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3F/長期滞在者&more

中上健次の世界を追って

長期滞在者

年末の帰省に合わせて、和歌山県新宮市を1泊2日で訪れた。
中上健次の枯木灘の世界に少しでも浸かることが目的だった。

12月26日の夜、東京から夜行バスに乗り、早朝名古屋に着く。
名古屋駅の構内はどこも店が空いておらず、5時半に開店するマクドナルドの前には長蛇の列。外は中々の寒さでコーヒーが飲みたくなったので、私も並ぶ。何をするでもなく1時間ほど店に滞在して名鉄バスセンターへ向かう。

事前に計画していた通り、8時10分発のバスで新宮まで向かう予定だった。これを逃したら3時間近く待たないといけない。せっかくバスに揺られるのなら景色を楽しみたいと思い、太平洋が眺められる左側の窓側の席に座ることにする。

発車まで40分以上時間があったので、ベンチに座って本でも読んでおこうかなと、リュックから中上健次の枯木灘を取り出そうとするが見当たらない。リュックの中の衣類や小物を取り出して、隈なく探しても見当たらない。絶対持って行かなあかんからと最後まで机の上に置いていたのが悪かったのか、どうやら入れ忘れていたようだ。

やってしまったなぁとため息をついていると急に腹が痛くなり、バスターミナルのトイレに駆け込む。何とか腹の調子が落ち着いた後、急いで乗車口に向かうと既に多くの人が並んでいる。「うわ、やってしまった」と思いながら、私の前に並んでいる人の数を数えると11人だった。太平洋を眺められる席に座れるか不安になるが、みんながみんな左側の席乗るとは限らへんし大丈夫やと自分に言い聞かせる。

列に並び始めて5分後にバスが到着し、中に乗り込むと、なんなく進行方向左の窓側の席に座れた。バスの中で読むはずだった枯木灘が無いので、海沿いに辿り着くまでは寝ることにする。気づいたら2時間ほど眠っており、目が覚めると左手には海が広がっていた。「おぉ!!」鳥肌が立つ。

バスに揺られること4時間。ようやく終点の新宮へ。新宮の街に入っていく手前、『新宮の酒なら太平洋』という看板を目にする。「太平洋、覚えとかな」と脳内にメモ。

駅前に飾られていた新宮市名誉市民のパネル。もちろん中上健次も。

バスから降り、小腹が減っていたところに寿司屋を発見。普段寿司屋に入ることは滅多に無いが、そういえば新宮では秋刀魚寿司が名物だと聞いていたので、店に入ってカウンターに座り秋刀魚寿司を早速注文する。店にはひっきりなしに地元の人が訪れ、秋刀魚寿司をテイクアウトしていく。中には岐阜にいる友人への贈り物として注文している方もいた。

と、カメラをぶら下げた一人の女性が店内に入ってきてカウンターに座った。注文する様子を見ていると中国からの観光客のようだ。海外の観光客が新宮に訪れることに驚く。お店の親父さんが彼女に英語でおすすめメニューをゴリ押しする様子が微笑ましい。

秋刀魚寿司が出てくる間、何気なくメニューを見ていると太平洋を発見!こんな真昼間から呑む予定は無かったけど、せっかくやからと注文する。秋刀魚寿司と太平洋を腹に入れると、既に新宮を満喫した気になってしまう。

昼を食べた後は宿に荷物を置きに行く。Booking.comで予約した時は気付かなかったが、宿は、一軒家を改修して上の階の2部屋を宿泊客に貸しているようだった。中上健次のゆかりの地を廻るつもりで新宮を訪れ、名所をあまり調べてこなかった旨を伝えると、宿の女将さんはご丁寧に周辺の観光スポットを説明してくれた。神倉神社と熊野速玉大社を訪れることに決めた。

自転車を借りる際、「この時期にこんなに気温が高いこと、滅多に無いんじゃないですか」と声を掛けると、「東京から来たらそう感じますよ。新宮は冬もこんな気温よ」。そういえば、名古屋から南へ南へとバスで走ってきた。暖かく感じるのは当たり前だった。

宿で貸してもらった自転車は普段なかなか見ないビビッドな色の自転車だった。この自転車に跨って、今回の旅の目的である中上健次資料室に行く。資料室について事前に検索したところ、資料室には専属の担当者がいるが、この日は年末年始のため担当者は休みという表記になっていた。とはいえ、何かの用事で偶然にも在室していないかなと微かな期待を抱きながら訪れる。

