幻覚にカーテンコール
ⅴ 姿なき販売所 「あの、牛乳が届いてなかったんですが」 返答はない。少し音量を上げる。 「ごめんください」 誰かがそばにいる気配すらない。 翻訳機の音量を最大に設定して、半開きになって北北西の風に揺れている鉄扉の向こうへ呼びかける。 「牛乳を、取りに、来ました! 十字路の、角の、診療所の、者です!」 一語ずつ区切って呼びかけた“音”は、風鈴に似た余韻を残して消えた。やっぱり返事は返ってこ…
長期滞在者
ぼくの仕事はギャラリーディレクターですが、今までの仕事の中で相当な割合を写真作家を志す方々との関わりに時間を割いてきたと思います。学校での講義や講評、ワークショップ、ぼくのギャラリー以外でも比較的キャリアの浅い人を対象にしたイベントに呼ばれることも多いことからも、周囲の写真業界の皆様からも同じようにぼくの仕事を観ておられるのかなと思います。そういった皆様と時間を共にさせていただきながらしばしば感じ…
Mais ou Menos
_______________ Pちゃん 今日は久々の休みでした。ここ数ヶ月すごく忙しくて、最近は身も心も疲れていると感じます。仕事に対するモチベーションが下がっていることが、とてもしんどいです。でも、それでも日はまたのぼるし、時間は過ぎる。日々、家と職場の往復。世界中の大人たちの毎日は、こんな日々なのでしょうか。 悲しいと思うことが多い反面、家に戻ってきたときの安心感はひとしお。庭のジャスミンが…
the power sink
今回も意味のない絵を載せる。見て貰えると嬉しいです。それではよろしくお願いします! グルグルしている。気分沈む 公園。植物や水がある 僕は頭にパイプを固定して、手で持ってグリグリしているので、まともに歩けない。さらに他の人にもグリグリしてもらっているので、もう全然まともに動けないんだよ。手を離せばいいと仰る方もいるだろうが、なんでか手を離すのはとっても不安でグリグリする…
長期滞在者
1800年、ウィリアム・ハーシェルは、太陽の光をプリズムに通し(100年前にニュートンが行った実験と同じように)七色のスペクトルに分けました。そして、七色それぞれの温度を測ってみました。紫、青、緑、と徐々に温度が上がり、一番端の赤色の光が最も高い温度を示しました。ハーシェルは、なんとなしに赤色のさらに外側、目に見える光のない部分の温度を測ってみました。なんと、その場所は目に見えるどの色の光よりも高…
幻覚にカーテンコール
iv 燐光の香り 扉を開け、その光景を目にした時、私は遠い昔に観たある映画に出てきた、魔女の部屋を思い出した。 洗い立てのシャツのように真っ白で清潔な床、天井。壁の大半は大小様々な淡い水色の引き出しに覆われていて、その一つ一つに濃紺のインクで丁寧に書かれた分類ラベルが貼られていた。 引き出しの並ぶ壁を背にする形で、白いペンキで塗られた古く大きな作業机と濃紺の椅子が置かれている。机上は無数のビ…
長期滞在者
アート・ブラッセルというアートフェアが4月24日から27日まで開催されたのだが、 そこに、日本の堀尾貞治さんとその仲間4人が現場芸術集団「空気」として参加した。 彼らのアテンドのような形で仕込みや客の通訳なども少し手伝うことになり、 仕込みを含めた会期中、毎日会場に足を運んだ。 今回の展示は「Art Vending Machine」と銘打たれたもので、 アントワープにあるアクセル・ヴェルヴォールト…
長期滞在者
台所がおかゆでいっぱいになり、家じゅうがおかゆでいっぱいになり、それから、となりの家がおかゆでいっぱいになり、家のまえの道も、おかゆでいっぱいになりましたが、おなべは、まだ、ぐつぐつ、ぐつぐつにています。まるで、世界中を、おかゆでおなかいっぱいにしてしまいたいと、思っているようでした。 『おいしいおかゆ』より 熱があって学校を午前中で早退した日のこと。食欲がない私に母がお粥を作ってくれるという。め…
長期滞在者
先日、電車の中でとても印象に残る出来事があった。まだ小学校に入学したてのとても体の小さな女の子と、同じように小柄なその母が、電車の中でわたしの横に座った。女の子は終始泣いていて、学校に行きたくないと、ずっとぐずぐずしていた。母は大分高齢で、困り顔で優しくあやすように女の子を励ましていた。 母は次の駅で降りるそうで、学校までの残りの道のりは、女の子ひとり。仕事だから仕方ないと言いながら、母は何度も何…
幻覚にカーテンコール
iii 柔らかい水 小指の爪ほどに小さく見える、はるか遠くの山から太陽が昇る頃。 インベーダーゲームの電子音のような声で話すおじさんに連れられて、私は「なんきょくじん」と呼ばれる人々の住む街へ到着した。 等間隔で行儀良く並んだ建物はどれも角砂糖そっくりの真っ白な立方体をしていて、角砂糖工場の中へ迷い込んだかのようだった。私はすぐに近くの建物の中へ案内された。 そこは小さな病院らしかった。待…
長期滞在者
路上でぺたんこになった小動物を見つけた。ぺたんこすぎて何なのかもわからない。 子猫にしては尾骨が太すぎ長すぎだし、頭が小さすぎる気がする。そもそも轢かれて伸びてしまっているので生前のバランスがすでによくわからないのだが、猫でないならイタチの類ではないかと思う。死後かなり経つらしく、骨煎餅のようにカラカラに乾燥している。 少し前にも平らになった亀を見つけたばかりである。材質からして亀以外にないはずだ…