今月の頭に、引越しをした。
空っぽになった部屋をiPhoneのカメラに収め、2年半ほど住んだ家を後にする。新しい家は、自転車でわずか5分ほど。そんな近い場所に、更新でもないタイミングで引っ越したのは、恋人と一緒に暮らすためだった。
同棲は楽しみな半面、不安もあった。相手のこれまで見えなかった部分も目につきやすくなるだろうし、一緒にいる時間が長いぶん、ちょっとした行き違いをやり過ごせなくなる。ものすごく仲の良かった二人が同棲をはじめたら5日で別れた、なんて笑えない話も聞くし、自分たちがどうなるか、読めないところがあった。もともとよく喧嘩をするほうだったので、毎日喧嘩になったら……と良くない想像もしていた。
だけど今のところ、基本的には問題なく過ごせている。といっても、これを書いている今はまだ暮らし始めて2週間くらいなので、先のことはわからないのだけど。ただ、皿を洗っておくとか料理を作って待っているとか、一緒に食事をしたいけど相手のお腹が空いていないので我慢するとか、一人暮らしの時にはなかった些細な気遣いがたくさんあって、気を緩めずこれを続けていくことがかなり大事だぞ、と思う。別々に暮らしていた時は、好きでいることと生活することがまったく違うものだったけど、今は些細な生活の歩調を合わせる行為が、相手に好きだと伝える行為と重なっていると感じる。
大切な人との関わり方が変わり、関係性についてあらためて考える。そんな時期に、桃山商事の『生き抜くための恋愛相談』という本を読んでいた。
『生き抜くための恋愛相談』は、清田隆之さんと森田雄飛さんの二人を中心とする「恋バナ収集ユニット」桃山商事が、悩める女性達から寄せられた恋愛相談に回答していく本だ。桃山商事はこれまで「失恋ホスト」として、16年間で1000人以上の女性達から話を聞いている。
ここに収められている恋愛相談は、日経ウーマンオンラインでの4年に及ぶウェブ連載から厳選したもので、「どうして肉体関係から恋人になれないのか」「彼の本当の気持ちがわからない」「いつも片思いで終わってしまう」など、リアルな相談が並んでいる。
男性だと、この質問内容を見て縁遠く感じてしまうかもしれないし、女性でも、こういう相談に男性が答えることに、チャラチャラした印象を受ける人もいるかもしれない。だけど女性と同じくらい、男性が読むことに意味がある本になっている。女性の相談から浮かび上がる「男性」の姿と向き合う、当事者研究の書でもあるからだ。
自分はゲイで、関係の中で男女どちらのジェンダーロールを担うこともあるのだけど(念のため、それは「男と女、両方の気持ちがわかる」とは微妙に違うことは言っておきたい)、どっちのパートについてもわかるなあ、と思いながら読んでいた。
桃山商事『生き抜くための恋愛相談』(イースト・プレス)
この本の特徴は、質問に回答する姿勢がとても丁寧なこと。著者の二人も言及しているけれど、この本の中では頭ごなしに持論を展開することが慎重に避けられている。
たとえば、一番最初の相談は「付き合う前にセフレになるのはアリかナシか」というもの。相談者はある男友達に片思いをしていて、告白をしたところ「まずは肉体関係からなら(笑)」と冗談めかして言われてしまう。相談者は割り切ってセフレになるか、きっぱり断るかで悩んでいる。なんていうか、単純に男がクソな気がするのだけど、桃山商事はまず相談者の好きな彼が「彼氏>セフレ>友達」という価値観を提示しているのに対し、相談者は「彼氏>友達>セフレ」という価値観になっている認識のずれを指摘する。
こういう問題は僕が「男がクソ」と言ってしまったように、個人の倫理観で判断してしまいやすい。それに対し、桃山商事はある種数学的ともいえる論理性で、投稿者の悩みの核(本書では「現在地」と呼ばれている)をつまびらかにしていく。