宿で貸してもらった自転車

自転車を転がすこと10分。辿り着いた図書館は、これぞ図書館という、余計な物が一切無い佇まいの図書館だった。冬晴れで暖かい昼過ぎの時間帯。図書館の窓から日光がほどよく入り込み、空気は抜けきらずに少しこもっている、まさに眠気を誘う要素が凝縮された場所。新聞を机に置いたおじちゃんや部活の服を着たままの中学生が座席で寝ていた。

早速、一階のカウンターにいた職員に中上健次資料室を見学したい旨を伝える。二階の事務所に案内され、「今日資料室の担当者が不在なのですが、いくつか閲覧頂けるファイルあるのでぜひ見ていってください」と三階の資料室に通される。資料室は、資料”部屋”と呼ぶのに適したようなこじんまりとした空間。

「資料室に来てくれた人に渡しているんです」と中上健次ゆかりの地を記したマップ、中上健次と新宮の関係性が綴られた資料。そして、「一人一枚だけなのですが」と前置きされて、中上健次が使用していた名前入りの原稿用紙を一枚頂く。もったいなくて書き込むことは一生無いだろう原稿用紙を受け取り、ここまで来た甲斐があったと満足感を覚える。

その後、資料室は寒いだろうからと二階の事務室に再び案内され、中上健次の直筆原稿のファイルを手に取る。隙間が一切なく、文字に埋め尽くされた原稿用紙を目にするだけで圧倒される。一文字一文字見ていくと、平仮名に特徴があり、かわいい。どのひらがなも「つ」のような横長な形をしている。横への広がり方が、中上健次だなと思う。これで、「り」のような縦長で左右に余白の出る書き方をしていたら、イメージに合わない。

中上健次の直筆原稿。撮影失敗。

直筆原稿のファイルを何往復かしていると、「そういえば、資料室担当者の○○さんが明日来るようです」と職員の方から声を掛けられる。貴重なお話を聞ける願っても無い機会だし、何より図書館と資料室の雰囲気がとても気に入っていたので、翌日の昼過ぎにもう一度訪問することに決めた。帰り際、(中上健次が立ち上げた)熊野大学が発行している雑誌が資料室にて販売されていたので2冊購入する。熊野大学での中上健次の講演録も記載されていた。

特にコレクター気質があるわけではないが、こうした資料を手に入れただけで急に晴れ晴れしい気分になる。大満足で図書館を出て、宿の女将さんにお奨めされた神倉神社へと向かう。自転車を漕いでいると、想像通り、新宮は海と山と川に囲まれたこじんまりとした街だと感じる。

神倉神社は観光マップに載っている地域を”中心部”としたら、中心部のハズレにあった。図書館からは自転車で15分ほどの距離だった。「石段が急だからくれぐれも気を付けて」と話してくれた女将さんに対し、なんのこっちゃいと思っていたが、これがなかなか勾配が急で、一気に登っていくのは困難だった。

石段の頂上に社があり、男性がお祈りしていた。お祈りが終わるまで、私は崖のふもとで順番を待つ。そして入れ替わる形で登り、お祈りを済ませると、ふもとでは私のお祈りが終わるのを女性が待っていた。頂上から眺めた海(太平洋)、街の様子は素敵だった。

神倉神社の石段

石段を下りていると、息を切らしながら登ってくる観光客と思われる中年カップルや飄々とジャージ姿で登っていく地元のおじちゃんとすれ違う。「こんにちは」と声を交わす。

下りきったところで、子ども達に出くわす。冬なのに半ズボンの子ども達。その中に、少しぽっちゃりとした”わんぱく”な雰囲気の子どもがいた。中上健次も幼い頃は同じような格好して、同じように境内で遊んでいたのだろうなぁと思う。その子がまるで中上健次の生き写しかのように少し眺めていた。

神倉神社での登り降り運動後の心地よさもあり、胸いっぱいな心持ちで自転車を漕ぐ。ヤンキーに見つかったら、何かいちゃもんつけられそうな色の自転車だなと改めて思いながらも、”中心地”の北のハズレにある熊野速玉大社までひたすらまっすぐ漕ぐ。途中、居酒屋や酒店をいくつか見つける。至る所で”太平洋”の看板を目にする。

