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3F/長期滞在者&more

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長期滞在者

加古川のフォークシンガーの曲の中に、”こんな朝に誰が飲むのか判らないけど牛乳を配る”という歌詞の名曲がある。こんな文章誰が読むのかといつも思いながら書いてるが、決して自分自身のためだけに書いてるのではなく読んでるくれていることを知ってる数人に向けて、偶然呼んでくれるだろう数人に向けて書いている。

3月末からの1ヶ月のうち、半分の間身体を壊していた。

いつも大事なアポがあるときなどに身体を壊す傾向があり、コロナ禍にそれが見えづらくなっていたのだが、昔からそうだった。

ちょうど地元の神戸でアポがあり、そのまま帰省することとした。アポの後に、マレーシアから一時帰国していた同僚と神戸で飲んだ。

昔から行きたいと思っていた元町の金時食堂で飲み、その最高過ぎる雰囲気も合わさり、ついつい飲み過ぎてしまう。

繁華街からタクシーで実家に着くも、マンションのオートロックの番号が変わっており、中に入れない。実家といっても両親ともにこの家にはおらず、どうしようかなと思って、郵便受けの中をごそごそしていると、オートロックの番号が変わったお知らせの紙が入っており、助かる。雨にやられたけどシャワーも浴びずに布団に直行した。

翌日の土曜日。神戸ではBjork、大阪ではPanteraがライブをするという関西にとってなかなか無いような日だった。もしチケットが余ってる人がいたら行きたいなと思っていたが二日酔いでそれどころでは無かった。

久しぶりに土日をゆっくり過ごし、その後の一週間は新年度が始まり、バタバタと仕事をしながら、夜は関西の街を少し歩きながら過ごした。

ハーバーランドでデヴィッド・ボウイのレイトショーを見に行く。ドキュメンタリー映画の範疇を超えたアート作品だった。

そこから一週間ほどを過ごす。どう過ごしたかは記憶に無い。

とにかく立ち食いうどんばかり食べる。スタミナうどんという、てんぷらと卵が乗っているうどん。大抵、ラジオからは阪神の試合が流れている。特にファンでも無いが、それだけで幸せな気持ちになる。

ある日の平日の夜に、京都の西院ウーララにブロンドニューハーフのライブを見に行く。対バンにはニプリッツでギターを弾いていたZinさんのバンドが出ていた。

ウーララでは小学生低学年くらいの子どもがお母さんと一緒に来ており、タブレットとコントローラーとヘッドフォンでライブ中もゲームをしていた。コーラの他にもカフェオレをと、ドリンクを飲んでおり、しっかりお店に貢献していた。20年後にはコーラがお酒に代わって常連さんになっているかもしれないし、ステージに立っているかもしれない。

実はウーララに寄る前に、西院駅直ぐの折鶴商店そばの飲み屋に入ったら、Zinさんご一行がいらっしゃった。ただ、オーラがすごくて話しかけられなかった。

神戸から京都まで1時間ちょっとで阪急だと片道500円もかからないが、さすがに夜に西院のライブハウスに行くためだけに京都に移動したのは初めてだった。

京都も行けたし、そろそろ関東に帰ろうかと思った金曜の夜。こちらは仕事を終えた後、仕事の状況から相手の状態を分かっていながら、知らない振りをして電話で話した。

そして、自分も何か行動しないとという気持ちになり、その結果なぜか終電間際の阪急電車に乗って心斎橋のClub CircusへKettamaというアイルランドのDJのイベントに遊びに行く。

フロアに長い時間いると疲れると思い、アメ村の三角公園のガードレールに腰かけて、以前こっそり録音した豊田道倫のライブ音源を聴く。

土曜の夜なのにアメ村にはあまり人は多くなかった。みんなもっと違う場所で遊んでいるんだろうか。
初めて足を踏み入れるClub Circusの店舗の前では「このビルの上はレゲエのクラブやからビル内ではしごする人も多くおるで」と話す声が聞こえた。

