かま・ける【▽感ける】 の解説
[動カ下一][文]かま・く[カ下二]
あることに気を取られて、他のことをなおざりにする。「遊びに―・けて勉強がおろそかになる」
休みにかまけて、小田原に遊びに来た。
車が運転できないので、駅から諸々徒歩で回れる小田原は何不自由無く過ごせる観光地だ。
駅を降りたって小田原城の方に歩いていく。前回来た時にはまだオープンしていなかった小田原市観光交流センターの中に入っているカフェでコーヒーと地元の魚介が入ったピザを頼む。
小田原城を眺めながら、テラス席といっていいのか、道路に面した広場にある席に座る。せっかくの休日なのに、いつもの癖でついついケチってしまい、Lサイズのホットコーヒーを2人で分け合いながら飲む。そのコーヒーが二宮尊徳に肖った名前のコーヒーだったので、その場でスマホで調べてみると、二宮尊徳翁をお祀りした神社がすぐ目の前にあることが判った。
ピザとコーヒーを楽しむと、まだ何もしてないのに、もはや落ち着いた気分になる。このまま日暮れまで日向ぼっこもええなぁと思いつつ、重い腰を上げて横断歩道を渡り、小田原城の門を潜る。
「城の中に入るんは有料みたいやからやめとこか」
門を入って直ぐの大木のてっぺんに止まっては、また飛び立ち、どこかで拾った枝を咥えて戻ってくる白鷺をずっと見てた。巣を作っていたのだろうか。
空はびっくりするような青空で、これは小田原だからこんな絵になるような空なのか、都内も同じく青空が広がっていたのか。
城の内部は有料だったので入らなかった。
城の裏手に回ると、子どもたちが遊ぶための、最近流行りの意図的に狙ったレトロでは無く、純粋な経年劣化でレトロなゴーカートがあった。そのゴーカートのコースから二宮尊徳翁の祀られている神社を経由し、心待ちにしていた小田原文学館へ向かう。
様々な作家の展示があったが、私は川崎長太郎しか眼中に無かった。
川崎長太郎の直筆原稿の目を見ている時、彼女に「長太郎先生の字、案外雑やねんなぁ。これ俺のほうがうまいんちゃうん」と語りかけたら、「病気して右手が動かなくなってから、左手で執筆してたときの原稿ってここに書いてるやん」と言われ、背筋がビクッとする。
長太郎先生に縁の品が記念に売っていたら買いたかったが、何も販売していなかった。
商売っ気が無くどこか余裕がある感じも小田原ならではなのか。関西とは文化が違うなと感じる。
隣では彼女が「”小田原事件”ってなんなんやろう」と言って、谷崎潤一郎とその妻の千代と佐藤春夫とドロドロ劇をスマホでググっていた。
川崎長太郎先生の直筆原稿を見ることができて満足していたが、小田原文学館の白眉は隣接する白秋童謡館だった。
北原白秋は教科書で童謡の人という認識はあったが、いったいどんな人生を歩んでいた人なのかはまったく知らなかった。
童謡館の2階にあるテレビに映し出される15分ほどのドキュメンタリーをその場で見たが、白秋は人に好かれる性格で、結婚離婚を繰り返していたようだが、残された手紙には「寂しいから今すぐ来て」と認められており、自分の気持ちに忠実に生きていた人のようだった。
白秋が今の時代に生きていたらカニエ・ウエストのように、自分の純粋な気持ちをTweetしてしまってそれをまた消してを繰り返し、周囲の人に心配されながらも優れた詩を残したのだろうか。
白秋のドキュメンタリーの中で度々出てきた”人間味溢れる”という言葉が、長所も短所も関係なく纏めてしまう言葉に聞こえて少し卑怯だと感じた。
思わぬ出遭いに満足して、文学館から歩いていると、豪邸、邸宅というよりも要塞という言葉がぴったりな建物があった。
一体誰の家かと思いググってみると、それはとあるメガネ関係の会社の創業者の家だった。
あまりに頑丈な正面玄関から数十メートル歩いた先に小さな扉があり、「ちょっとコンビニでも行こか」というときはおそらくこの小さな扉から出るんだろうなと思った。正面玄関の扉を開ける機会は年に何回ほどあるのか。来客があるときだけのスペシャルなものなのかもしれない。
海に出てみた。
前回訪れた時と同じ光景が広がっているものとばかり思っていたが、まったく異なる波が待ち受けていた。
これまで見たことのないくらいの波の高さ。この波を至近距離から撮影しているおじさんがいた。
そして荒波の中、立ち入り禁止の防波堤まで入って釣りをしている2人組の釣師がいた。荒波のときにはよく釣れるんであろうか。そして、もし2人でなく1人でも行ったのだろうか。
よくサーフスポットでは、もも下、ひざ下など翌朝の波の高さの予報が重宝され、波が高いときに絞って海に出る人も多いが、砂浜があって波も高いこの地で誰もサーフィンをしていないのには何か訳があるのだろうか。行政によって禁止されているエリアなのか?はたまた砂浜の深さがサーフィンに合わないのか?近くに駐車場や水シャワーが無いからか?
高波にしばし見惚れた後、前回の訪問時に偶然発見した、かつて川崎長太郎が住んでいた小屋があった場所に建てられた石碑を再び見に行った。高波のせいなのか、今回は石碑のある広場から海へと続くトンネル(防潮扉)は閉まっていた。
夕焼けの時間になり、冷えてきたので、駅に向かっていると、建物の上に珍しい鳥が止まっていた。気になって鳥が飛び立つまで見ようとしたが、じっと待っていても飛ばなかった。バードウォッチャーなら飛び立つまでの時間を今か今かと楽しみに待つのだろうが、我々は3分ほど辛抱した後に、そそくさと諦めて駅へと歩く。
帰り際、小田原駅の前に新しくできた商業施設に立ち寄ったが、最上階は展望階になっており、足湯が設置されていた。
親切にも足を拭う用のタオルも販売していたが、足湯は混雑していたので通り過ぎてテラスを端へと進んでいくと、小田原城がライトアップされていた。
「今日は何もかもうまくいかなかったなぁ」という日があっても、家までの帰り道に城があったら、どこか少しは心を落ち着かせることができそうな、できなさそうな。
帰り際、1,000円する蒲鉾を買う/買わないで少しばかりの言い合いをして、小田原から新横浜まで新幹線を使った大人の移動をし、自宅まで30分ほどの電車の旅。
家に着いて、北京オリンピックのスキージャンプ団体の決勝を見ながら、「小田原めっちゃええとこやったな。今日廻れへんかったところも含めて、また定期的に行けたらええな」と話す。
そんな会話をした翌日、彼女は仕事で使うスマホを小田原駅前の商業施設のトイレに忘れてきたことに気付き、今度は鈍行列車に乗って再び家と小田原を往復していた。