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2F/当番ノート

12年前の旅

当番ノート 第50期

私はこの文章を5月11日の午前1時に書いているのだが、この1時間前に50日間以上フランスで続いていた外出禁止令が一部解除になった。とりあえず単純に嬉しい。もともと引きこもり系の人間で、こもりつつ作品を作ることが好きなので家にいることは苦ではないと思っていたが、いやはや、予定がない日々が50日も続くと時間の感覚がおかしくなってくることがよくわかった。

宇宙飛行士が訓練で日常の繰り返しを繰り返し練習するという話をどこかで聞いた気がするが、ある意味パリの少し郊外に今いる私の家は宇宙船化したようなもので、シャトルである家と、船外活動で3日に一度いくスーパーという日々はかなり平坦であり、人間こういう時にいかに生活と日常を維持して行くかが課題になるんだなと痛感させられる日々だった。その意味でこのアパートメントの連載は1週間の決まりのような習慣になっていて時間の感覚を維持するのに助かっている。

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さて、そんな感じで絶賛引きこもりだった日々で人間というのは「いつかやろう」と思っていた作業を、ついにしなければならない場面に直面する。いや、もう逃げられない。だって時間があって家にいるんだから×50日間。で、何をしたのかというとフイルムのスキャニングである。

12年前の広島と呉への旅。祖父が見た原爆の光を見いだせるかという旅だったが、結果その光はこの世界の何処かにあるのではなく、見いだすための装置(作品)を作ることで初めて見出せると思い至る旅だった。その作品は前の前に紹介した燃える折り鶴の写真を1000枚置くというものだったが、その旅の中で撮った写真に12年ぶりにフイルムスキャンで会うことができた。

本当に少しだけ、見せたいと思う。

平和祈念公園で撮らせてもらった手。広島市民球場、千羽鶴。
12年を経て、全てが変わり、あるものはもうこの世界から消えてしまっている。
懐かしというよりは、もう一度出会えたという感覚だろうか。正直今回のコロナがなかったらスキャンしなかった。その意味ではこの出来事が再び私を広島への旅に連れて行ってくれた。

写真はたくさんある。しかも中盤カメラという結構カメラもごっつくて重く、フイルムも高いものを使っている。金のない中、何かを掴むために必死だったんだな、というのを思い出す。12年後にこうして再び会うと、あの時の気持ちや息遣いが蘇ってくる。

旅は呉へ


目が悪かった祖父は75年前、徴用工として働いていた呉から、戦地に向かうための列車を待っていた呉駅のプラットフォームで原爆の光を見た。その街は私にとって特別な街。海からフェリーで入った時の感覚は今でも忘れがたい。そういえば呉の鉄工所が閉鎖になるということで、この高炉の煙突も消えて行くのだろう。写真は残り、現実は消えて行く。寂しくもあるがだから人であり、シャッターを切る意味も生まれる。

さて、今回フイルムをスキャンしたのは新しい作品を作るためだ。
この写真を撮ってずっと出来ずにいたことだが、やっとそれができそうな気持ちになって来た。待っていてくれてありがとう。物理的な旅は12年前に終わったが、私のなかではまだ続いていた。そしてまたこのフイルムと共に旅が始まるのだ。

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アパートメントの連載も後半に入って来た。

連載を振り返ってみると、この単調な日々の中でも色々考えていたなと自分自身が良いアップデートになる。人は忘れる。それはそういう存在だから仕方がないのだが、だからこそこうして一つのレコードにしていくことは大切だなと改めて感じる。

まだまだ書きたいことはありそうなので(というか写真集の話をまだしていない)、もう少しお付き合いいただけたら嬉しいです。

澄 毅

澄 毅

写真で作品をつくっています。
文章を書いたり、ドローイング的なことも好きです。
1981年に京都と大阪の境で生まれ、12年東京に住んでからパリに在住。
2012年に写真集「空に泳ぐ」(リブロアルテ)を出版。
2019年には二番目の写真集として「指と星」(リブロアルテ)を出版
マイペースな時と締め切りに追われる繰り返しに平穏を感じています。

Reviewed by
鈴木 悠平

12年の歳月をまたいで、パリと広島、澄さんとおじいさんの記憶が再びつながる。広場に開いた穴。次はどこに彼を連れていってくれるのだろう。旅はまた始まる。

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