先週、5日ほどUAEに出張していた。
海外に行くのは学生時代から好きだったが、物価が高く、ここでの一泊分はインドや東南アジアでの何泊分になるだろうと考えると、UAEはなかなか足が伸びない国であった。
今回は、企業進出支援を行う国の機関の主催のもと、現地市場の視察、現地政府・企業との商談、またそれだけでなく現地の文化に触れる観光施設の見学もコンテンツに含まれていた。
ドバイ、アブダビといった大都市圏だけでなくフジャイラという(とても素敵な)海沿いの首長国も廻る5日の”キャラバン”で、詰め詰めのスケジュールの中、滞在中の多くの時間をバスの車中で過ごした。
バスが大都市を離れると、そこには当たり前のようにラクダがおり、湿り気の無い地帯が続いていた。
そして、その後また都市に戻ってきて街を走っている中、あることに気付いた。
「子どもが全然おらへん」
基本的に現地の人たちは車移動がほとんどであり、道を歩いている人の割合は日本に比べて圧倒的に少ないが、そんな中でも子どもの数が異様に少ない。
後ほど現地ガイドに話を聞くと、UAEでは出稼ぎ労働者が多く、ドバイなどの大都市では地元民は2割ほどしかおらず、後はインド、バングラデシュ、フィリピン等からの移民であった。
彼らは家族を自国に残して、単身UAEで働いているため、相対的に子どもが少ないということであった。車窓から見える子どもの数が少なかった訳が、ストンと落ちた。
反対に日本では至る所に子どもがいるが、会社員生活をしているとなかなか接する機会はない。
中学高校時代によく近所の公園でボールを蹴っていた頃は、小学生や幼稚園に通っているような子とたまに一緒にボールを蹴ったり、追いかけっこに付き合うこともあったが、そんな機会はもう無い。
また私の同世代には、子どもが生まれた友人もいるが、物心つくような年齢になるのは少し先だ。
ただ、奇遇にも、私は数年前に物心の付いた子どもたちと深く関わった経験を持てた。実家の近くで半年ほど家庭教師を行っていたのだ。
中でも最も記憶に残っているのは、当時小学5年生の男の子N君で、N君の母親はとても受験熱心であった。
N君は、すぐ口応えをする一言でいえば”生意気”なタイプで、少し考えて行き詰るとすぐに「もう考える時間無駄やから、はよ解答見せてや」というのが口癖であった。
お母さんは襖越しに授業の様子を伺っており、N君が口応えするとすぐにお母さんから叱りの言葉が飛んだ。
ただ、お母さんが外に働きに出て家にいない時の授業では、とても子どもっぽい一面も見せ、「この本面白いで」と『ヘンリーくんとアバラー』という本を紹介してくれ、また「俺のお母さん、普通のお母さん達に比べてやっぱり怖い方やんな」と話していた。
また、粉のミルクティーを淹れてくれた際は、「先生は大人やからたくさん入れといたで」と大きなマグカップに並々とお湯を注いでくれた。当然味は薄かった。
訳あって、結局受験までN君の授業を担当することはできなかったが、合格後にお母さんのLINE経由でN君から私宛に感謝の言葉が綴られていた。
それに対し、中学2年生になったら読んでみてと、親に反発して家を飛び出し職を転々とするアメリカの小説を入学祝いとしてN君に送った。「叱られるのは面白くないが、好き勝手やるのもたまにはいい」という気持ちを込めた。
なぜか、大人と交わした会話よりも、子どもと交わした会話の方が記憶に残っている。
大人との会話では、話し出す雰囲気、またその一言目で「あ、この人はこういうこと言おうとしてるんやな」とこちらが構えて推測モードに入ってしまい、実際に語られた内容よりも自分の推測の方が頭に残ってしまうからなんかもしれない。
決してペコペコすることなく、ギラギラした眼で損得を見極める、厳しい男社会で生き抜いてきたUAEの猛者たちとの会話を経た後だと、余計に子どもとの会話が懐かしく感じた。