Club Circusは広過ぎず狭過ぎずで、とても好感が持てる場所だった。結局朝4時前に帰りに何か食べようと外に出る。

心斎橋の大通りの交差点で、ちょんまげ姿の力士数人がホステスを引き連れて歩いていた。ちょうど大阪場所が開催されているのだろうか。

大きいなぁと思いながら見ていたら、ちょうど同じ目線の動きをしていた人がおり、自然と「めちゃ大きいですね」と伝えていた、「そやな」と返答があった。

口元にピアスが何個も付けられており、ナインインチネイルズを聴いていそうな、ドラゴンタトゥーの女のルーニー・マーラみたいなファッションの人だった。

そこから自然と一杯飲みに行こうかという流れになり、「コンカフェ知ってる?」と言われ、何の略か分からず知らないと伝える。「知らんのやったら行ってみようや」と言われ、行きつけらしいコンカフェ(コンセプトカフェ)に入って飲む。

その人は、中国から来ているソルトというあだ名の学生だった。
修士課程が取れず、国に帰らせられる寸前で、近くのバーでいつもバイトをしているらしい。

店には1時間ほどいて、2,500円ほどを割り勘で払う。

決して綺麗ではない朝焼けを見ながら通りに出て、「金龍ラーメン食っていくか?」と言われるが、飲み過ぎて気持ち悪く断る。

明日は10時から中国人の先輩グループと花見をするらしく、駅で別れる。

翌日の昼に無事に花見に行けたかLINEすると、「寝ぶっちした、先輩に殺される!」と返信が来た。

その翌日もなんやかんやで夜にFramtidのライブを見るために難波へ向かった。

Framtidは緊張と畏怖が共存しているようなライブで、猛烈だった。
ハードコア、ノイズのライブに行くときは耳栓を付けるようになった。そのスペースの周辺だけがクラストの格好をした人たちで埋め尽くされていた。

せっかくまた大阪に行くので、これまであまり行ったことの無い、堺、泉大津、関西空港の方を目指す。

泉大津まで行こうとしたが、途中Google Mapで川沿いに大きな公園を発見し、羽衣という駅で降りる。

羽衣駅から徒歩10分ほどの距離にある公園は想像以上に大きく、また川に並行して公園となっているので、縦に長い公園だった。

ただ、川の向こう側には仕事でも付き合いの深い企業の工場があり、いきなり現実的な気分になる。

大阪の南の方にはまた独特な香りが漂っている。

翌日、姫路に行く。

姫路といえば、ニプリッツを率いていたひろしNaさんが亡くなったばかり。

ひろしさんがよく行っていたというレコード屋さんに行って、ひろしさんが昔組んでいたポートカスのライブDVDを買う。

途中通った姫路城はそれはそれはすごい観光客で、外国人観光客がこんなに戻ってきているのを改めて知る。
また姫路城が桜のシーズンにこうも人が多いと知らなかった。

また姫路にもう一つ新しく別のレコード屋ができたと聞いていたので、歩いて目指す。ビルの4階にあり、案内も少ない様子。

ピンポンを押すと、店長が中で弁当を食べており、ちょうど休憩中だったようだ。

休憩中にも関わらずお店を開けてもらう。
中はレア盤も多くあり、ハードコアパンクやサイケデリックなど、狭い店内の中には圧倒される品揃えの品物が並んでいた。その店長が書いたであろうコメントを読むだけでも面白い。どうやってそんな知識を詰め込めるのだろうか。

窓から光が入ってこない構造で、店内が薄暗い中、そこで1時間くらい過ごし、何枚かレコードを買う。

店を出て電車を調べると、10分後に姫路駅から電車が出ると表示がありダッシュで向かう。

駅には姫路城帰りの人が多いだろうと思いきやそうでもなかった。

神戸の情報誌でちらっと載っていた滝の茶屋駅が気になっていたが、JRから山陽電鉄に乗り換えれば近いことに気付く。

山陽電鉄自体乗る機会がほとんど無いが、滝の茶屋駅にはまったく馴染みが無かったが、駅を降りると、夕日があまりにすごく、丘から見下ろして、明石海峡大橋と夕日のセットを見たいと探す。

ただ、なかなか見晴らしのいい場所が見つからず、結局線路沿いの場所から少し眺める。地元のスーパーで缶ビールを買って、20分くらい眺めながら飲んだ。

駅前に1軒だけ中華屋があったが、財布の中に現金が1,500円しか無くコンビニもなくATMが見当たらないので諦める。

その後、自宅までの駅の中で降りたことの無い兵庫駅という駅に降り立って歩く。
と、何やら美味しそうな秋吉という名前の焼き鳥屋があり、スマホで調べてみると有名店だった。
カウンターの席の前にアルミが敷かれていて、冷めない構造になっている。

