とても漠然とだけれど、生きるのはとても難しいと思う。その一方で、気楽に生きていける方法があるのも、ぼんやりと気づいているような、気づいていないような。それを実践できるか、できないかはその人次第だし、捉え方だってそう。多分わたしは相当なネガディブ思考で、上手に感情をマネジメントできないだけ。多分、そう。
いつものことだけれど、結構仕事でのストレスを溜め込みがちで、ここしばらく気がずっと沈んでいる。自分で這い上がるようにコントロールして、浮上状態を保っていることもあるんだけれど、わりといつも崖っぷちだ。ほんの一押しで、がくっと気持ちは沈む。こればかりは、性格的な問題もあるのだろうし、人の目を気にしすぎたり、自分の意向を思い通りに伝えられなくて、飲み込んでしまうせいもあるだろう。なんにせよ、わたしはコミュニケーションが苦手だ。相手の気持ちを読むことも、自分の気持ちを伝えることも、自分でも呆れるくらいにへたっぴだ。
昔は、もっとコミュニケーションが上手やと思っていた。ほんと、ほんと、マジに。自分は人と関わることや、コミュニケーションをはかること、円滑な人間関係を作ることが「得意な方」だと思っていたのだけれど、三十手前になってわかったのは、それが全部思い込みだったということだ。得意だと思いたくて、そのために努力していたけれど、実はちっともできていなかったし、空回りしているだけだった。(という風に自分では認識している。もしかしたら、第三者の目でみたら違うかもしれないけれど)
でも、自分はほんとのところはコミュ障だということがわかっただけでも、素晴らしい収穫だ。三十になるまえに、自分の本当の形や、性質を理解できてよかったとも思う。とはいえ、仕事の中で一喜一憂しすぎているような気もして、もう少し自分を保ちたい気持ちでいる。今日だってそうだ。先輩のちょっとした言葉にずきっとなって、ぐぐっと涙をこらえたわけです。大したことじゃない。だけど、どうしても気持ちがぐらりときちゃう。
ここ最近は、気持ちが乱れたり、どうしょうもないわ、と投げやりになるたびに、ある言葉を思い出すようにしている。とある映画の挿入歌に、” Hold your breath, make a wish, count to three “という言葉があるのだけれど、この言葉を胸の中で唱えるようにしている。魔法の世界に入っていくような、呪文の言葉。大丈夫よ、と自分に言い聞かせるように、胸に手を置いて、しっかり数える。そうすると、なんだか体の力が抜けて、まぁいいか、なんとかなるよね、という気持ちになる。自分を肯定するような、もしかしたら思考停止状態になっているだけなのかもしれないけれど、でも、しっかりと感情をコントロールするように、努力してみる。そしたらまた、一からやり直せる気がする。またやってみようっていう気持ちになる。気の持ちようとはいうけれど、本当にその通りです。
今日は、ほんの少し嫌なことがあったから、キャンドルナイト。あかりを灯すために、ライターに手を伸ばしながら唱えたのは、さっきの呪文。こうやってわたしは、束の間の現実逃避をしながら、なんとか感情の波を整えようと試行錯誤している。