新宮の名酒『太平洋』

熊野速玉神社の境内に到着し、自転車置き場を探していると神社の入り口近くに佐藤春夫記念館があった。

佐藤春夫と新宮が頭の中でまったく結び付かず、「なぜここに記念館が?」と思ったが、どうやら生誕の地であったようだ。2年前この記事の中で言及されていたことをきっかけに『都会の憂鬱』を読み、ニヒリズムの中に暖かさがある小説がお気に入りであった。気質のまったく異なる大作家2人を生んだ、新宮の土地はやはり面白い。

せっかくなのでと記念館に入り、グルっと2階の展示室を廻り、1階に降りると、見覚えのあるCDコンポが置いてあった。私の実家にあったCDコンポと同じだった。実家のコンポは故障してしまったが、ここのコンポはかれこれ20年以上はこの場で使われ続けているのだろうか。佐藤春夫自ら詩を朗読した音声がここで聞けるとのことだった。ぶっきらぼうだがなぜか身体に入ってくる声につられて何篇かの詩の朗読を聞いていると、2名のお客さんが来館されたので、CDを止めて記念館から出ることにした。記念館の主人に御礼を言って帰ろうとしたところ、ミカンを頂いた。新宮=路地と頭の中で勝手に変換して散策していたけど、ここは和歌山県=ミカンの国やったことに後ほど気付き、思わずチャリ乗りながら声をあげそうになる。

新宮=和歌山=ミカンの国
川沿いで一服

その後、川沿いで一服して、自転車を返しに宿まで向かう。その途中の道に理髪店があり、なぜか看板が気になった。新宮で髪切る経験もなかなか無いだろうし、まだ日暮れまで少し時間があったので、ここで髪を切ることにした。店内は繁盛していたが、ちょうどカラーリングの作業を終えたスタッフの手が空いていたようで、すぐ切ってもらえた。私の席の隣では、理髪店のスタッフの若い子とそのスタッフと同級生だった男の子が話している。嫌が応にも会話が全て聞こえてくるが、どうやら男の子は新宮を出ていま大阪で大学生活を送っているよう。しきりと「大阪行ってチャラくなったなぁ」と話してる。「いつまでこっちおるん?」「こっちで誰と会ったん?」「電車で帰って来たん?」と話す会話が耳に残る。

お世話になった理髪店。本当に安くてていねい。

理髪店を出ると夕暮れ時。「この時間に神倉神社の頂上にいたら、太陽が海に沈んでいくところ見れたんやろうか」と少し惜しい気持ちになる。宿に自転車を置き、部屋に戻り、資料室で取得した資料を広げる。アパートメントの記事用にスマホで写真を撮る。

図書館で取得した資料。中央上が中上健次の名前入りの原稿用紙。

畳に腰を下ろすと、どっと眠気が押し寄せてくる。バスの中であれほど寝たはずやのに。はるばる新宮に来たのだが、路地もまだ歩いてない。銭湯を地図で探すと、ちゃんと一軒あった。

資料室でもらった中上健次ゆかりの地図を手に取りながら、銭湯へ向かう。枯木灘のモチーフとなった呑み屋や喫茶店が集まっていた路地は今ではほとんど残っていないことは事前に調べていた。が、線路沿いにその名残はあった。中へ中へと歩いていこうとしたら、住民のおっちゃんが家の前で体操していた。用の無い者が入っていくことに負い目を感じて、路地を後にして銭湯に向かう。

銭湯へ向かう途中、駅の近くに異国情緒な雰囲気の建物があった。妖艶な光に照らされた大きな建物は、新宮の観光地の一つ、徐福公園だった。

妖艶なネオンの徐福公園

銭湯を出た後、夜風を感じながらまた歩く。銭湯の近くに新宮の名所の一つの城跡があったので向かう。とても大きく頑丈な門があったので、中に入っていく。城跡と思い込んで中へ中へと進んでいったが、何か違和感を感じる。GoogleMapで調べてみると大きな宗教組織の施設内に自分が入っていたことが分かり、急いで外に出る。

この門を出て道なりに3分ほど歩いて城跡への入り口を見つける。城跡から坂道を登っていくと開けた場所が有り、そこは駐車場になっていた。この時間だし城跡に誰もおらへんやろうと思っていたら、ワゴンが一台停まっていた。おそらくカップルがデートで城跡を使っているんだろう。私が頂上まで登ったときに邪魔してしまったら申し訳ないなと思い、階段を下りる。歩き回るのをやめてどこか居酒屋に入ることにする。

