先日、妖怪検定を受けるべく、鳥取の境港に行ってきた。
言わずもがな、境港は鬼太郎がいる町である。1993年に、「水木しげるロード」と名付けられた道路には、現在100体を超える妖怪の銅像が並んでいる。ここに、鬼太郎の銅像がいくつか設置されているというわけだ。
その名の通り、鬼太郎がいる町、境港であるのだが、”鬼太郎”がいない町について話をしてみたい。
そもそも鬼太郎とは、水木しげる氏が創作した妖怪であり、時代を遡って妖怪図画を眺めたところで出てくることは一切ない。しかし、妖怪といえば鬼太郎、というように「ゲゲゲ」の印象は強いようで、妖怪の代名詞になっていることは間違いない。
実は、もとを辿れば、「鬼太郎」の名前は、伊藤正美作の「墓場奇太郎」をモチーフにきたものであった。また、「ゲゲゲ」の前に貸本漫画としてはじまった「墓場鬼太郎」に出てくる鬼太郎は、人情味がうすく、人間を憎む存在として描かれており、正義感のかけらもない。
少年/青年漫画誌での連載、さらにはアニメ化にともなって、「悪と戦う」鬼太郎へと変化し、ついには「墓場」から「ゲゲゲ」へとタイトルも親しみを持てるものになった。さて、前置きが長くなってしまったのが、”ゲゲゲの鬼太郎”がいない町について話を戻そう。
鬼太郎という存在について考えてみる。ゲゲゲに登場する鬼太郎が、”悪”と捉えて、こらしめる相手というのは、妖怪だけなく、実は人間もその対象になっている。
つまり、鬼太郎は、人間側だけでなく、妖怪側の気持ちも当然ながら理解しており、時と場合によって、どちらの味方にもなれる”間”の存在なのだ。彼が見ているのは、本質的な”悪”でしかない。また、彼は「幽霊族」の末裔である。幽霊族とは、人間の死霊のような一般的に考えられている謂わゆる”幽霊”ではなく、人類が誕生する前に栄えていた種族とされ、ルーツは妖怪側にある。
この鬼太郎の存在を、一つの町を舞台に言い表してみたい。どんな町にも、当たり前だがさまざまな人がいる。昔からずっと住んでいる者もいれば、移住で外からやってきて者もいるし、一度外に出てから戻る者だっている。
言い方を変えれば、土着の人がいて、Iターン者がいて、Uターン者がいるというところだろうか。では鬼太郎は、どれに当たるだろう。
「妖怪=土着」としたときに、鬼太郎は「人間=外/よそ」に行くことのできるUターン者に近い存在かもしれない。しかも、定期的に、どちら側にも行き来のできるフットワークと柔軟さを兼ね備えている。また、地元(妖怪)のことも理解しつつ、地元の人のためにも、外からきた人のためにも、町での暮らしがよくなるために悪を突く、という姿勢であるため、どちら側からの信頼も厚い。
見落としがちだが、町のなかでなにかをやるときに気を付けたいのは、「なにをするか」でなく「だれがするか」である。だからこそ、立場であったり、あっちこっちに動き回ることのできる回遊性は意識できるとよいことであり、土と風を混ぜ合わせるような、つねに”間”に立てる鬼太郎は貴重な存在なのだ。
謂わゆる「まちづくり」だったり、町の「移住」をどうしていこう、みたいな議論をするときには、その町に”鬼太郎”がいるかどうかをまず確かめてみてほしい。“鬼太郎”がいない町、その存在に目すら向いていない町の多さときたら、もう、ね。
カランコロンと音の聞こえる、そんな町こそが、ゲゲゲと驚きのある、「まちづくり」や「移住」のニュースタンダードになるのではないか。
「妖怪をのぞけば、暮しと人がみえる、自分がみえてくる」を仮説に置きながら、勝手気侭な独自の研究を進めていくのが、超プライベート空想冊子『暮しと妖怪の手帖』。妖怪を考え、社会を考え、人を考え、自分を考え、現代における“妖怪と人の共存”のあり方を模索していけるようなダイナミズムを持ちたいと思っています(嘘)。