「他人ではなく自分に期待しなさい」と言ったのは、数年前のレジスト写真塾授業中に吉永マサユキさんが受講生達にむけての言葉です。表現行為の本質的な部分を見事に言い当てた言葉だといまでも心に残っています。
創作活動を初めて間もない人は、とにかく他人がどう思うかがすごく気になるものです。
展覧会を開く目的の中にいろいろな人からの意見や感想をもらえることが重要と考える人も少なくありません。少し立ち止まって考えれば、表現行為とは、まだ見ぬ他人に影響を及ぼすとか、何かを与えていくことなのに、周りにどう思われているかとか、自分がどの位置にいるとか、そういうことを気にしている人、世間ではプロ作家だと思われている人の中にも結構いるように感じています。
自分に期待するとは、どういうことでしょうか?
ちょっと表現の世界から角度を変えて、スポーツの世界に置き換えてみます。
一対一で向かい合ってたたかう野球の投手と打者や、格闘技などでは、お互いに向き合った時にある程度の勝負がついているとも聞きます。自分は相手よりも沢山トレーニングしてきた、だから負けるわけがない、積み重ねてきた練習の量は自信につながるのだそうです。僕自身も何人もの大きな記録を成し遂げてきたスポーツ選手と実際に会ってお話を聞きましたが、ジャンルは様々でも、同じようなことを仰っていました。
練習は嘘をつかないともいいます。逆に練習でしたことのない動きは、試合で出るわけがありません。どのような競技でも人の目に触れる時間はごく僅かなものです。ボクシングの場合、最大で1試合30分、年間2試合として、人目に触れるのは、2日で60分。そのほかの363日はスタミナ作りと、練習をひたすら重ねています。
展覧会の会期は作家さんにとって、作品と、作家さん自身に光があたる最も輝く瞬間です。そのほかの時間は、思考を重ねて、手を動かし同じプロセスを繰り返しながら、制作物を積もらせていきます。その時間の堆積が長ければ長いほど、思考は深まるわけですから、相当な観る匠のような人でない限り、初見で出てきた言葉など作家さんにとってみたら想定内のことではないでしょうか。言い換えれば自分の作品がどの程度のものなのかは、手を動かし、思考を積もらせてきた時間に比例して強固な自信に結びつき、少々否定的な評価を受けた程度で心が揺らぎ折れるようなことはないのです。
真剣に取り組み、ほかの人には、もはや自分と同じレベルまでは出来ないと感じた時、その作品のゴールは近い訳で、そういう作品はきちんと観ることができる人びとからはきちんと敬意を払ってもらえるようになります。そういう話題はあっという間に大きな輪になって伝わっていくものだと思います