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3F/長期滞在者&more

とあるパン屋さんに寄せて

長期滞在者

小学6年生に入ってから中学受験のための塾通いが本格化し、サッカークラブから足が遠のいた。

サッカークラブといっても、プロを目指すようなメンバーはおらず、近くのいくつかの小学校の中からサッカー好きが集まるクラブだった。

私は小学1年からそのクラブに参加していたので、古参のメンバーだった。

毎週末、近くの小学校のグラウンドで2時間ほど練習し、帰りにローソンでコーチにアイスを奢ってもらって食べた。

ときには大会に出るため、メンバーの父親が運転する車で大会の会場まで遠出をした。私の父もよくメンバー達を乗せて試合会場まで運転していた。

優勝を目指すような強いチームでは無かったので、半分遠足のような気分だった。

チームのフォーメーションも、戦略的に決められたものはなく、いきなりキーパーになることがあったり、点を取るポジションになることがあったりした。

互いがミスをしても咎める雰囲気でなく、楽しみながらサッカーをしていた。

こういう楽しさが前面に出ていたからか、途中でクラブを辞めるメンバーは少なく、ほとんどのメンバーが小学校を卒業するまでずっとサッカーをし続けた。

みんな近くに住んでいたこともあり、平日も雨の日以外は近くの公園でサッカーをした。毎日サッカーしていた我々は、自分達より3つ、4つ上の先輩たちにも可愛がられて、1対1で先輩にドリブルを仕掛けて抜くことができたら、自販機でナタデココプレーンの缶ジュースを奢ってくれるゲームをよくしていた。

私は、海外のサッカーチームのユニフォームのデザインや、サッカーチームの移籍情報などサッカーに纏わる様々なトピックに魅了され、サッカーをプレーすることよりもサッカーマガジンを読んで選手の名前を頭に入れるのが好きだった。海外の試合を手軽に見られる時代では無かったが、雑誌に書かれてあった五角形の能力チャートやテレビゲームでの各選手の能力値によって、この選手はこういうプレーをするんだろうなと勝手に妄想していた。

1日の中でサッカーのことを考えない日は無かったが、行きたい中学校があったため、サッカーの時間が受験勉強の時間にとって代わるようになっていった。

それが年度を跨ぐごとに、4時間、5時間と増えていき、6年生に上がると週末も塾の模擬試験が入るため、試合に参加することも難しくなった。

模試が無くて試合に行けた日も、普段練習に出られていないせいで、試合に出ることが難しくなり、試合の最後の数分に出してもらえるような状況だった。

通っていた小学校が転校生も多い学校だったので、サッカーチームにも新しいメンバーが参加していた。

その新しくクラブに加わったメンバーの中に、N君がいた。

久しぶりに試合に出かけた時のこと。

試合に向けたウォーミングアップをした後、それぞれ持ち寄った弁当を食べていた。

いつも昼にまとまった時間が無いので、大抵のメンバーはお母さんが握ったおにぎりだった。

その中で、N君だけがKというパン屋さんの袋を抱えていた。そして、袋の中から、チョコッペというパンを取り出し食べていた。

私も普段からチョコッペをよく食べていたが、サッカーのときは母が作ったおにぎりしか食べなかった。

その時にN君が食べているチョコッペを見て、普段自分が食べているチョコッペよりも美味しそうだったし、なにより試合前にパン屋に寄って買ってから来るというところに、当時幼かった私にはN君が大人に見えた。そんなN君はいまではメキシコでビジネスをしている。

私は大学から東京に渡ってから、チョコッペを食べる機会が減った。年に数回神戸に帰る際に、パン屋Kには寄っていたが、チョコッペではなく、もう少し味がシンプルなドイツという名前のパンを買うようになった。

昨年、仕事の同僚が神戸に出張することになり、地元だということで神戸のおすすめを聞かれ、餃子屋や立ち飲み屋に加えて、パン屋Kを紹介した。そして、おすすめのパンとして、ドイツと迷った挙句、チョコッペを推した。

音だけでは無くてジャケットと共にレコードのイメージが完成するみたいに、触り心地のいい袋と、パンの中央に巻かれた帯が合わさって、初めてチョコッペは完成するように思っている。

パン屋を紹介した同僚とはいつも飲みに行くことが多く、お酒の好みは分かるが甘党なのか定かでは無かったので少しばかりの不安はあったが、出張中に”美味しかった”とチョコッペが写真付きで送られてきて、自分事のように嬉しく、誇らしく思えた。

おそらく同僚は、チョコッペの味の中に数々の想い出が隠されているとは思いもしていないだろうが、ソウルフードには一人一人の想い出が詰まっているんだなと思うきっかけとなった。

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