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3F/長期滞在者&more

言葉なき対話〈007〉知られざるもうひとつの創世記

長期滞在者

【始めに】本稿は、2014年に発表した記事を改編・再執筆したものです。
文中には性的な写真表現が含まれますことを予めご了承ください。

 

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写真集としては大ぶりなB4サイズの上製本を、赤いベルベット生地が包み込む。その表紙には、金色で大胆に彫られた「Bible バイブル」という文字。装丁といい題名といい、挑発的と言っても良い出で立ちだ。

2014年に刊行された『Bible』。東京を拠点に活動する写真作家、岡部 桃の写真集である。発行はニューヨークのインディペンデント系出版社、定価14,040円、限定300部と、規格外の刊行であったにも関わらず、間もなく完売した。

知る人ぞ知る写真集に留めておくはあまりにも勿体ない本であるため、今回は本書を紹介したい。

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Bible』の被写体を務めるのは、主に岡部の恋人たちと友人たちである。

スナップショットによって、岡部の私生活を交えた日常生活が淡々と描かれているが、ページをめくっていくうち、ところどころで強烈な違和感を覚える。というのも、本編には彼らのヌード写真も含まれているのだが、そこに写った彼らの身体がチグハグなのだ。たとえば口ひげを生やして短髪を上に立てた男らしい見た目をした男性と思いきや、その下半身に目をやると、男性器がついていない。さらにページを進めて、今度は男性器のクローズアップ写真が出てきたかと思いきや、糸で継ぎ接ぎされたその包皮から、それが人工であることに気づかされる。

言葉による解説など一切添えられていないそれらは、初めこそ〝得体の知れないなにものか〟として私たちの目に映るが、何度か読み返すうち、彼らがFTMのトランスジェンダー(Female to Male:女性の身体を持って産まれたが、性自認は男性の人)であり、理想とする身体を手に入れるべく性転換手術を受けた時の前後の出来事が収録されているのだと飲み込める。女性として生まれ、性転換手術を経て生理学的に男性へと変わっていく彼らの姿を、岡部が写真に記録したというわけだ。

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身体と心の性が一致しないトランスジェンダーのために性転換手術なるものが行われることは知っていても、実際の様子をこの目で確かめる機会というのはそうあることではない。

そうした場面で、写真は言葉以上によく物語る。「百聞は一見に如かず」とはよく言ったもので、未知の事柄を耳で聞くだけではなかなか理解も追いつかないものだが、写真というイメージとして記録されることによって、それまでは不確かであったり、あるいは他人によって都合よく塗り替えられていた事実が、ひとつのたしかな形をもって定着する。しかし写真は、そうして定着した事実を言葉のようにはっきりと説明しようとはしない。私は誰々で、あなたは別の誰々といちいち区別しなくても、どちらも「在る」ことが許される。それが写真の持つ〝曖昧さ〟であり、人が写真を撮り続ける理由のひとつではないだろうか。

岡部の写真において、彼女が見つめる被写体たちは、彼女の眼差しの先に「ありのまま在る」。その事実を受け止めるためにわざわざ区分するような言葉づけは、そもそもが不要だ。なぜなら、誰もが違って当たり前なのだから。誰1人として、同じ人間などいないのだから。1人ひとりが自分自身をたしかな〝私〟として認識できるなら、私以外の〝私〟の存在も認識すべきである。

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岡部が愛する人々の姿を写真のうちに露呈させるとき、いわゆるカラーバランスのとれた色味に仕上げようとはしない。

赤、橙、黄、紫。様々な色に振り切って、写真を染め上げる。1人ひとりのありのままを描くには、きっと〝一般常識〟の色味では足りないのだろう。それぞれの人間が背負うオーラというのは色で表現されるものだが、それに近い。誰1人として同じ色の人間などいない。いや、みな異なる色をしているのだ。こうした考え方は、LGBTの象徴であるレインボーカラーのコンセプトにも共通する。

あるいはこの偏った色味を、観る側の視点に作用しているものと捉えるなら、私たちの両眼の奥深くに知らず知らずに取り付けられた〝色眼鏡〟とも解釈できる。色眼鏡をかけているうちは視界も開けないが、いつか外すことができたとき、一体どんな景色を見ることができるだろうか。

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それにしても、岡部はなぜこの本の題名を『Bible』としたのだろうか。

その疑問を考える上で、2013年に限定55冊が作られた岡部の第1作『Dildo』がヒントをくれる。それもまた、岡部の恋人や友人らが性転換手術を経て肉体的に男性へと変貌する過程が描かれた、『Bible』とは表裏一体の関係にある1冊である。

ディルド、すなわち男性器を模した性具。一般社会の解釈でそれを捉えるなら、慰めの性具として誤解されがちである。しかし肉体的に女性の2人が恋愛感情を持った末に行き着く肉体的な愛情表現において、それが必要とされることを忘れてはならない。だからここではそれを、愛の象徴として理解すべきだ。

とりわけ性自認が男であるFTMにとって、それを自らの肉体の一部として持ちたいと思うことは、根本的なアイデンティティの成立に直結する切実な願いに違いない。そして彼らが自らの願いをいざ実現させたとき、その体験はそれ自体が創世記とも呼べるほど、他に替えがたい尊いものになるに違いない。

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どうやら男性器を形成するには、自分自身の皮膚と皮下組織を剥ぎ取って使う必要があるらしい。

たとえば足からとった場合、術後は痛々しい傷跡が足に残るばかりか、足の太さが目に見えて変わるほどの大きな代償を払うことになるという。それだけでなく、「急所」とも表現するように、股間には多くの神経が通うことから、性転換手術は命にもかかわる。そうまでしてでも、彼らが手術に挑むのは、ひとえに自らの心と体を合致させるためだ。生まれつき手に入れることが叶わなかった自分らしさを手に入れることである。

改めて『Bible』を見返すと、まるで彼らの願望の残像であるかのようなイメージが挿入されていることに気づかされる。

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「創世記」において、創造主は土から最初の人間を創造した。

それと同様に、本作の登場人物たちも、持って生まれることができなかった自分らしさの一部を創造した。彼らが歩む道はきっと、私たちが知ることのない、新しい世界の物語となることだろう。

やがて、彼らと同じ悩みを抱えた若者がこの本を手に取った時、この物語から救いを見出す者もきっと出てくるだろう。その悩みを抱えたのが自分だけではないことを知るばかりか、先人の勇気ある闘争の記録を知るわけだから。その時、本書は彼らにとっての「Bible」となり得るのではないか。

ここに、知られざるもうひとつの創世記を見る。

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【お知らせ】岡部桃さんの作品『Dildo』『Bible』の一部が、オランダはアムステルダムのFoam Museumにて、2019年7月26日から9月4日まで展示されています。https://www.foam.org/museum/programme/momo-okabe

トモ・コスガ

トモ・コスガ

アート・プロデューサー。「深瀬昌久アーカイブス」創設者兼ディレクター。日本写真の現在を各誌に寄稿。2018年よりアムステルダム在住。

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