外から覗くと、カウンターが空いてそうだったので入る。

焼き鳥屋に入ると、いつも普段家では食べる機会が少ないレバーを必ず食べる。肝臓への労わりなのかエネルギーを欲しているのか。

1回の注文で3本の串がついてくるのだが、サイズが小さいので行けるだろうと調子乗って5つの部位を注文する。
しかもレバー丼に出来るだろうと白米も注文する。
瓶ビールも忘れずに。

満腹どころじゃないくらい腹がパンパンとなり、ビールでなくレモンサワーにすればよかった、串の注文を減らせばよかったと後悔しながら、最後は罰ゲームみたく、でも全て平らげようと頑張る。
白米が残りそうだったので、赤だしを追加で頼む。この赤だしが美味しく、なんとか完食できた。

満腹感とはこういうことやったなというほどの満たされた欲を感じて、帰る。
途中、六甲道で降りて、灘温泉に寄る。480円で温泉に浸かれる神戸の幸せ。
最高の気分で、家路につく。電車の中で一人風呂上り火照ってるというのも面白い気分。

その翌日、朝からテレワークをしていると、体調に異変を感じる。

体温は正常だったので病院には行かず家で安静にしようと考えたが、明らかに声がおかしい。頭痛もする。

コロナかもしれないと思いながら、体温が上がったら行くことにする。仮にコロナであったとしても、感染源があり過ぎてもはや分からない。

そこから数日間はテレワークで働きながらも、勤務後は基本的に寝て過ごした。

幸い地元で新潮を買っていたので、それを読む。今月号は大江健三郎の追悼が特集として組まれていた。

中に、「大江さんの追悼文を書くのは3回目だが~」という記述を見て、様々な媒体から求められて、どれも少しずつ内容を変えるのは大変だろうというか、仮に10の媒体に追悼文を書いたとして、時系列で初回のものと10回目のものとの間に文に温度差があるのか気になった。

新潮を読み終えると、他に読む本が無く買いにも行けずに、Kindleに入ることにした。中原昌也の日記本が読み放題の中にあったので読む。日記本の中には、とにかくマニアックな映画、音楽、本の話が大量に出てくる。
金が無くなっては機材を売り、機材を預けている倉庫代が払えなくなり、そうなるとCDRを作って売り、またその売上でディスクユニオンでCDを買うという生活。

そして、この日記本を読み、量が質を凌駕して飛び立つ様子を見て、今回のアパートメントの記事でも真似しようと思い立って今に至る。

体調が悪くて外に出られないときに読む本ではなかった。
結果的にあれやこれや布団に入りながら、気になっていたCDをヤフオクやメルカリで数点買った。
数点数千円の話だと、思い悩むほどでは無いのかもしれないが。

そうこうしていると、いよいよ声が本当に出なくなってきた。

でもそのかすれたというかしゃがれた声でいると、自分が自分では無いような心持になり、普段言えないようなことも相手に言えた。それがなんか楽しかった。

初めて打ち合わせをする相手に、「すみません、本当は美声なんですが」と伝えたが、特に大きな反応もなかった。

その頃になると咳が尋常じゃないくらい出て、夜寝ようとしても咳が出て夜明けまで眠れなかった。

寝込んでいる間に、中島貞夫監督の映画にハマった。特に狂った野獣という作品はびっくりするくらいの傑作で、京都の町中でバスをハイジャックをする犯人に対して渡瀬恒彦が・・、何か楽器を手に入れたばかりの若者がパンクを奏でるようなエネルギッシュな作品だった。

いまの時代にはもう作られないだろう作品だ。寝込んでいる身からすると、その映画を見て感じた燃え滾る想いをどこにもぶつけられず、余計に眠れなくなった。

体調が回復しないので、薬を買いに行こうとドラッグストアに行き、葛根湯や活参を買う。こういう時に漢方に絶大な信頼感があるのはなんでだろう。合成物質では味わえない苦みがあるからか。。

薬を選んでいるときに、おじさんが「熱ないけど喉痛くて、そのときなに飲んだらええの?」と聞いていて、薬剤師さんがアネトンという薬を勧めていたので、アネトンを買った。が、アネトンを飲んでもあまり効く様子が無かった。

普段なら食材を買うことは無い、家の近くのIKARIという高級スーパーで毎日総菜を買った。
歩くのも疲れるので、こういうときはIKARIに頼らざるを得ない。IKARIの中でも20%オフになってる総菜に限定して漁った。

