Uは何の脈絡もなく切り出した。この時点で「は?」と思うのだが、私はうなずいて続く言葉を待つことにする。
「うん、まずは便所とケツだ。そこに“お”を付ける人もいるじゃん? いちいち言わないけどさ、私、お便所とかおケツって聞くたびに、“お”を付けたからって綺麗になるわけないのに、潔くないなって思うんだよ。お尻は本来の呼び名だし体の部位だし、まあいいやって思う。おトイレはギリギリ。濁音がないからスッキリ聞こえるけど、でもやっぱり往生際は悪いな」
「それで?」などと問うたところでオチはない。私の意見なんて期待してない。ずっと思っていたことを、ただ伝えたかっただけなのだろう。私が「Uはそう思っていたんだね」と返すと、「うん、ずっと思っていたんだよ!」とUは嬉しそうに笑う。それがまた、私はたまらなく嬉しかった。
「なんとなく、希望になら通じると思っていたんだよね」
こうした言葉遊びというのだろうか、響きの持つイメージについて考えることは私も大好きなのだが、人に話した覚えがなかった。何か、嗅覚のようなものが働いたのだろう。 以来、私たちは言葉の響きから感じるイメージを伝えあったり、いわゆる名画に勝手なタイトルを思いつきで付けるなどの遊びに興じることが増えたのだが、そのきっかけに選んだのが「便所とケツ」ってアナタ。
そしてUはスイカが嫌いだった。食わず嫌いではなく、食べたうえで苦手だ。しかし、目の前に出されると勢いよくかぶりつく。そしてすっかり食べきってから
「だめだ! やっぱり私はスイカが苦手なんだ!!」
と、青ざめた顔で宣言するのだ。彼女のスイカ嫌いを知っている私は「無理して食べる必要はないよ」と声をかけるのだが、
「いや、みんなが食べているのを見ると美味しそうに見えるしさあ……去年までの私は苦手だったかもしれないけれど、今年の私は美味しいって思えるかもしれない、その可能性にかけたかったんだよ!!」
命懸けの生業に口出しした素人を一喝する職人のごとき表情で返してくるのだ。しかも一度や二度であきらめたわけではない。何年も何年も、スイカの季節を迎えるたびに繰り返していたのだ。不屈のチャレンジ精神には拍手を送りたい気持ちではあったが……。
いい加減諦めたらいいのにとも思い、何度か伝えもしていたけれど、そんなことでやめるようなUではない。いつからか私は、またやってるなあ、と眺めるだけになっていた。ちなみに彼女がスイカの美味しさを感じられた瞬間に、私は遭遇していない。あれからその瞬間を迎えられたのか、もしくは、今でも挑戦を続けているのだろうか。
上記の話でお伝えできたかは分からないが、とにかくUは「奇抜なことをするわけではない、でもなんか変な奴」なのだ。私は「なんか変な奴だなあ」と思いながら、Uと付き合っていた。その、「なんか変な奴」っぷりも、私にとっては大きな魅力だと思えたから。
けれどもUは、魅力でもある「なんか変な奴」っぷりを、あまり表に出していなかったように見えた、少なくとも小中学校のころは。意識してのことなのか、たまたまそうなっていしまっていたのかは、私には分かならいけれど。
Uは中学3年生の途中で転校、高校も別々になったが、私たちの交流は続いた。Uは高校に進学してから、以前に増してよく笑うようになった。話から察するに、彼女をお姫様のように持ち上げたり、勝手な幻想を押しつけてくる人がおらず、人間として尊重してくれる友人たちに恵まれている様子だった。目立つ容姿を理由に、理不尽に晒されている彼女を見ても、私は何の助けもできなかったことが心苦しくもあったので、嬉しかったし安心した。
彼女が進学のため新潟を離れた数年後、私も東京へと転居したが、電話で話したり、お互いが帰省したときに顔を合わせるなどした。話題は近況報告や、それぞれが最近ハマっているゲームや漫画の情報交換など。成人したところで、あまり変わらぬ我々だった。 ときどきそれぞれの恋愛事情を話すこともあったが、全体から見てみれば僅少だったと記憶している。
20代も後半になったころ、Uはとある男性と出会い、交際を始めることになる。そして電話の内容の8割がその彼氏の話になったのだ。いわゆるのろけなのだが、ところどころ様子がおかしい。具体的な内容は割愛するが、前述したような「なんか変な奴」にお似合いのおかしさなのだ(褒めている)。そしてUが「彼は私がどんな話を切り出しても、呆れたり引いたりしないんだよ!」とよく口にしていたことが強く印象に残っている。
さて、都会の方はご存知だろうか、ひとけの少ない田舎道では、いわゆるアダルトグッズやアダルトDVDの自動販売機を見かけることがある。十数年前であればDVDよりも、ビニール袋でパッケージングされたエロ本、略して「ビニ本」を多く扱う自動販売機が多かった。
ある日Uは、ビニ本がどんなものなのか手にしてみたくなったと、彼氏に打ち明けたらしい。すると彼は「俺も見たことない! よし、買いに行こう!」と二つ返事で彼女に同意、ビニ本購入ツアーが決行されたそうだ。
