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2F/当番ノート

モノクロとカラーとAI

当番ノート 第50期

写真の話をしよう。

モノクロは撮った瞬間から死んでいる。というのは荒木経惟の言葉だったろうか。それは違う言い方をすれば時を持たないもの。また別の言い方をすれば永遠を持つということだ。物理的には多少違うところもあるが、認識のレベルではモノクロは色あせることなく「ずっと同じで、変わらずここにいる」ことが担保されている。
一方でカラーは絶対的に生であり時間を持つ。それは物理的にプリントされた写真は時間と太陽の光によって変色し色あせるところから起想されているのだろうし、例えばyoutubeなどで昔の映像などをみていても70年代、80年代、90年代、そして2000年代の色はそれぞれ違う。つまりカラーは「何一つ同じものはなく、常に変わり続ける」存在なのだ。

今の時代はphotoshopなどがあるし、カラーとモノクロの技術的な境界はだいぶんなくなってきたようにも思うが認知のレベルではまだ当分この認識が続くのではないかと思う。

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まあ、上記のようなことはよく言われることなのだが、最近AIがモノクロ写真をカラーにしてくれるサービスが現れきて、これが面白い。こちらはシンガポールの政府系の研究所なのかな。そこが無料で提供しているサービスだ。

これまでもモノクロ写真をカラーに変えるというサービスは存在していた。しかしそれは人が手作業(もしくはPC)上で色を判断・想像して行なっていたものだ。なので自分で行おうとすると高い技術と結構な時間が必要になるし、外注すると高額の費用がかかっていた。それを無料で提供、そして瞬時に変換してくれるなんてすごい時代になったものだ。

それでいろいろと試し始めているのだが、蚤の市で買ったフイルムが今一番面白い。フイルムの劣化具合やサイズ、写っている世界の感じからおそらく50年以上前に撮影された写真だと思う。

これをAIでカラー化するとこうなる

何か生き生きしてないだろうか。蚤の市で買ったフイルムなので、私はこの写っている人を全く知らない。どんな名前でどの国の人で、写真に写った情報以外は全く何も知らない人たち。そんな彼らがカラーになった瞬間に私の生にリンクしてくるように感じる。

何かモノクロだと接続しなかったものが、カラーになった瞬間に接続してくるような感覚。カラーは生だと書いたが。他者の存在に結びつくには死では難しい。カラーになったことで文字通りに「新しい生」を得たのだろう。

「新しい生」。それはこの生はAIを通して現れた新しい命だからだ。そしてそのAIが引き起こす誤配を私は面白く感じている。

どういうことだろうか?AIはデータ上の演算に加えて学習して色を学ぶ。ウエディングドレスを白くするのもその学習の賜物だろう。それはかなり正確なのだが、一方でこうした写真が現れたりする。

海の色が黒というのはあるが、男の子の服がかなりビビットなピンク。女の子の服はかなり彩度が低くて一部分だけブルーになっている。おそらくこの色は当時の彼らの服の色とは違うと思われる。赤青黄緑などの色はモノクロになってしまうと今の段階ではAIといえども同じ色は完全には取り戻せずに違う(可能性がある)色が配置される場合がある。そこにAIの想像や経験の誤配が現れる。ある意味AIは「うーんわからない。ここはこんな色なんじゃないかな」といって色を置いているのだ。それが私には面白いのだ。

通常、私が自分で撮ったカラーの写真を見る時。そこには私が観た世界がそのまま広がっている。他の人が撮った写真もまた色の傾向はあれど世界の色がそのままあるという前提は揺るがない。しかしこのAIで色付けされた写真は私と世界の間にAIがいる。そのよくわからないものが色を与えることで、50数年前の「かつて、そこに、あった」世界が少し変容して私につながる。そしてそれは私の中にも新しいこれまだなかった誤配と発見を導き、新しい世界の出現を感じるのだ。

せっかくなのでもう少し写真をあげておこう。


なんだか微笑んでしまう。彼らが色を持ち、その色が誤配を生み、見る人の生に結びつき新しい世界を作っていく。50年以上前のフイルムに。
世界はまだまだ新しい魅力が隠れている。

澄 毅

澄 毅

写真で作品をつくっています。
文章を書いたり、ドローイング的なことも好きです。
1981年に京都と大阪の境で生まれ、12年東京に住んでからパリに在住。
2012年に写真集「空に泳ぐ」(リブロアルテ)を出版。
2019年には二番目の写真集として「指と星」(リブロアルテ)を出版
マイペースな時と締め切りに追われる繰り返しに平穏を感じています。

Reviewed by
鈴木 悠平

AIによるモノクロ写真のカラーリング。技術が進歩し、驚くほどの精度だ。
そして、だからこそ、概ねリアルに見えるカラーリングの中でのちょっとした誤配が面白い。

「うーんわからない。ここはこんな色なんじゃないかな」と、AIが色を置いてみる。
「いや、それはまぁ、ちょっとさすがに、違うんじゃない」と、ツッコミを入れる私たち。

生きている誰も「正解」は知らないし、知ることはできない。
いや、知ろうとすることがそもそも野暮なのかもしれない。

誤配と戯れることが、私たちを遠くに運んでくれる。

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