なんで切符だけひらがななんだよ…。
平成最後の夏を前に、私はみどりの窓口でそんなことを思いながらひとつづりの「青春18きっぷ」を購入していた。恋人と一緒に名古屋へ行くためである。
名古屋には私と恋人の共通の友人k夫妻が住んでいて、妻のyちゃんが娘さんを出産したので会いに行くことになっていた。
一泊二日、ひとり往復で2回分。ふたりで合計4回分。青春18きっぷは5回分でひとつづりとなっていて、片道5時間半以上かかることを除けば最安で名古屋へ行くには都合の良いものなのだった。
5時間半の旅路はかなりハードで、あの時よくあんなことやったよな〜と今でも思い出しては笑ってしまう。
始発で出発したものの、お盆休み初日ということもあり熱海駅を通過するまでほとんど座ることはできなかった。一言で言うとするなら「死ぬかと思った」が適切だと思う。
ほうほうのていで電車を降り目にした名古屋駅は混沌としていた。タクシー、タクシー、車、タクシー、車、人人人…。鳴り響くクラクション、喧騒、そしてあの蒸し器の中のような暑さ。別の世界みたいだった。
初めて会うyちゃんの娘さんは静かに笑う機嫌のいい子で、すごく可愛らしかった。
友達がお母さんになっている。それはなんだか不思議というか奇妙な感じがした。
娘さんが私の人差し指をぎゅっと握ってニコニコ笑いかけてくれて、妙にじんときた。
離乳食を食べるようになったばかりの娘さんに、「これは戦いだから戦闘服を着るね!」と言ってyちゃんがツナギを着てご飯を食べさせていた姿が、写真にも何にも残していないのに一番印象に残っている。
ひつまぶしを食べ手羽先を食べ、名古屋城に行き、味噌カツを食べ、これでもかというほど遊び倒した。名古屋城は工事中だったけれど、金ピカのしゃちほこが夏の日差しを反射して眩しかった。
滞在中の夜、yちゃんが娘さんを抱っこし、少し散歩をした時のことだ。
この年は姉が姪を出産したこともあり、私は「自分が母親になる」ことについて考えていた。
私自身に様々な理由があったりして子供を産めるかわからず、産んだとして育てられる自信はなく、自分が母になることは諦めようと思っていた。
恋人は子供が好きなので、彼に対する、あるいはもっと他の誰かや何かに対する申し訳なさがいつも心のどこかにあった。
歩きながらそうこぼしたら、しばらくの沈黙のあとyちゃんは「柚花ちゃんは大丈夫だよ」と言った。「自信のあるお母さんなんか一人もいないよ」、「私もだよ」と。
yちゃんは明るくて元気で少しだけ天然だが、いつでも誰に対しても真っ直ぐなひとだ。
その「大丈夫」には根拠がないかもしれない。でも、yちゃんがその場しのぎでそう言っているわけではないことが、私にはちゃんとわかった。
「そっか」と言うと、「そうだよ!」と笑う。
湿度の高い夜、ぬるい風に髪がなびく。走り去っていく車のテールランプ、街灯に照らされる百日紅の花、伸びる二つの影。
あの時のyちゃんの「大丈夫」は、今でも私の中でひとつの希望として明るく灯り続けてる。