銭湯へ歩いている最中に見つけた居酒屋に行こうと思ったが、中の様子が分からずに入るのを躊躇う。店の前や近くの居酒屋が何軒か連なる通りをウロウロするが、なかなか中へ入ろうとする踏ん切りがつかず、「やっぱり明日も早起きして歩き回りたいし、スーパーで総菜買って部屋で食べようか」とスーパーに寄る。まず缶ビールをカゴに入れ、お惣菜コーナーに向かうが、何もなかった。年末だし、早々にお惣菜は売り切れていたのか。さすがに新宮まで来て晩飯をカップラーメンにするのもなぁと思ったが、宿の裏手に回転寿司屋があると宿の女将さんが言っていたことを思い出し、スーパーで唯一買った缶ビールを飲みながら回転寿司屋の方向に歩いて行くと、宿の手前に小さな赤提灯の店があることに気付いた。

中に入るとカウンターで地元の方達が飲んでいた。壁に貼られたメニューに”太平洋”の名前を見つけたので、「太平洋を熱燗で」と頼む。「お兄ちゃん、この店初めてか?」と隣のおっちゃんに声を掛けられる。「兄ちゃん、ほんまええ店来たわ。あの壁に貼ってる写真見てみ。このママ、○○のお姉さんやねん。」女将さんはテレビで一時期よく見かけたタレントのお姉様だった。

小説のテーマがテーマなだけに、地元の人たちの間で中上健次がどういう存在なのか知りたく、中上健次の話をする。「お、ナカウエさんので来たんか。文学の研究者かなんかか?」「俺も小説読んでないけど、ナカウエさんのエピソードはいろいろ聞いたことあるわ」あれ、なんでナカウエさんて呼ぶんやろ、読み方間違えるくらい地元の人の間では馴染が薄いんかなとその時は思っていた。

かなりのハイペースでおっちゃんたちと飲むんでいたが、お客さんが酔っぱらう前に閉めるのがこの店のしきたりなのだろう、女将さんの「はい、店じまい!」という大きな声で店は暖簾を下ろす。屈強な男たちを相手とする飲み屋のママはこう強くなくては。と見事な裁きぶりに感心しながら、店を出る。

その後、最後まで一緒に飲んでたおっちゃんともう一軒行くことになり、代行の運転手におっちゃんの車を運転してもらいスナックへ向かう。カウンターとテーブル合わせて約20席がほぼ満員の中、カウンターに座る。年末とはいえ金曜日の夜だ。おっちゃんは店内に何人か知り合いがいるようだ。

おっちゃんの携帯のバイブが鳴り、奥さんから連絡が来ていたようだが、画面を少し見るとすぐにスマホを裏返しにしていた。飲み屋のあとまっすぐ帰るはずだったのであろう。悪いことをしてしまった気分になる。

その後、おっちゃんの後輩も合流し、フィリピンパブに店を替える。おっちゃんの後輩が教えてくれたところによると、おっちゃんはこのフィリピンパブで奥さんと出会ったらしい。「○○には今日来たこと言わんといてな」とおっちゃんがお店のスタッフに冗談交じりに話していた。

1杯2杯と飲んだ後、おっちゃんの後輩から、「なんか俺らのとこに全然女の子付かへんし、他の店知っているからそっち行こうか」と言われ、従うがままに、別の店に行く。

こじんまりしたそのスナックで飲み始めると15分後におっちゃんも合流。その後少し飲んだ後、若干呂律が回っていない声で「じゃ明日仕事やから先帰るわ」とおっちゃんは言い放ち、先に帰って行った。まさか翌日仕事があるとは思っていなかった。新宮の男の強さを感じた。

その店には、カウンターで一人で飲んでる女性がおり、おっちゃんが帰ってからその女性も含めて飲んだ。太平洋とウイスキーの水割りが身体に溜まって来たのか、私の記憶も朧気になる。年下だと思っていたその女性は、私より5つ年上で小学生の子ども2人を女手1つで育てていた。今日は久しぶりに子ども達を寝かしつけてからバーに来たとのことだった。

明日は早起きして熊野古道を歩いてから図書館に向かう予定だったが、その予定を早いうちに諦める。

当たり前だが、夜という夜は会話から生まれ、更けていく。

キタムラ レオナ

キタムラ レオナ

1988年兵庫生まれ

Reviewed by
小峰 隆寛

小説家の足跡を辿る行為は、まるでそれ自体が小説になるかのような、深みのある物語を創る。特にレオナさんと媒介することで、より'それ'っぽくなっていく。

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