29年の人生の中で、最寄り駅への愛着って、実はいままで感じたことがなかった。だけど、この2年近く毎日のように通う最寄り駅は、わたしにとって初めての愛着ある最寄りの駅だ。
もちろん、東京で生活していたときも、群馬で生活していたときも、それぞれに最寄り駅はあった。だけど、いまの頻度とは、比べ物にならないほど利用回数は少なかったし、自分の行動範囲内にあるという感じは、正直あまりなかった。
いまの最寄りは、改札すらない無人駅だ。冬になると、冷たいベンチには手作りの座布団が置かれる。ICOCAの入金機だって、一度に千円しか入金できないタイプで、タッチパネルってなに?というようなレベル。急いでいるときは、不親切な機械だ。切符に関しては、降りるときに車掌さんか運転手さんに手渡しするし、車両の中で切符を買う人もいる。わたし自身も、定期を忘れて、降りる駅でお金を払ったことがある。降りるまで定期を忘れたことに気づかないでいられるくらい、改札がないと気持ちがゆるゆるになる。
滋賀に越してきてすぐは、こんなことってあるの?って、カルチャーショックを受けたけれど、いまでは人気のないホームだとか、裏手の光を浴びる山だとか、ホームのなかにある桜の木だとかが無性に愛しい。もちろん、改札がないところも、無人駅というところも。あ、でも一つだけ正直なことを言うと、アニメのデコ電はあんまり好きじゃない。視界に入る情報が多すぎて落ち着かないし、かわいい女の子たちの絵が気持ちを虚しくさせるから。これは個人的な感じ方だし、批判ではないけれど、小さなつぶやき。
別に、愛着のある最寄りがあるからといって、特別なことはなにもない。だけど、日本で借りぐらしの身には、ここが好きだと思えるところがあるだけでも、なんだか気持ちがちがってくる。ほっと一息ついて、自分の巣に帰って、素にかえることができる。
電車で動くことが当たり前の人には、もしかしたら、わたしの無邪気な愛着は理解されないかもしれない。でも、別にいいんです。わたしにとって、初めての最寄り駅。多分、この場所を離れても、きっと何度もなんども思い出すと思う。自分と社会をつなぐ最寄り駅、外のわたしと中のわたしをつなぐ駅。最寄り駅があるのは、なんだか嬉しいような、不思議な気持ちです。