体調の優れない自分へのささやかなご褒美として、せっかくだからと一杯200円近くするIKARIのドリップコーヒーを買うと、朝のコーヒーを飲むのが楽しみに、起きるのが少し楽になった。

治りかけたと思ったらまたぶり返しての繰り返しが続き、結局病院に行くことにする。

子どもの時によく通っていた内科は家から遠いので、子ども時代には無かったクリニックを目指す。

が、時間を勘違いしていて5分オーバーで診察してもらえなかった。
つらい思いして歩いてきたのだから、5分くらい許してと思うが、完全にこっちの都合だ。
逆の立場だったら昼休みが無くなるから嫌だ。

これは夕方にまた来るしか無いかと思っていたら、
駅近くのもう一つの診療所では、診察時間過ぎているのに診察してくれた。

治ったと思ったら、まだまだ咳が続き、改めて病院に行ったところ飲み薬、張り薬、吸引の薬併せて8種類くらいの薬が出て、さすがにトゥーマッチやろ…と驚く。
何か薬飲んでるかと聞かれてアネトン飲んでますと伝えると、「そんなん話にならんわ」というような顔をされる。
医者からすると市販薬は気休めにすぎないのか。

薬の中に睡眠導入作用がある薬があるのか、夜眠れない症状が完全に無くなり、逆に朝10時まで一切起きずに寝てしまう。睡眠導入剤のようなものかもしれない。

そこからはその薬におかげで比較的眠れるようになった。

惣菜を多く買うので大量のプラスチックのゴミが出て、火曜と金曜のゴミの日にまとめて捨てた。
一部はスーパーの袋に入れて住吉駅の改札のゴミに捨てた。
そういえば、東京や横浜では駅に飲み物以外のものを捨てる箱を見ることがほとんどなく、新幹線のホームくらいだ。

1週間ほどしてようやく寛解したと思い、住吉駅前のかこもという立ち飲みの名店に入ろうとするが、復帰第一号としてはどことなく緊張するのでやめる。

もっと緊張しないところをと思い、かこもの隣にある、人がまだまだ疎らな隣の串カツ屋に入る。

テレビでは阪神戦が始まったばかりだった。仕事終わりのサラリーマンが飲み始めている。かこもよりも串カツ屋の方が似合うタイプのおじさんが多かった。

少し落ち着くが、ビールは全然美味しくなかった。味覚が回復してないのだろうか。

その週末、体調が完全に回復したと思い、前の月にANAのセールで格安に宇部空港への航空券を買っていたので、そのまま実家から山口に移動する。人生初めての山口県。

もともと旅の準備が苦手だ。 
旅を計画するところからワクワクする人も一定数いるだろうが、とても苦手だ。

案の定、何も考えずに前日にホテルを予約して、行きの電車の中でどこに行こうか決める。

私は神戸から新幹線で行き、常盤駅という無人駅で待ち合わせする。
久しぶりに会うと、髪の毛をばっさり切っていた。

宇部空港から近い常盤公園を目指す。

雨が降りしきる中、重い荷物を持ちながら公園を歩く。

途中ペリカン広場とあり、ペリカンの銅像でもあるのかと思ったら、ゴルフ練習場にあるような、ネットが空中に張られ、その中に10羽ほどの本物のペリカンがいた。
人生でペリカンを見たのは初めてかもしれない。こんな大きいのかと驚く。

山口駅近くのアーケードの中にあるレコード屋がびっくりするほどの品揃えだった。ムンズやドクロズのCDなど。壁にかかってあったCDを買う。SlitsのAri Upが入っていたグループのCDを買う。

「ほんまは高いけど、ジャケが色褪せしてるから」とお得な値段になっていたよう。

アーケードからバスで10分ほど直線を進み、湯田温泉に降り立つ。

1泊朝食付きで6,000円の宿。温泉も付いていたけど、近くにスパがあったのでせっかくなので行ってみる。

温泉は色が透明で温泉感は無かったけど、そこまで人も多くなくゆっくり過ごせた。

翌朝まだ雨が降る中、どこにいこうかとふらつき、とりあえず生ういろうを買う。
ういろうについて全然詳しくないけど生ういろうは珍しいらしい。
冷凍してお湯につければ、もとに戻すことができるとお店の人が言っていた。

