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3F/長期滞在者&more

時が奏でる

長期滞在者

働いていたカフェが閉店した。

駅前の美術館の三階にあって、一階には市民図書館、美術館内には市民ホールが併設されていたから、平日は、図書館に通っている人やご近所さんが、お昼やお茶休憩をしながら過ごし、休日は美術館に訪れる人たちが足を運んでくれたし、ホールでピアノ発表会や、あとはフラダンスやジャズの演奏会があるときには、ドレスやタキシードを着たこどもたちとかそれぞれの衣装を着た人たちで店内がいっぱいになった。テーブルごとに日常と非日常の時間が流れる、このカフェで働くのはとても楽しかった。

美しい場所だった。
デザインされた店内に、小さなユーモアがいくつも用意されている場所。
好きなところはたくさんある。
光がたっぷり入る大きな窓、青空を広げたような色のカーペット、そこを飛ぶ一羽のトリ、かたちを変え続ける水滴の形のようなイサムノグチのソファ、向きのそろったシュガーポット(お客さんが帰ったあとで、テーブルを拭いて皿やグラスを下げ、最後にシュガーポットを整える)、伝票代わりにテーブルに置く四葉のクローバーをとじこめたガラス玉、三越の包装紙・華ひらくのモチーフを切り抜いたコースター。

閉店後、ソファもテーブルもなくなって、空色のカーペットだけになった空間の真ん中に突っ立ってみると、何もなくなったほうが狭く感じられたことが意外だった。それに、想像していたよりも寂しくないことも、意外だった。もっともっと寂しくなって、たまらなくなると思ったのだ。だってこの空間に身を置くことは、この先二度とないのだから。

*

わたしは週に一日程度しか働いていなかったのだけど、それでも、シフトに入るたびに会う常連の方がいた。
おじさんともおじいさんとも形容できない、倒れてしまいそうに細くて、少しくたびれた保護色のスーツを着ていたその人を、スタッフの間で「ダージリンさん」と呼んでいた。決まってダージリンティーを注文するからだ。いつも隅の同じ席に座って、あまり長居はせず、お金をぴったり用意して支払ってくれる。レジでお礼を伝えると顔を崩して笑い、静かに帰って行くような人だった。

閉店が決まったときから、ダージリンさんは以前よりも頻繁に、ほとんど毎日来てくれるようになった。

閉店を知った彼は、店長に、どんなにこの場所が好きだったか話してくれたそうだ。空色のカーペットとか、流れている音楽とか、わたしも好きないくつもの仕掛けを。静かな人だったし、雑談をすることもほとんどなかったので、わたしはダージリンさんのことを全く知らなかった。知っているのは、紅茶といえばダージリンティーだと思っていること、そこには必ずレモンを添えること。図書館に近いカフェだから、それで帰り際にいつも寄ってくれているんだろうとなんとなく思っていたのだ。

閉店が近づいてお客さんが増えて、いちスタッフのわたしにも、どんなにこのカフェが好きだったか、どんなに残念に思っているかと伝えてくれる方がたくさんいた。店でよくお見かけしていた方もいれば、初めて見る方もいた。言葉にして伝えてもらえたら、気持ちを知ることはできる。でも、その人の思いの強さというのは、言葉だけで測れるものでは決してない。毎日ただ静かに、ダージリンティーを注文して、隅の方に座っていたあの人は、今はどこか別の喫茶店に通ったりしているのだろうか。ガラケーを構えて撮っていた写真は、今もフォルダに残っているだろうか。ダージリンさんが写真を撮る姿を見たのは、後にも先にも、閉店の数日前の、あの一度きりだ。

最終日もきます、と言われてお別れもせずに前日見送ったけれど、最後の日は強い台風がきて、ダージリンさんは店に現れなかった。きっといつも徒歩で来ていたのだろう、歩くには危険な天候だったし仕方ないけれど、最後に挨拶ができたらよかったと思う。もっと話をしておけば、なんて後悔はしていない。もう会えなくなることが寂しいわけでもないのだ。多分、いつも同じ席に座って、同じ注文をして静かに過ごすダージリンさんの姿は、風景のひとつになっていた。忘れたくない、大好きな風景のひとつに。だから、空っぽになった店内を見たときと同じように、寂しさを感じなかったのだと思う。ただ、何かお互いに、区切りみたいなものをつけられたらよかった、なんてことを勝手に思ったのだ。本当に勝手な話だけど。

*

行きたい場所には行ったほうがいい、見たいものは、目の前で見るのがいい。
そうして、忘れるかもしれない、と不安にならないくらいに、焼き付けるのがいい、と思う。

テーブルの配置も、光を受けてあたたかさを増す木の色も、ソファの形も、それらの間を動き回っていた自分の姿も、お客さんの姿も、頭の中で箱庭みたく組み立てられる。いつでもそこに行ける。ここで覚えた、いくつもの美しい仕事を忘れることもきっとない。

大好きだった場所が現実の世界から消えてしまっても、忘れなければ、完全に失われてしまうことはないのだ。こうやって書きながら、頭の中でカフェの中を何往復も歩き回っていたら、境目もよく分からなくなってくる。目の前に見える、屋根の平たいクリーム色の家の窓の中に、あのカーペットが広がっているかもしれない。まぁそんなはずはないのだけど、それでも、失われたことによって強さを増す何かが、わたしの中に加わったような気がする。

現実から失われた大好きな場所は、美しいままで時を止め、わたしだけが入れる部屋になる。
日常を放り投げてしまいたくなったら、その部屋のドアを開ければいいのだ。

書くということは、その部屋を作る作業でもある。

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中田 幸乃

中田 幸乃

1991年、愛媛県生まれ。書店員をしたり、小さな本屋の店長をしたりしていました。

Reviewed by
小沼 理

もう二度と行けないお店、というのがある。最近たまたまそのことを考えていたから、別の角度から光を当てられたような気がした。

中田さんは自分が働いていたお店が閉店するという経験をする。「美しい場所だった」と綴るそのお店には、もともとあったものもあるけれど、そこで働く人たちが形作っていたものもたくさんある。たとえば、向きの整えられたシュガーポット。青空を広げたような色のカーペットも、きっと毎日綺麗に掃除をしていただろう。それは誰も愛着を持たなければ、ただの青色の床であったかもしれない。

お客さんにとっては、中田さんやお店の人たちが働く姿も、美しい風景の一つだっただろう。

行けないお店は増えていくばかりだ。もしかしたら、今日もどこかで歴史を終える店があるのかもしれない。でも、僕はそれを知らない。
もう行けないという事実に心が揺れるのは、行ったことがあるということの証明だ。そして、愛する場所だったという告白でもある。その気持ちは、胸の中に、ガラケーの写真フォルダの中に、インターネットの中に、そっと残る。

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