先日、パートナーがマッカランの12年をお土産に買ってきてくれた。わたしはウイスキーが好きだけれど、実のところいつもおなじ銘柄ばかり飲んでいてウイスキーについてはちっとも詳しくない。パートナーの職場の人が、良いお酒を飲んだら楽しみの幅が広がるという話をしていたらしく、それならばといろいろ調べてマッカランを買ってきてくれたのだった。
土曜日の少し遅めの昼食。昼間っから、お酒を飲む幸せ。ふたりでどんな味なんだろうねってわいわい言いながら、炭酸水やら、濃いめのジンジャエールなどを用意して、まずはロックで一口飲んでみた。
第一印象は木の香り、酒樽がいつくも並んでいる映像が脳裏に浮かんだ。いつも飲んでいるものとは、香りが全然違っていて軽いショックを受ける。やっぱり、全然味が違うんだなって、当たり前だけれど新たな発見。次に感じたのは、草原の風景。行ったこともないくせに、スコットランドの草原に立っているような心持ちになった。近くにはゆるやかな川が流れていて、初夏の匂いがするような。
舗装されていないうねうねした道を黒のワーゲンに乗って進んでいく。丘をいくつもこえる。車窓には草原が広がって、涼しいような、暖かいような空気が額を撫でていく。あ、この風景知ってるな、と思った。ここはブラジルで良く通ったワイナリーへと続く、細い草原の道。町外れにあって、丘と川の間の開けた草原の中に、白い壁のNardiniという名のワイナリーがあったのだった。
駐車場に車をつけると、ブラジルの赤い土埃が舞って咳き込みそうになる。止まっている車のナンバープレートには、遠い街の名前が書かれていて、わざわさ長旅をしてまで、ここにワインを買いに来る人々が通った道のりをぼんやりと思う。
平屋のワイナリーに入るためには、西洋劇の酒場のような、木造のスイングドアを通っていく。中へ入ると、まずは空気の冷たさを感じ、次に、あまい樽の匂いが全身を包み込む。木に染み込んだ、アルコールの香りだ。目の前には横に寝かされた無数の酒樽が所狭しと並んでいる。白い壁のせいか、もしくは天井の高さのせいなのか、樽はぎゅうぎゅうに並べられているのに、窮屈ではなくむしろ開放感さえ感じる。
木の香りを浴びながら、建物の中央部にある地下への階段を目指す。ステップは真ん中の部分がだいぶすり減っている。手すりにつかまって、一歩一歩中に進んでいくと、香りはより強くなり、肌に触れる空気はより冷たくなった。カツカツカツ、歩くたびにかたい音が床から響く。
地下はまるで秘密基地のようだ。天井は低いし、薄暗い。並んでいる樽の深茶色もあいまって、異空間へとワープしたような変な緊張感を覚える。中央の白い柱には高い位置に小さな裸電球がついていて、その下には小さな丸いテーブル。試飲のためのワインが小さなカップと一緒に並べてある。テーブルの横には、店主らしき人がワインの説明をしながら試飲を勧めていて、我も我もとテーブルの周りには人だかりができる。店主の話にも花が咲く。海賊の宴みたいな風景。
このワイナリーでは、ワインだけじゃなくて、ピンガと呼ばれる蒸留酒も作っている。サトウキビから絞った液体を発酵させ、それを蒸留してつくるお酒だ。透き通った綺麗な液体。このワイナリーのものは、葡萄とミックスしていて甘みが強いらしく、客の一人がいかに美味しいのかを、他人であるだろう人に熱弁している。
私が好きだったのは赤ワイン。甘めの赤ワインで、ブラジル人好みの味だと思う。白もスッキリして美味しいし、母はとくにロゼが好きだった。話によると、このワインはラベリングをする前の裸の状態だから、市場に出回るときの半分以下の価格で買えるらしかった。同じワイン、同じボトルにラベルがつけられるだけで、価格が跳ね上がるなんて、不思議なことだと当時は思った。だけど、多分それはどんな商品でも同じことなんだろう。
もちろん、ワインの味も好きだったけれど、多分わたしは酒樽の並んだ地下室が好きで、あのワイナリーで買い物をすること自体が好きだったのだと思う。薄暗い地下から地上にでるときには、白んだ視界のせいで毎回眉間にしわが寄ったけれど、心の中はいつもわくわくしていたし、空になった瓶を返却しにくる日が楽しみだった。家で、ワイナリーで聞いた話を繰り返しては、何度もあの秘密基地でのことを追体験することも楽しかったのだ。
はっと、我に返ってパートナーを見てみると、どうしたの?という顔をしていた。回想していたことを一通り話すと、次のアパートメントには、その話を書いてよと一言。そやね、書いてみよかなと私がいう。
残念ながら、いまそのワイナリーは昔ほどの賑わいがなくなってしまったのだと実家の家族から聞いた。味が落ちたのだそうだ。だけど、実在するワイナリーの品質が変わっても、記憶の中の楽しみは色あせることなく、強烈な印象を残したままだ。
マッカランはウイスキーだし、味もワインとは全然違う。だけど、木の香りに導かれて、記憶の中のワイナリーを再訪できて良い酒の肴になったなってしみじみ思ったりして、たしかにものより思い出とはよく言ったもんだ。