ういろう屋の隣に中原中也の記念館があった。なぜか入らなかった。今思えば入ればよかった。

その後、山口県立美術館に行ってみた。テレビ番組のクレイジージャーニーに出ている写真家佐藤健寿の「奇界/世界」展を見る。

これが魂を揺さぶれられるというか、中島貞夫監督の映画のようなエネルギッシュな揺さぶられるものだった。

特にマッドメンという部族の写真が迫ってくるものがあった。マッドメンという名称は外部の欧米人が付けただけだと思う。Pop Groupの1stジャケットはマッドメンじゃないのか。

その後動画を見ていると、マッドメンがいつもそうした格好をしているわけではなく、特別なときだけそういう格好をすることが分かる。Slipknotのようなものか。

付属展では、別の写真家による横浜のメリーさんの写真もあった。

駆け足で山口駅から新山口駅へ移動し、30分ほどしか違わないが新幹線乗ることにした。
これまでだと鈍行でいくところだが、ここにお金を使うことに寂しさも少し感じる。

それがハローキティ号という変わった車両だった。車両の外側だけだと思ったが、中に入った瞬間、内部もキティ色で驚く。そして1両目は売店になっていて、椅子は座席は数席しかなかった。

ちょうどコーチェラの配信をやっており、キティ号の中でケミカルブラザーズのライブを聴く。

30分ほどそのキティ号に乗って、目的地の小倉駅に降りる。と、小倉駅では乗り込む人たちの列が長かった。

そして1両目にも出張姿のスーツの人も長打の列が出来ていた。
「1両目はほぼ座席無いですよ」と伝えてあげたかった。
乗ってからみな1両目から2両目に移動するんだろうなと思った。

小倉は想像よりもずっと都会で驚く。アーケードが仙台に近い雰囲気を感じる。
小倉の規模が自分に最も一番しっくりくるかもしれないと感じた。

とりあえず一番のお目当ての旦過市場を目指す。
嗅覚で行こうとGoogleMapを使わず行こうとしたが、迷ってしまって結局使ってしまった。
去年市場の一部が焼けたと知っていたが、想像以上に焼けてしまっており、
仮設店舗がまもなくオープンするところだった。

途中、一人なら絶対飲み続ける立ち飲み屋があった。夕方なのにもう飲んでる人達がいたが、意外と観光客は少なかった。ホテルで夜に飲むようにと小さな日本酒を記念に買う。

一人でレコード屋に行き、数枚ハードコアのCDを買う。閉店間際だったので買わないとという気持ちになる。
その向かいの立ち飲みバーで一杯だけビールを飲む。

常連そうな20歳くらいの学生の女の子が店主と話していた。

狭い店内なので界隈が全部聞こえてくる。毎晩プレモルロング缶4缶を飲んで寝ているという。
買い過ぎるからコンビニで在庫が薄くなっているらしい。そして休みの日は彼氏と釣りをしているという。
九州での生活により一層憧れを感じる。

夜には絶対うどんを食べたいと思っていたので、24時間空いている資(すけ)さんうどんというチェーンのうどん屋に入る。中の人達は意外とうどんでなく、かつ丼やおでんなど食べている。ほとんどの人が瓶ビールも付けている。

その後、マジックバーに行きたいということで付いていく。ちょうどお客さんの入れ替えのタイミングで中に入る。1セット4,000円だった。6人連れのグループと我々。

ギャグも取り入れながら繰り出されるマジックはどれもまったく見抜けず、本当にタネが分からず脳内破壊寸前だった。

自分達がサインしたトランプを渡すと一瞬の間に、キャップの閉じたペットボトルの中に入っているとのはどういうことか。謎だらけで、他のお客さんにサクラがいるとしか考えられないほどだった。サクラがいてもこんな鮮やかに出来ないだろう。

童心に戻れた。

マジックバーを出るころには深夜0時も回っていたが、アーケードはたくさんの人達で栄えていた。

北九州おそるべし、フラっと来た余所者には真似できない。

結局、旦過市場で買った日本酒をホテルで飲む時間もなく、また翌朝はホテルの朝飯の時間に起きられなかった。

3日目にして旅の最終日、早起きはできなかったが、まず門司港に向かう。

この門司港がとんでもなく素晴らしいところだった。

レトロを売りにして、どこやかしこにも”レトロ”という文字が乱立して、逆に潔い。

朝から屋外には出店が並んでいたし、釣りをしている人もいる。

対岸には下関が見える。頑張れば泳いでいけそうだ。

山口と福岡がこんなに近いとは思ってもみなかった。住みたくなる。

なんかやたらと門司港には犬が多いなと思う。それも着飾った犬で、飼い主も気合の入った人が多かった。

蓋を開けると、それはドッグフェスが開かれるからだった。港のドックと掛け合わせた意味でのドッグフェスなのかは分からずじまいだった。

歩いている犬の中にはとてつもない大きさの犬がおり、飼い主同士も会話がはずんでいる。
そして、ライオンキングのような頭部以外の毛を刈られた犬がいたが、寒く無いんだろうか・・

