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3F/長期滞在者&more

加太へ

長期滞在者

仕事繁忙期で心身腐ってきたので、腐りきらぬうちにと無理矢理休みを取って一日自転車に乗ってきたのである。
毎日自転車で片道10kmを通勤しているが、正直なところ気分としては毎日20kmのサイクリングが主であって仕事はそのついでに過ぎない・・・と、思い込もうとして日々頑張っているのであるが、そんな言い訳でも自分を騙せなくなってきたのだった。ついでのはずの仕事に心身削られてどうするのだ。修復するには、もう思う存分自転車を漕いでくるしかないのである。

今までの最長距離は、今年の6月に友人が蕎麦屋を営む宇陀(奈良県)まで漕いだ往復148kmである。
途中4/5の地点にある桜井市まではほぼ平地の楽な道(県境で一度だけきつくはない山越えがある)だが、最後の最後、宇陀に入ってからが延々と長い登り坂。しかも斜度10%という、漕げなくはないが長く続くと心身ぎすぎすに削られる、そんな登りが責め苦のように続くのである。
死にました。山越えのトンネルの出口でひっくり返って30~40分動けなくなるくらいに。

蕎麦屋に着いたら店主の彼は「あれ? 遅かったですね」などと言う。「女寄峠で死んでたんです」というと笑っていたが、ちなみに彼も自転車乗りである。地元の彼にはなんてことない坂なのであろう。ちょっと悔しい。
ところで彼の蕎麦、そして副菜につく豚の角煮はべんちゃらではなく最高なので大宇陀の道の駅すぐの「まほろば」、ぜひ行ってみてほしい。めっちゃ美味いです。

(女寄峠のゆるい拷問。なよろ峠、と読みます)
(坂の頂上、トンネル出口で死んでる。30分くらい動けなかった。)
(坂のご褒美。美味すぎる)
(角煮! これたまらん。)

・・・・・・

蕎麦の宣伝をしたいのではなかった。話を戻す。
その6月の宇陀行き以来半年間、長い距離を漕いでなかったのである。そりゃストレスもたまるというものである。
148km(しかも山越えあり)を漕いだあとは、どうせなら距離を伸ばして200kmに挑戦したい。しかし僕は自転車の距離についてはけっこう慎重派で、最初に100kmを漕げたのが6年ほど前、成田直子さんの展示を見に京都・木津川のアートフェスに行ったのが初めてだったのだが、その後6~7回は距離を延ばさず、100km走行にとどめた。行きっぱなしの自転車旅ならともかく、日帰りの自転車行では「無理をする = 帰ってこれない」だからである。何度も100kmを漕いで、片道50kmなら確実に帰ってこれる、という確信を得てからでないと距離を延ばす自信がなかったのだ。

ともあれ、宇陀まで往復150km近くを漕げたのであるから、そろそろ次を目指してもいいだろう。加齢による衰えが来る前に、200kmは走っておきたいのである。
いや、加齢による衰えはもう確実に来ている。足や肩の神経痛やたまに発現する足裏の腱膜炎に悩まされ、老眼も進み・・・老眼は自転車に関係ないか。とにかく、辛気臭い話だがそういうことなのである。気がつけば57歳ですよ。僕が? あまり信じていないのだけれど、信じていなくてもどうやらそうなのだ。

行先は正直どこでもよかったのであるが、片道90km、往復180kmの地点を探し、和歌山の加太がちょうどその距離であることを知った。人形供養の淡嶋神社、自転車ではないが何度か行ったことがあり、好きな場所である。そこを折り返し地点に定める。
200kmではなく180kmなのは、直前になって生来のビビり、じゃない、慎重さが発動し、いったん180kmで刻むことにしたのである。200kmは次の楽しみだ。

・・・・・・

岬町までは順調に走った。ここで70km。実は前にも岬町までは自転車で来たことがあり(往復140km、宇陀行きに続く長距離記録)、知ってる道は迷いもなく快調に飛ばせる。
しかしここから加太までが未知の20kmである。
地図で見る限り海岸線を回ってそのまま辿り着けそうに思うのだが、どのマップアプリを参照しても海岸に近い道を推奨していないのである。
行ってみてわかったのだが、一番海岸に近い道は何らかの天災後のメンテナンスが不十分で車両通行が禁止されていたのだった。しかし「自転車は可」とある。車の通らない自転車専用道みたいなものだ。これはいい。

で、その道を進んでみたのだが、どれだけ地図を読むのが下手なのであろうか。地図では海沿いに見えたのに、断崖から急にそそり立つ、けっこうな山の中をつづら折りに越える山道なのである。今回はほぼ平地で180km走るつもりだったのに、またも坂に苦しめられることになった。
やっとのことで頂上を越える。大川峠と名前がついている。立派な「山」であった。
(帰ってから地図を読み直した。どう考えても山である。行く前の僕はこれをどうやって「平地である」と誤読したのであろうか?)

