長期滞在者
新しい街に引っ越してきた最初の夜というのは、けっこう心細いものである。 駅に降り立ち、ここがこれから住む街か……とまわりを見渡す。これまでに何度か訪れたことがあっても、いざ住むとなると、街を眺める視線もいつもとは違ってくる。いざ住みはじめてしまえば、空気はだんだん身になじみ、なんとなく心安い気持ちになるのだけれど、引っ越しの初日、まだここは「知らない街」である。 バスに乗ったり歩いたりしながら家に…
長期滞在者
斜面の両端に植わった桜は零れ落ちる寸前で、淡い桃色を鈴が鳴るように震わせていた。 淡く霞んだ海と空の境界線は曖昧で、途切れることなく船が行き来する。 大きなのと、小さなのと、右から、左から。 3艘の船が白い線を引いて交差するのを見つけて、満たされた気持ちになる。 理加さんは、やわらかな地面に種を蒔くみたいにして話す。 この日豊島へ行ったのは、踊る人でありからだのことを考える人でもある濱田陽平さんの…
長期滞在者
うーむ。 この3月は何やらいろいろ収穫の多い月だった。 ような気がする。 以前、やっと成形が終わってホッとしている、と書いた、 やきもの仕事の本焼成が二月半ばすぎにやっと終わったのだけれど、 その直後にプチ・バーンアウト状態になったのもあり、 3月前半は2週間の休暇を取ることにした。 1月に訪れたフランスのメッスに再び向かい、 今回は坂本龍一x高谷史郎によるライブコンサートを鑑賞し、 その後で、も…
長期滞在者
桜が咲いて、マグノリアの花も、もう散り始めた。精密検査にための通院ラッシュがひと段落して、普通に働く生活戻らないといけない。季節の変わり目だからなのか、気分が優れない日々が続いているものの、天気は日々好転しているので、うざうざした気持ちのままでいるのは正直勿体無い。だけど、濡れた顔のアンパンマンのように、力が出ないのも本当で、毎日今日も一日頑張らないといけないのかと、朝お布団の中でしばらく泣きそう…
長期滞在者
かつて自分を祝福し、遠くまで走らせてくれた言葉が、気付くと足かせになっている。進んで手にした役割だったはずが、いつの間にか呪いのように自分を苦しめている、そんなことがある。 言葉や肩書きはぼやけた自分にフレームを与えてくれるものだけど、そのフレームの居心地がよすぎると、「自分」は本当は流動的なものだということを忘れてしまう。そのことに息苦しさを覚える時にはすでに、フレームは簡単に壊せないほど固まっ…
長期滞在者
大阪・谷町8丁目交差点の坂の下にある伽奈泥庵(カナディアン)は、創業50年を超える、大阪の、いや多分日本の、エスニック喫茶の草分けである。 今でこそインド風の煮出したミルクティ「チャイ」は日本でも全国区の飲み物になっているが、最初にこれを日本に紹介したのは伽奈泥庵とカンテ・グランデ(大阪・中津)だった。 僕はカンテ・グランデの方で働いていたのだけれど、伽奈泥庵にもよく通った。 自分の成人式の日に、…
長期滞在者
2018年3月8日。 朝から雨が降るその日は、しっかりと防寒をしないと外を歩くには辛さを感じるほどの気温の低さだった。 国際女性デーのこの日、19時からウィメンズ・マーチ東京2018が開催されることが発表されていた。 私は初めてこのマーチに参加することを決めていた。 雨かと思いながらも、行かないという選択は私には無かった。 2017年1月21日。 ドナルド・トランプ大統領の就任と女性蔑視発言などに…
長期滞在者
今となっては考えられないことだけれど、到着する日の宿泊の予約さえせずに、わたしはひとりインドに旅立った。帰りの飛行機は3週間後。唯一の計画らしい計画は、ガンジス川を見ること。ほかは何も決まっていない。黄色の小さなデイパックのなかには、替えのTシャツ・下着が2-3枚、ストール、洗面具、筆記具、持っていくか最後まで迷ったラップトップ、直前に無印良品で買ったアイマスクとエア枕 (これに関してはけっきょく…
長期滞在者
「日本のモノ作り神話なんてとっくに崩壊しているよね」「技術大国日本なんて、もう過去のことだよね」というコトバがしばしば交わされるようになりました。 ぼくなどは「モノつくり神話」という言葉自体「神話」だと思えるリアルな体験もしたことがないのですが、それはともかくとして、冒頭の表現は置かれている立場によってさまざまな意味を包み込んでいるように感じます。そのひとつとして、かつてほど日本の技術力は抜きん出…
長期滞在者
折坂悠太さんのライブをみた。 目をあけていると、きょろきょろしてしまうので、時々、目を瞑った。 「つもる話の山肌を/ひとつ語らず下って行く/茜色した街並みを/時々見下ろして」 「見慣れないものだけの朝/懐かしいものだけの夜/茜色したおれのこと/思い出せるかい/思い出せるかい」(茜) 語らぬことを自ら選んだひとつ、語る言葉に成り得なかったひとつ、案外、そういう言葉こそがいつまでも残り、一緒に見た景色…
長期滞在者
もう10年ほども前のことになるのだけど、 当時、仏教の瑜伽行唯識派に興味があって、 それに関する本を読みまくってみたり、 その片鱗みたいなものに触れられはしないかと思って とうの昔に仏教が衰退し切っているインドにわざわざ行ってみたり、 知り合いのツテをたどって日本の法相(唯識)宗の興福寺のお坊さんに会いに行ったのだけど、 その人に比べてあまりに何にも知らないのでものすごくバカにされて追い返されてみ…
長期滞在者
こころが環境の変化についていけないことってある。例えば、何かの前提が覆ってしまうときとか。2月はわたしにとって、何もかもがひっくり返って、なにがどうなってしまうのか、大嵐にのみこまれながら航海を続けているような一ヶ月になった。 かなり遅いペースではあるけれど、三十代に入ってから自分が「働く」ことにどのような価値を見出しているのか、どんなことを信じて働いているのかがわかってきた。社会人として第一歩を…