フェスティバルのステージではブルーハーツの青空のカバーをしているバンドがいた。
彼らも飼い主達で組まれたバンドなのだろうか。
ブルーハーツ、ルースターズ、サンハウス、SIONどれも中国から福岡から生まれた音楽だ。
何か胆力のある、抗うような音楽が生まれやすいのか。

その日、ホテルで朝飯を食べていなかったので腹が減っていた。
B級グルメのちゃんらーというものが、うどんの汁にちゃんぽんを混ぜたもので上手そうで、その店に行こうと思った。

が、店に向かう途中でとても誘惑感を醸し出すラーメン屋があった。
行ってみると、後3分で開店で既にお客さんが2組ほど並んでいた。
ラーメンとチャーハンが名物のようで、あまりに美味しそうなのでこの店に入ることにした。
店主は80歳近いおじいちゃんで、腰が曲がりながら、ラーメンを運んでくれた。
お腹がはちきれそうだったが完食する。最高に美味しかった。

門司港の海の逆側には生活に密着したような商店街があることが展望台から分かったが、時間が無く行けなかった。

門司港にもっと長くいてもよかったが、下関へ移動する。

下関ではレンタサイクルを借りようと思っていたが、いまにも雨が降りそうなのでやめる。

何気なく道を歩いていると、グリーンモール商店街という通りがあり、
門司港のレトロとは真逆で、でも個人的に惹かれる世界が広がっていた。
怪しい匂いのするアパートの裏には、迷路のような音楽スタジオがあった。
そしてその裏は入り組んだ路地で、魔法にかかったような場所だった。

そろそろ電車の時間が迫っていたので、滞在1時間にして駅へ戻る。
せっかくだから通ってない道をいこうと、長門市場というところを通る。

それが、また出来過ぎたような風景のようにインパクトが強かった。

近くのビルの入り口にはベトナム語の貼り紙があった。
日本語学校がそばにあったので、その学生が一つのビルに多く住んでいるのであろう。

青山真治の映画の共喰いの舞台がここじゃなかったけと会話をする。
Helpless、ユリイカ等の北九州サーガを思い出す。

駅前の大型のパチンコ屋は閉店して廃墟のようになっていた。その傍には立誠佼成会の大きな建物は残っていた。

結局、帰りの飛行機まで時間があまり無いので、唐戸市場などメジャーな場所には行けずじまいだった。

下関から移動し、途中宇部駅で乗り換えの時間が50分あったので降り立つ。

駅から見える景色は、祖父母の家のあった岡山にいるような雰囲気があった。隣の隣の県だから雰囲気が近いのか。

せっかくなので外に出ようとすると、突然の大雨。
老若男女がびっくりしたような顔で待合室にいた。
雨が止んでから近くのスーパーまで行く。どこでもスーパーに行くと落ち着く。

空港の最寄り駅の草江駅に降りる。空港まで徒歩10分ほどのはずだが、案内なく不思議な感じだった。

6人ほど明らかに空港に向かう人たちがいたが、みな初めてのようで迷いながら歩いていた。

結局、駐車場を突っ切るようにして歩くのが正解だった。

宇部空港は個人的に空港はかくあるべしというくらい、サイズ感含めて居心地のいい雰囲気だった

お土産にういろう(生もあり)や日本酒を中心に売られていた。

うどんがとにかく食べたくなり、空港内のレストランでたこ天うどんを食べる。

旅を終えて、久しぶりに家に帰る。

翌朝、久しぶりにオフィスに行って、いつも通りの生活が戻る。

けれども、まだ咳が続いて治らない。後遺症なのか。。

大学時代の友人が最近ボクシングを始めた。
ボクシングの試合がある度に連絡を取り合う。
そのやり取りがなぜか最近の生活の中で一番健康的に感じた。

北海道から出張していた後輩を囲んで藤沢で飲んで、まだ週末でも無いのに飲み過ぎて漫喫に泊まる。
いい声ってなんやろうと考えた。

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