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3F/長期滞在者&more

ヒョウズンボのように – 暮しと妖怪の手帖(10号 )

長期滞在者

おめでとう、酉年。

年末には一年のもろもろを振り返り、年始にはちょっとした夢というか希望を持ってみて、新たな一歩を踏み出したくなる。これまで、そして、これからの一年を見つめれば、つい自分の「仕事」や「はたらき方」を考え、いつかはやってくる瞬間に備えて、どのように身支度を整えようか、とあれこれ思考を巡らせてみたりもする。

そんな仕事やはたらき方について話をするとき、ここ最近では「渡り鳥のように」というフレーズを耳にするようになった。どういうことだろう。

例えば、渡り鳥として数えられるツバメは、夏を日本で過ごし、繁殖期が終わると再び冬を越すため、台湾やフィリピンなどの南の国へと渡っていく。それらをヒントに考えると、渡り鳥の習性をなぞらい、「旅をするように」「地域と地域を動き回りながら」はたらける仕事をつくりたい、という思考性の人が増えたということなのだろう。

 
そういえば、あまり知られていないのだけど、”渡り鳥のような河童”もいる。

春は川にいて、秋になると山へ移り住むのが「ヒョウズンボ」という河童である。しかも、移動するときには空を飛び、鳥のような声を出すという。宮崎県東臼杵郡西郷村(現・美里町)では、グワッグワと鳴きながら、川と山を行き来する姿があったそうだ。

ちなみに、九州地方では、「山童(やまわろ)」という妖怪の伝承も色濃く残っていたりする。話はこうだ。「河童が山に入ると、山童になる」と。

ヒョウズンボの話と接続してみると、川にいた「河童」は、秋になると「ヒョウズンボ」となって空を飛行し、山へと移動して「山童」となる。春になると、その逆の順路で、かたちを変えながら、川へと戻っていく。

 
名前や姿かたち、そして習性が違えど、この3匹?が同一妖怪であるとして、現代っぽいの言葉に置き換えたならば、河童は「パラレルキャリア」な妖怪なのかもしれない。シーズン毎に、場所を変えて、役割を変えるのもどことなくうらやましい気もする(夏は軽井沢に、冬にはハワイ、みたいな感覚で)。

本屋をやりながら広告つくっている人がいれば、普段はデザイナーだけど時期がきたら焼き芋屋みたいな人もいるし、よくよく考えてみれば、歌って演技して文章も書く星野源も、そういうパラレルキャリアなわけで、あっちとこっちを行き来している人と言えるだろう。

そういったあんばいで、「渡り鳥のように」という表現もいいけど、「ヒョウズンボのように」はたらき・仕事をつくる、というのは、通信環境・交通が整って、動くときの選択肢が広がった現代にはわりかし合うんじゃないかって。

 
河童三变化ではないけど、一つの顔ではなく、場所なのか時期を変えて、別人のような顔を持てるというのは、人間のゆたかさにつながるのではないかとも思うのだ。

そんな“ヒョウズンボのような人”がちょっとでも増える年になりますよう。そして、今年も『暮しと妖怪の手帖』をよろしくお願いします。

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*妖怪を考え、社会を考え、人と暮しを考え、現代における“妖怪と人の共存”のあり方を模索しながら、勝手気侭な独自の研究を進めていくのが、超プライベート空想冊子『暮しと妖怪の手帖』です。

月火 もえる

月火 もえる

もえるゴミの日(月・火)のどちらかに生まれました。根暗のポテンシャルを模索中 。なまけたいから考えることはなまけない。

「暮しと妖怪の手帖」編集員。ぬらりひょん画集「Monstagram」撮影係。

隣にいるのは、べとべとさん。好きな妖怪は「くらぼっこ」「しろぼうず」「あかなめ」。妖怪検定中級。

0mija.tumblr.com

Reviewed by
藤森 詔子

『二足のわらじを履く』という言葉があるが、足が沢山あったなら二足と言わずにもっと沢山のわらじを履いてみたいものだ。
何ならわらじだけじゃなくてよい、ヒール・スニーカー・クロックス、サンダル・パブーシュ・ロングブーツ、あらゆる履物を試したい。試すだけならさてよいが、履きこなすのが大変だ。履物の癖や特徴で、始めのうちは疲れたり靴ズレしたりするだろう。歩き方も変わってくる。ヒールを履く時なんかは、所作も気を付けないとみっともない。そうやって履物は、少しずつ身体に馴染んでいく。

複数の物事を掛け持ちするというのは大変だ。大変だけれど、こなせばそれだけ成長できる。
あっちこっちを飛び回って、それぞれ違う役回りを担い、平行して複数の仕事をこなす。理想はハツラツとした絵に描いたような“デキる人”。う〜ん憧れる。1年の半分は海外で暮らし、仕事と帰省に日本に帰ってくる。実家で充電したらまた海外へ、なんてのもよい。

“パラレルキャリア”という言葉をはじめて知った。
器量がよければ(←ここ重要!!)何でも挑戦したい、何処へでも行ってみたい。そこで得た経験を重ねるごとに、自分がアップグレードできる気がするのだ。アプリケーションみたいに言ってしまったけれど、“パラレルキャリア”にはそういうイメージがある。
けれども一方で、最後に帰れる場所は残しておきたいという、割りかしクラシックな思いも私にはあったりする。そういえば、最近見たアニメの中で言っていたセリフが印象深かった。

「船には港が必要だ。いつまでも待ち続けてくれて、最後には自分を受け止めてくれる、そんな港が。」

複数の物事を掛け持ちしていたり、季節で暮らす場所が違ったりを続けていると、途中で軸の中心が見えなくなってしまいそうで怖い。
でも、ここで言う“港”、つまりここから出発して最後に戻ってこられる場所があれば、もしブレそうになったとしても、自分を引き戻してくれるように思うのだ。それは現実の土地でも人でもなんでもよい。心が戻ってこられて、絶対的安心感のある存在、精神的支柱、そんなものがあれば、もっともっと更に遠くまで渡って来られるんだろうな。

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