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2F/当番ノート

やあ

当番ノート 第50期

色あせたポジフィルム。その先で手をあげるあなた。
あなたが「何者」か私は知らない。
いつ、どこで、誰に手をあげていたのかさえ私は知らない。
もちろん、国籍も人種も年齢も。
何も知らないあなたは、しかし手を上げて、足をしっかり締め、良い角度でわたしに手を振ってくれている。



嬉しいなあ。

おそらく、このフイルムの色あせ具合と、たぶんピンボケしているであろうがそれでもわかる年齢具合から、2020年の今、あなたはこの地上には既にいないと思われる。たぶん日本人の知り合いなどいるはずないだろう。

それでも手を振るあなたを私は見ているし、そしてその姿に私は少し心を動かされ、口角をすこし持ち上げている。ゆかりもないあなたに縁ができてしまった。

「どうかお元気で」そう言っているのかな。
たぶん友達か家族に向けれらたその言葉は場所と時間を超えてあなたの知らない人にも伝わっています。

「どうかお元気で」
わたしもあなたにそう伝えたい。

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太陽が爆ぜ、光が生まれ、宇宙を一直線に渡り、手に届く。
光の前には全てのものが飲み込まれていく。
わたしも、あなたも、彼も彼女も。

まあ、それはずっと先。
私たちが生きている間は、おそらく我々が余りにもバカなことをしない限りは光は続けて恩恵を授けてくれる。朝起きたら光があり、夕方赤く染まる美しさを知ることができる。もちろん日光浴も。それがずっと続いてくれることは幸せだ。

両手を降ろし、小川の上に立つ。
曇り気味で、頭上の木々は生い茂っていて、そんな光の恩恵はあまり感じれない場面。確か夏場だったから寒くはなかっただろうが水は冷たかった。その上に立ち、こちらを見据える。細い腕は重力に忠実にまっすぐと伸び、視線はまっすぐと弛むことなく正面を向いている。

「この時何を考えていたの」
いつか聞こうと思っていて、だいぶん時間が過ぎてしまった。
具体的には5年以上。もう忘れてしまっただろうか。

沼にはまるように思考がまとまらない時は家の整理をする。
物理的な整理が始まると頭のメモリーの整理が始まる。

忘れること
忘れてるべきこと
忘れてはいけないこと

例えば物事をそんな感じにカテゴライズするとして、時に人は忘れるべきことを覚えていたり、忘れてはいけないことを忘れていたりする。奥の方から出てきた品物を、大切にしていたはずなのに由来を忘れてしまったり、もういいやと思っていることがずっと脳裏に残っていたりする。まあ、たとえ自分の器であっても自分を自分を完全に支配することはできない。

光で顔がわからないと、知っている人のはずが、わからない時がある。
数年前の写真だと、写真に残っていたはずの「あの時の顔」と「最近の顔が」混ざり、新しい顔をその光の空白に当てはめてしまいそうになる。

あの日、あの時、あんな話をしながら撮っていたな。
それは覚えているのに、肝心の君の顔がわからない。
でもだからこそ、私は君を考え続けていくことができる。

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さて、ポエティックな文章を書きたくなってしまった。
コロナの影響でフランスの外出禁止令は1ヶ月を超えそうだ。ほとんどの時間を家で過ごすことになる。窓の外の木々が、若葉をつけてきた。逆光に揺れる若葉は本当に美しい。自然より美しいものなどこの世にはないのだろう。ちょうどコロナの関係で人のいなくなった都市が水質や大気汚染が改善したというニュースも聞く。

しかし、家の整理をするのに今回ほどの好機はないだろう。いろいろ整理している。「ときめかなかったら捨てるべき」だったかな。うーん、確かにときめかないものを分けるとかなりスッキリする。ときめかなくても残しておかないとないというものは写真に撮って捨てている。結局「いつか」は捨てなければいけないのだ。だいぶんスッキリしてくると、新しい制作も始められる。コロナの関係で軒並み展覧会が中止になってしまったからこそ新作も作るチャンスなのだろう。

そんなわけで写真作品と並行してドローイングにも力を入れている。またこちらもいろいろ気づきがあるので書きたい。あと、写真集のことも書きたい。書きたいことがいっぱいだ。

澄 毅

澄 毅

写真で作品をつくっています。
文章を書いたり、ドローイング的なことも好きです。
1981年に京都と大阪の境で生まれ、12年東京に住んでからパリに在住。
2012年に写真集「空に泳ぐ」(リブロアルテ)を出版。
2019年には二番目の写真集として「指と星」(リブロアルテ)を出版
マイペースな時と締め切りに追われる繰り返しに平穏を感じています。

Reviewed by
鈴木 悠平

写真って不思議だ。

ものすごく遠くにいるはずの存在と繋がっているように感じられることもあれば、身近だったはずの存在が、自分の知らない表情を見せることもある。

これも光のなせる業か。

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