一体全体、おれにどんなカルマがあるというのだろう、
と書き始めてみて、ふと思う。
この「一体全体」という言葉は一体全体どうして疑問文を強調するための副詞として使われているのだろうか。
というか、なんでこの言葉がそういう機能を持たされているのか、
見れば見るほど良く分からない。
検索してみても、その由来なんかは出てないようだし、
仕方ないので久しぶりに三省堂の新明解国語辞典を引いてみたが、
期待していた面白い用例さえもなく、がっかりさせられた。
ともあれ、一体と全体をくっつけてあるあたりは、
梵我一如的な思想がバックに潜んでいるんではないだろうかとか、
いや、この言い回しはおそらく明治以降にできたもので、
西洋から持ち込まれた文献の中に錬金術の本があり、
「一は全なり、全は一なり」という考え方が巷間に広まり、
それが「一即多、多即一」の華厳思想と重ねられ、
そこから、毘盧遮那仏のあのとんでもなく摩訶不思議的壮大な宇宙サイズの広がりがイメージされ、
それを持って、この言葉に摩訶不思議を強調する機能が付与されたのではないかと、
大変うがった考え方もできないことはない。
錬金術や仏教なんかを無理矢理引っ張り出してまで
こんなインチキくさい考察をしてみたのには訳がある。
ここで冒頭に書いた一文からやり直すことにするが、
一体全体、おれにどんなカルマがあるというのだろう、
と思わされることがここ一ヶ月の間に続いて起こったからである。
「カルマ」つまり「業」なんてことを考えさせられたわけだから、
それによってついつい神秘主義的な連想の下準備が醸成され始めていたらしく、
それで「一体全体」が毘盧遮那仏にも繋がったわけだ。
ともあれ、一体全体、おれにどんなカルマがあるというのだろう、
と思った理由というのは、長くなるが、次のような次第による。
2014年の夏に、必要に迫られて自動車免許を取得することにした。
教習所に通って、仮免をもらったのが8月の終わり。
ベルギーでは、その時点から一人で車に乗って公道を走ってよく、
仮免発行の日から自主トレを積み重ね、それから1年半の間に
実技試験を受けてそれに合格すれば晴れて本免許取得、となる。
免許もないのに車を運転してクラッシュする夢を
物心ついた頃から度々見てうなされてきた僕は、
いつまでたっても運転に慣れず、
車線変更するだけで冷や汗をにじませ、
いつまでたってもライトを点灯するの代わりにワイパーを動かしてしまい、
ヨーロッパでは日常的にこなさなければならない縦列駐車をするには
後続車両に気兼ねしながら何度もやり直さなければならず、
坂道発進しなくてはならない状況を避けるためになるべく坂道は避けながら、
それでも坂道発進しなければならない時は、それこそ決死の覚悟をしながら
ブレーキペダルからアクセルペダルへ右足を移動させる…
というような体たらくだったので、
かなり長いこと実技試験を受けずに来てしまった。
それでもまあなんとか人並みには運転できるようになったと思えたので、
実技試験を受けてみることにした。
仮免失効期限直前に慌てるのも嫌なので、
去年の秋くらいから受け始めたのだが、そこで新たな問題が判明した。
最初の試験の時、試験官は後部座席に座り、かなり威圧的な態度で
指示を出していたのだけど、その態度にブチ切れそうになって、
高速道路の真ん中で車を止めてその試験官をぶん殴ってやろうかと
本気で、しかも真面目に思ったのだった。
こんなところで自分の短気な性分を改めて確認したわけだけど、
僕は逃げ場のない狭い空間で、誰かに命令(指示)されるのが異常なまでに嫌いなのだ。
普段、指示されるのはいいけど、空間的に逃げ場がないところではまずそれは受けない。
異常にストレスを感じてブチ切れるのがわかっているからだ。
しかもこう言う試験においては精神的な逃げ場もない。
何せ向こうは試験官で、車内空間とその状況にある文脈における権力を
すべて手中にしているのだから。
(この文章を書き終わってから、コインランドリーに向かう道すがら
思い当たったことなんだけど、この状況はなにやら話に聞いたり本で読んだりする、
禅問答の状況に似ている。参禅したくてもする機会のない僕に、
なんと免許試験がそれに代わるものとしてやってきていたのであった、のかもしれない。)
まあ、それは仕方ないことというか、そういうものなので、
何回かやっているうちに慣れてくるだろうと
たかをくくって何度か受けてみたけども、一向に慣れてこない。
結局5回も試験を受けてやっと受かったのだけど、
運転実技試験中ブチ切れ症候群を克服するためには
かなりいろんなリサーチをしてみて
試験中のストレスを回避する方法をヨガ、瞑想、心理学、精神分析、
などなどから引っ張り出してなんとかかんとかそこはクリアできたのだが、
このくらいのリサーチなんかはまだ学問だと思えば面白いこともあるので、
自分としてはオッケーではある。
そして、一体全体、おれにどんなカルマがあるというのだろう、
と思ったのはこの辺の成り行きにも関わっている。
この歳になって車に乗ろうなんて思ってしまったのもカルマなら、
たかだか免許の試験で自分の内面にちょっとでも向き合わなきゃいけないっていうのも、
カルマではある、きっと。
