ぼくの家には、子供の頃の家族アルバムというものがありません。今のようにカメラが一家に一台、という時代でもなく、小学校くらいの頃は、だいたい近所にカメラ好きのオジさんがいるとか、勤め先が富士フイルムだとかで、時々遊んでいるところを写真に撮ってもらったりしました。少し経ってお裾分けのように2、3枚自分が写っているのをもらったりするのです。そういう写真をぼくの両親はタンスの引き出しに、プリントをそのまま突っ込んで仕舞っておくことを、アルバムがわりにしてたようです。だから、ぼくの子供の頃の写真は散逸してまとまって観ることができません。
昭和60年前後は、観光地のひな壇に乗って、みんなで記念写真を撮ることは旅の思い出として大事なものだったと思います。何しろ、今ほど旅の道中のあれこれをカメラに収めている人はほとんどいないのですから。
そういう訳で、子供の頃の自分や家族の写真を改めて観る、という機会は今まで殆どなく、のちに大学で写真の勉強をしていた割には、自分も含めて家族や身の回りの出来事を写真に撮る習慣も関心もなかったので、父親が死んだ時の遺影の写真探しは相当苦労しました。
先週見た若い作家さんのコラージュ作品が、自分の家族アルバムをコピーしたものを重層的に重ね合わせたコラージュ作品でした。何層にも何層にも塗り重ねられた、幼い頃からつい最近の青春の思い出写真の数々が大きな画面の中に塗り重ねられて、いくつかの思い出が断片的に浮かび上がり、時々観る妙にリアルな少年時代の夢の中にいるようでもあり、面白かったのです。
この何年か、自分の思い出であったり、親や、お爺さんおばあさんと過ごした日々の姿や、象徴的なイメージを織り込んだ作品を時々目にするようになりました。
デジタルネイティブの世代が、紙に焼き付けられた写真アルバムを表現のソースとして引用してくる、というのが何かとても不思議な感じがしますが、2000年前後はまだ撮影したものをデータで保存したり、ウェブやクラウド上で共有したりする習慣もなかった訳ですから、この世代特有の価値観なのかなとも思います。僕たちの頃にも、家族アルバムを持っている家庭は沢山あると思うけれど、僕たちの感覚と今の若い世代が抱くそれはちょっと違っているように思います。そして、次の世代は家族アルバムというあの分厚い物質そのものにリアリティを感じないかもしれません。そうなれば同じようにアルバムを引用するといっても、画面から受ける意味合いは随分と変わっていくのだろうと思います。
帰り際に、その作家さんが幼少の頃、親子で写っている思い出の写真たちは、両親が離婚した時に危うく、アルバムごと処分されそうになったのを、密かに隠し持っていたために、今この作品に使われていることを聞かされ、その話にもいまの在りようと一筋の冷たい陰を感じました。思い出の形というのは、残す、という強い意志がないと残らないものだということを噛み締めながら、会場を後にしたのであります。