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3F/長期滞在者&more

新宿の片隅で

長期滞在者

学生時代に知り合った友人から数年ぶりに連絡が来た。

一緒にライブに行かないかというもので、これまた長年会っていなかった友人も誘っているとのことだった。

誘ってくれたライブのアーティストは初めて耳にする名前だったが、ライブを抜きにしても久しぶりに友人達と色んな話がしたく、行きたいと即答して足を運んだ。

その友人達と一番初めに会ったのは15年ほど前で、当時流行っていたmixiで連絡を取り合って音楽のイベントに一緒に行った。たしか私からいきなりメッセージを送ってその日に一緒にイベントに行った。大学時代は警戒心が希薄なのか時代のせいか。そのとき私がイギリスのサッカーチームのユニフォームを着てイベントに行ったことを友人は覚えていて、調子に乗っていた時代を少し恥じた。今でもそのサッカーチームは引き続き応援している。

そのイベントでは小学生の時に関西で塾が同じだった友達とも遭遇し、個人的に東京の狭さを感じた日でもあった。

今回誘ってくれた友人と最後に会ったのは、調布の映画館でワンスアポンアタイムインハリウッドを見たときだった。

その日は映画の前に腹拵えをしようともつ焼き屋に行くことになったが、映画が3時間の長編だったので私は飲むのを数杯に控えめにしていた。一方で、友人は関係無くいつも通りのペースで飲み、そして映画館でも大ビールを頼んで飲みながら見ていた。

途中寝ていたらしいが、終わった後にタランティーノの過去最高傑作だよねと言っていた。

自分だったらそんなにビールを飲んでトイレに行かずに3時間過ごしていたら膀胱が破裂してるだろうなと体の作りの違いを思い知った。

ライブハウスの前で久しぶりの再会を果たし、地下に降りていく。

入場後、開演まで少しだけ時間があり、喫煙者の2人は喫煙所に行くことに。私は煙草は吸わなくなったのでフロアで待っておいてもよかったが、なんとなく久しぶりに喫煙所に入りたくなり一緒に入った。喫煙所は何か映画館にいるような不思議な空間で、ライブがあと数分で始まるのにも関わらず人々が喫煙所に溜まる感じも心地よかった。

その数日前にとある自治体の職員達と農業関係の現場視察に行ったとき、自分より若い職員を含めて3人全員がみな煙草を吸っていて、その様子が視察先の年季の入った施設と相俟って懐かしさと男臭さを感じた。

友人達が煙草を吸い終わり、地下のフロアへ向かっていると、友人が若い女性から声を掛けられていた。どうやら大学時代の音楽サークルの後輩が来ていたようだった。

その様子が映画の一場面のように感じられと書くと大袈裟かもしれないが、街にいるからこそ起こり得るポジティブな瞬間が切り取られていたように思えた。

肝心のライブは本当に素晴らしいもので、ステージに釘付けになって見ていた。途中肩を叩かれたと思ったら、友達がドリンクカウンターでビールを人数買ってきてくれたようで、有り難く受け取って、その日何杯目かのビールを飲みながら最後まで見た。

オルタナティブロックの全盛期である90年代の音楽ばかり聴いていたので、普段そうしたバンドのライブに行くことが多いが、今回のような現在進行系の音楽ではこれから巣立っていくような生き物のリズムを感じられて素晴らしかった。

途中、アーティストがthrow away your damn things of last week (うろ覚え)とMCで話していたとき、ライブハウスに多く詰め掛けていた海外のお客さんを中心に大きな歓声が上がった。多様性の時代において、まさにそれだけが地球上の全人類が頷ける事象なのかもしれないと思った。

人種も性別も多様な人が集まり、loveやunityの意味合いもそれぞれ異なる中、まったく邪推することなく100%賛同してみながガッツポーズを送りたくなるのは「先週のくだらなかったことは引き摺らずに捨て切って、新たな週を過ごそう」ということなのかもしれない。

ライブが終わり地上に上がると、直ぐに雑多な店が並ぶ通りに出くわす。

埋め立て地のライブハウスでタワーマンションを横目に海風にさらされながらモノレールの駅に向かうよりも、ライブ後直ぐに雑踏に紛れて日常を感じられる方がよっぽどいい。

友人がいい店を知ってると言って連れて来てくれたのは歌舞伎町の場末の中華屋だった。

開高健の輝ける闇と夏の闇に出てきそうな店。

ペチャペチャと音を立てて食べるのがマナーになるような、赤身の肉より煮た臓物の方が大半を占めるようなメニュー。この雰囲気に、雨季のジメジメした湿り気と汗と性の体液が混じれば、本当に開高が描いていたようなベトナム戦争下の舞台になりそうだった。

なぜかこの店は飲み物の持ち込みが自由でコンビニで1人数本ずつ缶ビールや缶酎ハイを買って行った。

せっかくなのでお店にもドリンク頼みたいなと思い紹興酒を頼んだら、ボトルが運ばれて来てイチハチと言われ、それが初めは1万8000円のことなのか1,800円のことなのか一瞬判断がつかなかったが1,800円だった。

音楽の話だけでなく、お互いの仕事の話もちょっぴりと。その時に、「朝起きれなくて生卵を飲んで無理やり目を覚ましている」、「会社の1階のカフェまで行けるけど出社出来ずに帰った」という過去の私のエピソードを覚えて話してくれた。

自分でも忘れていたことだったので、そんな時代もあったなあと、遠い目線で過去の自分を労いたくなる

これまで勤労感謝の日が何月何日か意識したことはなくただ休みが増えたと単なる休日の1つとして過ごしてきたが、これからは勤労感謝の日はきちんと自分を労る日にしようと思った。なんなら毎月第三水曜を個人的な勤労感謝の日にしたいくらいに。

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