だけど僕が、一体全体、おれにどんなカルマがあるというのだろう、
と本当に思ったポイントは他のところにある。
上に書いた通り、5回も試験を受けてやっと合格したわけだが、
試験を取り仕切っている運転免許センターにはさらにもう5回、
全部で10回通ったのだ。
筆記(ではなくコンピュータだが)試験もそこであったのだが、
そのことを勘定に入れているわけではない。
実技試験を受けにそのセンターに10回通って、そのうち5回は
何かしらの理由があって、試験を拒否されたのだった。
一回目に拒否されたのは、車の保険の証明書を持っていき忘れていたから。
これはわからなくもない。仕方ない。
二回目の時は、またその証明書がらみなのだが、
直前に保険の更新があり、新しい証明書を保険会社に送ってもらうようにしてたのだが、
直前になっても届かない。そこに電話して催促すると、すでに送ったという。
が、ちょうどその時、郵便局がストライキをしていて、郵便物の配達が遅延しまくっていたのだった。
仕方がないので、メールでコピーを送ってもらい、
試験当日はそれをプリントアウトして持って行ったのだが、
規定によると、その書類はオリジナルのものでないとダメだということになっていて、
そのせいで、また拒否された。
(ちなみに、その数日後、3通の同じ内容の保険証明書が同時に届いた。)
三回目の時は、もちろんその辺の書類は完備していった。
ところで、ベルギーでは運転免許の実技試験には、
受験者が、ベルギー在住の、ある程度の運転経験のある付添人を連れて行かなくてはならない。
なので当然僕も運転経験20年ほどの友人を連れて行った。
そして手続きの時に必要書類と、僕の身分証明書、仮免許証と
友人の身分証名証と免許証も提出した。
そして、待合室で待っていると、試験官がすべての書類を持ってやってきた。
そして、申し訳ないが、今日は君は試験が受けられません、と言った。
なんで?と僕が尋ねると、試験官ノタマワク、
君の友人の身分証名証の有効期限が切れてるんですよ、
これでは規定に外れてしまうので…
これにはあっけにとられたが、まあ運が悪かったな、と思うしかない。
それよりも、その友人がそれに関してすごく罪悪感を感じてしまったようで、
それをなだめるのにそのあと苦労したのだった。
四回目はその三日後。別の友人を連れて行った。
例によって待ち合わせ室で待っていると、試験官がやってきて、
ついこの間も同じようなことがあったと思うんだけど…
と言い始めたので嫌な予感。
試験官が続けてノタマワク、
今日の場合は、君の友人の運転免許証が問題で、
発行されてから8年経っていないんですよ、
付添人は発行されてから8年以上の免許証を持ってないとダメなんです。
僕はてっきり5年以上だと思っていたので、え〜、まじっすか?受けられないんですかぁ、え〜
みたいな反応をしたが、その試験官曰く、最近になってその規定が変更された、らしい。
ということで、またしても拒否。
そして五回目は、その4日後。また別の友人。
40年の運転歴、ベルギー人。これで問題はないはず。
試験センターに着いてすべての手続きを済ませ、
試験官を待つ。
試験官が来る。で、車をひとしきりチェックしていたかと思うと、
少し待ってて、と言って、センターに戻って行った。
すぐに戻ってきたと思ったら、その試験官ノタマワク、
後ろのバンパーが少し割れてるし、右のサイドミラーに少しヒビが入っているし、
危ないから、この車では試験で公道に出られませんね。
試験は中止です。
僕曰く………、ちょっと待ってよ、この状態で車検も一応通ってるし、
だいたい、今まですでに四回は試験やってるんですよ、なんとかなんないの?
試験官曰く、いや、今回は危険な箇所を見つけてしまったので、
このまま試験をすることはできません。悪しからず。
では、次の予約を取ってくださいね…
以上、これだけ不運が続けば、
一体全体、おれにどんなカルマがあるというのだろう、
前世で相当な凶暴運転をしてたとか、大規模事故を起こしたとか、
自分自身が試験官で、数々の受験者をいじめ抜いてたとか、
運転に関する極悪非道を積み重ねた因果が応報しているんだろうか?
とか思ってしまう状況も納得してもらえるんじゃないだろうか。
とまあ、何はともあれそういう状況になってしまったので、
もうほとんど意地になりながら、指摘された故障箇所を直す目処も立てないままに、
その場でその三日後の再受験用に予約を入れ、
一路仕事場に当の故障を指摘された車で一時間かけて向かい、
ことの顛末を同僚たちに愚痴ると、
それはひどい!なんて奴らだ。そんなのただのイジメじゃないか。
と、しっかり味方になってくれ、その勢いで、
お前の車を見せてみろ、直せるものならすぐに直してやる、
ということになり、当の車を見せると、
え?何?これっぽっちの傷でダメだったのか?馬鹿馬鹿しい!!!
とまるで自分のことのように怒り始め、
二人がかりで問題の箇所をすぐに直してしまった。
持つべきは有能で友達思いな同僚である。
で、その車に乗って試験を受けたら、
それまでのことなんてまるで何もなかったかのように、
すんなりと合格。数日前のことである。
合格を伝えられた時には、本当に肩の荷がどさっと下りた気がした。
少しはカルマが減ったのだろうか。