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2F/当番ノート

美と想像と藤田

当番ノート 第50期

1週間が7日というのは、子供の時はなんとも長く感じるものだった。まだ月曜、火曜たるいな、水曜日やっと半ば、木曜日まだあるのか、金曜日やった金曜だ、土曜日はやっと週末を感じ、日曜日を迎えていた。

それが、いまではビュンっていう感じ。いや、早過ぎだろう。7回寝ているはずなんだがね。アリの感じる時間と鯨の感じる時間が違うことは聞いたことがあるが、同じ人間でも年齢で大きく変わる。そう考えると、時間というのは客観的に見えて実はすごく主観的な尺だ。

そんな感じで時間がどんどんどんどん早くなっている中で誕生日を迎えた。いやー30代最後の年になってしまった。20代に比べてやはり圧倒的に早い。なんだか遠い昔になってしまった10代と比べたら本当にビュンっていう感じだ。突風のように進んでいく日々の中で、取捨選択が大切になってきている。そして作品を作っていくことにより意識的に時間を注がないといけないなと感じる。なぜなら作品に力があれば自分の持つ時間の尺を越えて存在していってくれるからだ。

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昨年のイベントの動画。

私は祖父が広島の原爆を見た人間だったので、原爆をテーマにした作品を制作している。この作品は約1000枚の燃える折り鶴の写真をフイルムで撮り印刷し、床一面に並べているものだ。この一面の炎は原爆の光を見出すもの。広島の原爆の炸裂した光が写真で記録として残っていないからこそ、その「記録の空白」を想像で見出すための装置として制作した。
作品についてもう少し詳しく見たい人はこちら

もう75年前の出来事。人間の生の尺で言えばそろそろ限界がきている。いずれ来る「経験」の消失を経ても、しかし、この炎の光の先にはその時間の壁を超えてその世界を見出せると信じている。それは「記録」というものから、もう一歩進んで本当に生と繋げるために必要なこと。その意味で私は人の想像力を信じているが、それはどのような分野でも必要なことだと思う。

作品の上でお母さんが被爆者である日本舞踏家の方に踊ってもらうのはもう何回もしている。そして、良いと思う音楽家の方に演奏をしてもらい舞台を構成している。良い。ヴァイオリンと太鼓の響き合い、とても合っている。今回のイベントのために新たに曲を構成したくれたことに改めて感謝。


今回のイベントを行なったのはパリの国際大学都市の日本館。藤田嗣治の絵が飾られている。私は藤田の絵が好きだが、藤田の人生、第二次大戦下での活動なども興味を持っている。結局全ての責任を着せられてフランスに亡命のように旅立った藤田。近年の手のひらを返したような日本の賞賛。藤田を考える時に、人間の業や人間の愚かさを考えないはずにはいかない。

しかし、そうした色々な思い巡らしなどどうでも良いよと感じられる程、やはり彼の作品はただとても美しい。特にここに飾られた作品は大型で、旅というテーマが隠されている。今回のイベントは「旅と星」というタイトル。そこには複合的な意味を込めているが、その一つは藤田の存在がある。

死と生を繰り返す以上、人はまた愚かなことをするのだろう。しかし、旅の先に美が、そして想像力の先に未来があれば良い。

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コロナによる外出制限は40日近い。こうした外出制限は実は17世紀とか過去の疫病の際にもされている。本当に似た感じで、許可を得ないで外出すると罰せれれるのも同じ。これだけ科学技術が発達し、たくさんの経験を蓄積しても人がウイルスに対抗する手段は数百年前からあまり変わっていない。

人間とはそういう存在なのだろう。私たちは神ではない不完全な存在としてこれからも在る。だからこそ、できることと出来ないことを峻別する知恵と、現実と未来への想像力。それを常に求め、得ていくために手を伸ばしていかなければならない。

澄 毅

澄 毅

写真で作品をつくっています。
文章を書いたり、ドローイング的なことも好きです。
1981年に京都と大阪の境で生まれ、12年東京に住んでからパリに在住。
2012年に写真集「空に泳ぐ」(リブロアルテ)を出版。
2019年には二番目の写真集として「指と星」(リブロアルテ)を出版
マイペースな時と締め切りに追われる繰り返しに平穏を感じています。

Reviewed by
鈴木 悠平

不完全で、忘れっぽくて、過ちを重ねながらも個としてはあっさり死んでいく私たち人類が、「記憶の空白」を空白で終わらせないために。その先に光を見出すために。

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