ようやくのこと、息も絶え絶えで大川峠を越えて下りのつづら折りの坂を下る。車も通らないことだし、ノーブレーキで駆け下りてやろうか、などと小学校5年生男児なみの蛮勇が首をもたげるが、車が通らないせいであちこちに落ち葉溜まりが出来、これを踏んだら即死だな、という大人の判断で、普通に降りました。

大川峠に手間取り、淡嶋神社に着いたのは14時。途中、岬町「おかの」で石鯛丼食って休んでた時間も含むけれど、出発から7時間も要している。
せっかくの淡嶋神社だけれど、人形群を眺める暇も惜しく、とんぼ返りの帰路につく。
片道、サイコンの記録は91.68km。

(大和川。遠里小野。おりおの。過去記事参照。**)
(まずは岬町をめざす。岬町までは過去にも走ったことがある。)
(いい天気。でも案外寒い。最高気温13℃。)
(岬町「おかの」で昼食。石鯛丼。美味。)


(海沿い一帯、単色で塗られていたので勝手に平地と思い込んだらしい。断崖に聳える「山」であった。)
(大荷物に見えるが、中身はほぼ衣類。軽い。温度調節難しく、重ね着して組み合わせをとっかえひっかえ。)
(車両通行止め、ただし自転車可、の激坂を行く。)

(スズメバチが死んでた。)
(加太に入る。)
(淡嶋神社到着。)

・・・・・・

この日の気温は最高13℃。
服装的に難しい気温だ。漕ぎ続けて汗をかいてきたら少しずつ脱ごうと思っていた重ね着が、微妙な寒さで脱ぐ機会を逸し、しかし中はじんわり汗をかいている。そりゃ寒くても90km走れば汗はかく。
Tシャツにトレーナー、フリースにウィンドブレーカーを重ねていたのだが、それからトレーナーだけを抜いてみたり、トレーナーを戻してフリースを抜いたり、試行錯誤しながら帰路を走っていたが、泉大津あたりで脚が重くなり、思うように漕げなくなった。
キレートレモン補給してまた漕ぐ。思うように回復せず。
フリース抜きで走ってから徐々に体が冷えてきているのを感じていた。もしかしたら体温のせいかもしれない、とコンビニでホットコーヒーを投入。
これが当たりであった。コーヒー飲んだ途端に体に熱が戻り、脚にも力が漲ってきた。
体温維持、大事ですね。
コーヒー飲んだ途端に往路以上のスピードで走れるようになった。人間の体って複雑なんだか単純なんだかわからない。爬虫類とあんまり変わらんのじゃないか。
復活してからは快走を維持。帰路の所要時間は6時間。帰路前半のバテバテな走りを考えると、復活後の脚力の戻りに自分も驚く。
コーヒーは偉大。いや、たぶんコーヒーじゃなくても熱い飲み物だったら何でも良かったんだろうけど。

・・・・・・

とまぁ、オチも何もないのだけれど、加太まで往復180km、走ってきましたよーというだけの、そういうお話でした。
次は200kmだ!

(ファミマのホットコーヒーに感謝。)

→**『遠里小野』

カマウチヒデキ

カマウチヒデキ

写真を撮る人。200字小説を書く人。自転車が好きな人。

Reviewed by
藤田莉江

人生に、生活に、冒険のようなものは必須なんだよなぁ、とカマウチさんの行動力を見て思う。
未知のものに出会うこと、自身のなかの未知の感覚に出会うこと、そのどちらをも満たしたい気持ちが自然とわくのだろうか。
きっとわくのだろうし、このどちらかだけでも物足りないのだろうな、と、勝手にそう思っている。

人というのは何かと出会った自分に、自分自身が驚きたいのだと思う。
割と多くの人が、明言はせずともそんなところがあるのだろうと予想する。
それはストレスを伴うものであることもあるけれど、こういった類の刺激を求め、行動を起こすんじゃないか。

少し努力は要すが、できそうであること。
そのラインを見極めて挑むことも、自分自身を確認し、感覚をチューニングすることに一役買う気がしている。

自分自身をいつも発見していたい。
その願望はどこから来るのかわからないけれど、自分の可能性をみることそのものが精神衛生にはいいものなのだと思う。

ただ、1日で100kmも200kmも自転車に乗るだなんて、考えたこともない自分にはほぼあり得ない可能性だ。
それぞれにそれぞれの可能性があるが、見ようとしない可能性は、やはり見えてこない。

次はこうしよう、今回はここまで。

そう思いながら続けられる挑戦は尊い。

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