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3F/長期滞在者&more

自分の外側にある本

長期滞在者

小田急線の車体が傾き、地下へと潜っていく。人気のない東北沢駅を通り過ぎ、電車が下北沢駅のホームに着くと、まばらに人を吐き出した。最後尾に乗ってしまったので、ホームの端からエスカレーターまでは少し歩く。この端のところは工事中であることを開き直ったように無機質で、人々は一列にならないと進めないほど幅が狭い。構内は十分明るいけれど、なにか芯の部分が冷めているような薄暗さがあり、昼夜を見失う感覚がよぎる。

でも、その感覚は長いエスカレーターに乗るとすぐに打ち消された。このエスカレーターは地下のホームから地上までを一気に貫いていて、見上げると、ガラス張りの屋根を透過した3月の光が降り注ぐ。工事の途中でできたからだろう、少し新しくて他の部分と馴染んでいないのも頼もしい。鈍色のステップに乗り、日差しを浴びながらのろのろと運ばれていく。冬眠から覚めた虫になったようだと思う。地上に着くと、味気ない仮囲いだらけの通路にやわらかな光が満ちていた。
2013年3月、下北沢の駅が地下化して4年。2017年に完成と言われていた工事は2018年まで伸びるようだけれど、着々と新しい駅へとその姿を変えつつあるのを知った。

軽装の人が目立つよく晴れた日で、どこを目指すともなくまず街をぐるりと一周した。通りには見たことのない店も多いが、そんな店の看板さえ少し色あせていたりする。特に大学生の頃はよく意味もなく時間を潰していたけれど、引越しをしてからは、なかなか足が遠のいてしまった。

今、下北沢を訪れるのは、もっぱら本屋を覗くためだ。いつもイベントでにぎわうB&B、ポップとアングラが入り混じる古書ビビビ、ジェンダー関連の本が意外な充実ぶりを見せているほん吉。最近は第二の神保町と呼ばれることもあるようだ。
中でも、僕が行くのを楽しみにしているのがクラリスブックスという古本屋さん。1階がギャラリーになっているビルの2階にあって、大通りから少し奥まったところに出された「本」の看板が、入り口を知らせている。
階段をのぼるとまず、突き当たりに文庫・新書100円のコーナーがある。狭い空間だが、身をかがめながら本を探すのは、古本屋の醍醐味だろう。誰かが来たらさっと避けられるように、背中に意識をめぐらせながら、あまり時間をかけずにチェックする。続いて、入って右側の棚のフライヤーを眺めながら、左側の本棚を順に見ていく。ここもまた、すれ違いができないくらい狭い通路だ。単行本の棚、岩波や新潮などの文庫が並ぶ棚。続いて、図録や写真集が並ぶ棚。文庫の画一的な背表紙を見続けたあとに美しい装丁の本を眺める、緩急のある並びが楽しく、自然に奥へ奥へ足が伸びていく。図録の棚を過ぎると少し開けた空間になっていて、背の低い本棚に絵本やジン、建築関連の本などが陳列されている。
そして、店の一番奥には大きな窓がある。そこからは、さっきまで自分がいた通りを見下ろすことができて、寡黙で硬質な本の時間と、流動的な街の時間をゆるやかに結んでいる。はじめて来た時も、この窓をとても好きだと思った。

その時に買った本のことも覚えている。宇佐見英治の『三つの言葉』だった。
この著者のことは、ほとんど知らない。Wikipediaには「日本の詩人、フランス文学者、美術評論家」とあるけれど、著作を見ると詩よりも散文が多いように思う。この本も「秋の眼」という、宇佐見が軽井沢の山あいで生活していた時の日記を主軸に、33の散文によって構成されている。

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宇佐見英治『三つの言葉』(みすず書房)

「秋の眼」では、晩秋へ向かう軽井沢の自然や来客とのやりとりなどが、詩的でありながら明瞭な筆致で綴られる。当時の世相に気を病み、人間とは、世界とは、といった思想的な話をすることもあるが、それも夜霧のような詩的表現に美しく、等しく濡れている。自然と幾何学が呼応するように、哲学と詩が呼応しているようだと思う。

基本的には散文なのだけど、数ページ読んだところで突如「私は秋のなかに打たれた感嘆符」という詩の一行が差し込まれ、特に説明もなく進んでいくことに驚いた。散文と詩が共存し、文章的にというより音楽的に成立している。
改めて読み返すと、その韻律の完全さにも心を奪われた。まず、「私」「は秋」、は母音がともにa,a,i音になっている。続いて「の中に」と「打たれた」は「低高低低」のアクセントが連なり、最後の「感嘆符」は撥音がリズムを生みながら、空気の抜けるような「ふ」の音の実態のなさが、それをただの言葉で終わらせず、静かな森や、寂しいほど高い青空を想起させる。
突如詩が挿入されるのはこの部分だけだけど、こうした冴えた言葉はこの本のいたるところで瞬く。

結果的に、『三つの言葉』はすごく「当たり」だった。今でも時々、何かに触れて読み返している。

著者についても知らなかったし、あまり自分が積極的に手に取るような本ではないから、今にしてみるとどうしてこれを選んだのだろうと不思議に思うこともある。でも、自分の世界の外側にある本と出会えるかどうかは、場所の力が大きいのだと思う。クラリスブックスでなければ、通り過ぎていたかもしれない。ここじゃなければ出逢わなかったかもしれない。古本屋でそういう本にめぐりあうたび、いつまでもあってほしいと思うのだ。

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☆クラリスブックスの店長・高松徳雄さんは現在、アパートメントでも連載をしてくださっています。古本屋のことから映画を見た思い出のこと、今日公開された記事では猫について書かれています(悩殺写真がたくさんです)。連載一覧はこちらからどうぞ。

小沼 理

小沼 理

1992年富山県出身、東京都在住。編集者/ライター。

Reviewed by
中田 幸乃

何度目かでふと思いつき、声に出して、この文章を読み始めた。

わたしにとって、いつでも旅先である東京の風景は、ばらばらに散らばった場所、季節、天気をつなぎ合わせてできたものだ。小沼さんの見ている風景とは全く別のものだろう。それでもわたしは、小沼さんの目を借りて、暗闇に潜り、その先の光に目を慣らしながら、住人のように東京の街を歩く。本当は知らないけれど、知っているような気持ちで入る古本屋で、自分の記憶と棚の位置を照らし合わせていく。本の背を追う、目と、身体の動きが心地の良いリズムに変わってゆくのを感じる。

一冊に、手を伸ばす。

わたしの身体は、何を選ぶだろうか。
小沼さんが、「自分の外側にある本」と出会った場所で。

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