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3F/長期滞在者&more

アパートメント

長期滞在者

花粉で視界が曇る中、数時間前まで改行の間隔がやたら大きい設定になっていたwordで書いている。改行の間隔が戻ると、リズムが出てさくさく書ける。人間なんて単純だ。

先月の投稿は写真だけで済ませてしまった。

写真の表現を否定しているわけではないが、私の場合は表現の手段として写真を撮っておらず、スマホのフォルダの中から自分が1か月間の中で撮った”それらしい”写真を反射神経的に選択して投稿した。写真を選び、タイトルを決め、リンクを更新し、予約投稿のボタンを押すまでの所要時間はおよそ5分だった。

改めて自分自身の中でのアパートメントの存在意義を問い直す。

前提として、アパートメントと仕事とは明確に切り離すことは心掛け、ある程度徹底できた。

本屋の面陳で見るような”仕事で忙しい中で日常を充実させるための時間の使い方”のような類のエッセイとは真逆のものを書きたいと思っていた。意識するまでもなく、そんなものは書けないが。

旅の紀行エッセイとも距離を置きたかったが、強制的に仕事と明確に切り離すことができ、また頭をリセットできる移動時間が豊富にある旅は結果的にこれまで何度もテーマにしてしまった。が、旅をテーマとすることは意識的に避けたい。

初めての投稿から8年近く経ち、私の中に存在するアパートメントの在り方も変わってくる。

初めに寄稿した8年前は無職で、あり余るほど時間が合った。当時のアパートメントの管理人にメッセージを送り、高田馬場のドトールで会話をして、じゃあ一本書いてみますかと、連載が始まった。懐かしいことに、当時は明確にアパートメント”界隈”が存在していた。

今となっては当時の無職だったときのことを考えることも無くなり、訳の分からないような苦しみを抱えていた頃とは異なる。

いまももちろん色んな苦しみはあれど、その苦しみを無理やり言語化すれば、”理由が明確だけど自分で蓋をしているような苦しみ”で当時とは性質が異なる。

苦しみを怒りに昇華できればいいが、基本的に怒りは自分にしか向かない。

それは自分が聖人だからなどではまったくなく、外に怒りが向かないように踏み込まないように防衛ラインを敷いているからか。

心の底まで辿っていくと、憤怒に近い怒りや鬱屈としたやるせなさや官能的なこと、そういう対象に対して美しさ、麗しさを感じる。が、こうしたテーマで物事を書くのにアパートメントがふさわしい場であるとは思わない。

数年前に思い立ってこうしたテーマで実際に書いてみた。書いたものは印刷してゴールデン街にいた人のカバンの中に何部か入れた。気がする。

が、本当か覚えていない。

本当のことか幻のことかなぜか思い出せないことがいくつかあり、そんなバカなという思いを持っていたが、今ではあえて掘り返さずにようにしている。

仕事終わりにアパートメントの記事を書こうと思ってもなかなか書けない。

仕事の間は左脳を偏って使っていて右脳が働かなくなってるからなのか原因は直接はわからない。

ただ、仕事の後だとなぜかアドレナリンが出て、そのアドレナリンの中身は草食性ではなく肉食性が中心で、個人的に言葉を紡ぐのに必要だと考えているFemininityが無くなりMasculinity全開になるからかもしれない。

まったく違うかもしれない。

ちょうど全国で春一番が吹き、川崎も20℃を超える晴れた日。

「暖かくなってきたらどことなく寂しさを感じる」のがなんとなく分かった気がしたが、それはただ単に夕暮れにさしかかる時間のせいだったからかもしれない。

ふとした会話の中で覚えるべきことは残していく。

来月もどんな記事を投稿出来るか、アパートメントと向き合う時間はささやかなそして欠かせない時間だ。

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