自動販売機から放たれるほのかな光に照らされて、2人はどれを買うべきかと思案、相談を重ねる。値段は一番安いものでも1500円、書店で買えるエロ本の、およそ2~3倍近くする高額さだ。ならば、一般流通しているエロ本以上の感激がそこに詰まっているのではなかろうか――否が応でも期待が高まる(主にUの)。紙幣を挿入し、購入ボタンを押す。意外なほど大きな音を立てて落ちてきたビニ本を取り出し、ページを開いた……。
「そしたらすごいんだよ! 予想以上! 素人の失敗写真みたいなのばっかで、しかも画質が粗いし、印刷汚いし、白紙のページだらけだし……1500円も出して買うもんじゃないなって、(彼氏と)爆笑しちゃったよ!!!」
私が聞いたことがないだけか、聞いたのに忘れてしまっただけなのか、Uが「なんか変な奴」的な言動を発して、それを気にしないどころが、一緒に面白がるような彼氏の話を、私は初めて聞いたのだ。「なにやってんだよ君らは!」と私は大笑いしながらも、「彼氏はきっと、人間としてのUが大好きで大切で、勝手な幻想を押しつけることがないのだろうな。だからUも信頼できて、ビニ本買いたいなんて言えたのだろうな」と感じ、しみじみ嬉しくなった。
(ちなみにビニ本は、同じものが3冊でてきたらしい。「記念に1冊どう?」というUの申し出を「何の記念だよ」と笑って断ってしまったのだが、もらっておけば良かったなあ)
数年後、その彼氏とUは結婚した。式は内内のみで済ませたらしく、後日Uは、私に婚礼時の記念写真を送ってくれたのだが、これが素晴らしかった。彼氏は紋付袴、Uは色打掛をまとい、お互い顔を見合わせて大笑いしている写真だったのだ。
「彼は私がどんな話を切り出しても、呆れたり引いたりしないんだよ!」
と、結婚前、Uが何度も伝えてくれたことを、私は思い出した。恋愛というのは人の頭をおかしくする側面もあるので、自分を抑制して相手に合わせても苦にならないこともある。しかし、それを誰もがいつまでも続けられるかと言えば、それはまた別の話。Uがそれまで交際をしてきた男性にどれくらい合わせたのか、それがどれくらいの苦痛だったのか、あるいは苦痛でなかったのか、私は知らない。でもきっと、ふと口にした言葉に呆れられた経験や、それを予想して言葉を飲み込んだ瞬間があったのかもしれない。だからこそ、自分を偽ることないままでいても、それを受容するパートナー氏の存在に驚き、彼と出会えたことが嬉しかったのだろう。
そうだ、Uもいつだってそんなふうに、私を受け入れてくれた。地味なブスだと私が嫌われてもお構いなしに私に声をかけ、話を聞き、意見を尊重しようと努めてくれた。クズのように扱われ、担任教師が人気を獲得するためにつるし上げても、誰にも疑問視されないような嫌われ者の私を、ずっと人間として扱ってくれていたのだ。ただ同情するのではなく、時として、意見を戦わせることもいとわずに。
そのUが、尊重し合えるパートナーと出会い、屈託なく笑い合っている。 なんと喜ばしいことであろう。きっと、すました表情で花嫁衣裳をまとうUも、さぞかし美しかったことだろう。でも、目を細め、口を大きく開けているUの表情も、本当に楽しそうで、本当に嬉しそうで、本当に人間らしくて、本当に本当に綺麗だった。
彼女は、ずっと綺麗だった。自尊心を故意に傷つけようとする相手に抵抗し、相手を理解しようと尽力を惜しまず、周りに流されずに自分の意思を守り続けようとする、人間として本当に綺麗なUだったから、私は彼女が大好きなのだ。「物語に花を添える、古い少年漫画のヒロイン」ではなく、「自分の弱さも認めながら進む、バトル漫画の主人公」のようなUだから。
時が過ぎ、某県にて家族5人で暮らす三児の母・Uと、離婚を経て新潟で息子と2人暮らしをする私は、今でも連絡を取り合っている。付き合いが長いからこそ、今回は構成上割愛した私のクソな人間性もよく知っている。その上、私がカルトに洗脳されたり、似非スピリチュアルなどに足を突っ込んだときも縁を切らず、不安に揺らぐ私とゆるやかな関わり方を続けてくれたUはやっぱり変わっていると思うし、私にとってはありがたい存在だ。
いつぞや、前回垂れ流したような私の過去の体験が話題に上ったとき、Uはそれを改めてねぎらってくれつつ、
「そろそろ希望はものすごい必殺技を出せるようになる気がするんだ」
と真顔で言いだしたので、彼女はやっぱりバトル漫画の主人公であるような気がしている。しかも言わないだけで、Uはもう必殺技を出せるのではなかろうか。
小学1年生の春、お姫様のように持ち上げられ、級友たちに囲まれているUを、別世界の出来事のように眺めていたころの私には、想像できなかったはずの未来が、今私の手元に現実として訪れた。
Uを人間と意識できて良かった。Uが人間らしさを見せてくれて良かった。
ありがとう、U。私は綺麗なあなたに出会えた事実を、これからも大切にしていきたい。