Twitterなどを見ていても、お悩み相談の歯切れのいい回答にやたらと賞賛が寄せられているのを目にする。でも、悩んで身動きがとれなくなっている人は、その切れ味鋭い回答が示す行動に気づいていないわけではない。「わかっているけど、できない」というのが悩みの核である場合も多いのだ。だからここではズバッと回答するのではなく、まわりくどくても最初は「なぜできないのか」や「本当は何に悩んでいるのか」を、相談文から丁寧に読み解いていく。そして「現在地」を共有してから、ようやく具体的な回答へ向かうのだ。
「わかっているけど、それができたら苦労しない」状況にいる人に寄り添う。そういう意味では、雨宮まみさんの投稿者の愚痴を聞くウェブ連載「穴の底でお待ちしています」に通じるものがあるかもしれない。どちらも相談者に向かい合って答えるのではなく、横並びになって同じ景色を見て、相談者と一緒にその問題と対峙している。ただし、雨宮さんが感情にとにかく寄り添っていたのに対し、桃山商事は感情とは一定の距離をとっている。そのうえで、ともに現在地に立ち、答えを分析していく。
まず、その回答スタイルに膝を打った。もしもこの本を読むまでの自分が誰かに同じ相談をされたとしても、持論や経験則でしか答えることができなかっただろう。世に溢れるお悩み相談の多くがそういうものだし、「誰かに相談する時はすでに自分の中で答えが出ていて、背中を押してほしいだけ」なんて言い草もあるから、相手がなんとなく納得していないように見えても、悩み相談とはそういうものだと思って、それ以上考えることをやめていた。「相談」が持っている力を、これまで見くびっていたとさえ思う。
最近、たまたま友人から恋愛の相談を持ちかけられることがあって、さりげなく意識しながら相談に乗ってみたのだけど、なかなか難しかった(結果的に相談をしてきた彼とその恋人は、関係を持ち直せたから良かったのだけど)。でも、人の話を聞くことの本当の力に触れた気がして、育てていけばこれからの人生を生きる強い武器になるんじゃないかと思う。
これだけで十分に読む価値があると思うのだけど、それだけではない。
二人の冷静な状況分析を読んでいると、「恋愛」についても改めて考えさせられる。それは世にはびこる「モテテク」や安易な男女論、あるいは恋人がなかなかできない人に時折見られる微妙な棲みわけ意識によって、特別な一つのジャンルのように感じられることが多い。実際に特殊な点もあるだろう。だけど人と人のつながりという点で、すべての人間関係と根は同じなのだ。そのことをもとにしているからだろうか、交わされる恋愛相談の内容は個人的で、恋愛話に終始しているにもかかわらず、回答には普遍性が滲む。
たとえば、「男が思う『エロい女』って、どういう人?」という項目では、気になる男性に「エロい女の人が好み」と言われ、エロい女ってどういう人?と悩む女性の相談がある。ここではまず、相談者が「エロい女」と「エロくない女」という二元論的な考え方をしていることを指摘し、最大公約数的な「エロ」をまとえば意中の彼にエロいと思ってもらえるとは限らない、何をエロいと思うかは人それぞれだから、と続ける。そして記号的なエロは一旦置いておいて、コミュニケーションをとりながら彼にとっての実感がともなうエロを探していく必要があると話す。
恋愛は二人で秩序を築き上げていくもので、世間的に良いとされるものがその関係性においては無価値、ということが多々ある。だから、相手の実感を探る以外に関係を深める方法はない。それは、これから同棲がはじまる僕のような人間も忘れてはならないことだろう。そしてこの関係性のルールは、恋愛に限らずすべての人間関係において言える。
人間関係は型にはめられない例外ばかりで、だからこそ替えが効かなくて愛おしいし、類例的に判断することには慎重にならなくてはいけない。だけど因数分解してみると、意外と共通する部分があったりする。共通点を見て、私たちは自然に似通ってしまうのだと思うと親しみが湧くし、同時に、それでも特別な部分に気づくと、一人一人が置かれている固有の体験を尊敬したくなる。
この本が、恋愛に悩む女性だけにしか届かないのはもったいない。女性たちの固有の声を通じて、誰かと真剣に関わろうとする人すべてのための「生き抜く」術が、ここにはある。