その色は、私が初めて見た色だった。
新月の夜、漆黒の夜空に点在する無数の星を見上げ続けていると、次第に星が遠ざかり、東の空にこれまで見たことがない、マゼンタのグラデーションが輝き始めた。
飛び出した。身体よりも先に、心が波打ち際を走っていた。
目の前に広がる日本海はどこまでも澄んでいた。
私が立っている足元は、翡翠が打ち寄せる浜辺だった。
あの日、私が見た、始まりの日の出。
それは、全ての混沌から解放してくれる美しさだった。
宇多田ヒカルの「One Last Kiss」は、映画『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』のテーマソングとして書き下ろされた。
1995年10月4日から1996年3月27日にかけて、テレビ東京系列で放送されたテレビアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』。当時大学生だった私は、ゼミの仲間から「やばいテレビアニメが始まった!」と話していたのをきっかけに見るようになり、その後公開された映画を含め夢中になって見てきた作品である。
2021年3月8日に公開された『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』は、公開日の翌日に映画館で観た。そして、思った。「まさかこんな胸の震え方をするとは」と。
最初にエヴァを見た1990年代の終わり。その頃の私は、世界の混乱とはどこか遠いことだと思っていた。自分自身に直接関係がある感覚はなかった。しかし、2000年代となり、全米同時多発テロ、東日本大震災、そして、COVID-19のパンデミックと、自分が生きる時代に次から次へと信じられないような事態が起きることなど、最初にエヴァを見たときは全く想像していなかった。世界が終わってしまうような危機が迫るのは、作品の中だけだと思っていた。
『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』を観ていて、最初に涙を流したのは、私が初めてエヴァを見たころよりも、自分が強くなっていたことに気づかされたときだった。
世界が崩れてしまうような危うさに現実味を抱いていなかった20代から、ともすれば明日にでもこの世界は終わってしまうのではないかという日常に潜む断崖を意識して生きるようになった40代。この間私は、まるで予想もつかなかった道を歩いて生きてきた。いや、そもそも人生に予想などつくはずもないのだ。とはいえ、度重なる困難に、もう全てを終わらせてしまいたいと思ったときは何度もあった。けれども、私は、今、こうして生きている。
苦しみや悲しみは、確実に私を強くした。
その経験があるから、今の私は、楽しいときにその楽しさを、おもいっきり表情で伝える自分になった。
そんな40代になった自分がエヴァの新作を観られることができるという、これもまた人生の予想外でもある、嬉しさと感動に胸が震えたのだが、それ以上にこの作品が、何よりも予想もしなかった清々しい終わりと始まりを描いていたことに、涙を流さずにはいられなかった。
映画のラストシーンに流れ始める宇多田ヒカルの「One Last Kiss」。イントロのシンセサイザーの音から、胸の中がすっきりとしていくような感覚と共に、この作品の終劇を受け止められる楽曲はこの曲しかないと思った。
映画を観終わってから、映画の余韻に浸るように毎日「One Last Kiss」を聴いていた。最初は映画の世界観を頭の中にフィードバックしながら聴いていたこの楽曲が、気づいたら自分の毎日に馴染む音楽になっていた。
朝起きて新しい一日を始めるときに聴く、最初の一曲として。
仕事を終えて、プライベートの私へと切り替える、転換の曲として。
大切なことを決断したとき、始めに聴く曲として。
そう、私は「One Last Kiss」を、始まりの一曲として聴くことがとても多くなった。
イントロの軽やかなテンポ感が私の目線を前へと向ける。そして、優しい光が差し込み、音が差し伸べてくれる解放と安らぎを信じて、走り出したくなる。
始まることに芽吹く心の弾み。
同時に、始まれば必ず終わるという不安への揺らぎ。
心の中を行ったり来たりする、喜びと戸惑いに、この曲は正直に向き合わせてくれる。
それでいいのだと、肯定してくれるかのように。
確かな明日などないことを了承の上で、不安を凌駕する滑り出しを愛しく思わせてくれる。
予想もつかないのが人生だから。
今はただ、こんなにも美しい景色に出会えた喜びの中で生まれた感情を、微笑みながら、受け入れていきたい。
【ラジオDJ武村貴世子の曲紹介】(“♪イントロ〜19秒”に乗せて)
『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』のテーマソングとなっているこの曲。映画を観終わってから、何度も聴いてしまうという方も多いかと思います。私もその一人です。この曲を聴いていると、私は、始まりの不安を超えて、新しい世界へと走り出すときめきと、今この瞬間には確かに信じられる、孤独からの解放を感じます。
宇多田ヒカル「One Last Kiss」