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Mais ou Menos #38 —裏でも表でもないわたしたちの往復書簡ー

Mais ou Menos

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ぴちゃん

日曜の朝から、早起きして散歩するの良いね。寒いのに心がポカポカする。

この往復書簡が2017年最後のお便りになりますね。今年もあっという間でした。でも、今年は私たちの人生において、いくつもの大事なできごとが起きた年だったと思います。

ぴは適応障害になって、それを自分の力と、意志、努力で乗り越えつつある。私は中枢性尿崩症になり、下垂体腺腫があることがわかった。よりよく生きるために、食生活を変えた。日々マインドフルネスに生きられるように訓練してる。30代になって、からだも心も、日々変わってきていると思う。自分たちのことは、自分たちで決め、自分たちで責任を全うする。受け入れる。そういうことが怖くなくなってきた。

不安にならずに生きることは難しいけれど、不安ときちんと向き合えたら、きっと大丈夫。それくらいの心の余裕ができたかも。あと、3ヶ月半くらい待ったビザの申請結果がようやく出た。明日、入管に行くのがハラハラするけれど、多分ビザが更新できてるはず。私が今、日本にいられるのも、ぴちゃんの日々のサポートのおかげです。家族が私を残してブラジルに戻って、女が一人で異国で暮らしている状況で、頼れるのはぴちゃん(とその家族)だけだし、ぴにもたくさんストレスをかけてしまったと思う。数日後、日本にいられるかわからない、日本から出ないといけなくなるかもしれないというのは、大きなストレスだし、”日本に生まれ育った人”※1には、無縁のストレスだから、申し訳なく思いつつ、2人だから耐えられたと思っています。

※1 “日本で生まれた育った人”っていう表現には語弊があるな…。日本国籍で、日本に生まれ育った人の方が正しいか…。

本当にありがとう。

今年も、来年も心身ともに穏やかに日々を過ごせたら良いね。

ぴちゃんは、来年どういう風にすごしたい?どんなことにチャレンジして、どんなところに行きたい?

私は今よりも自分の体調管理を頑張って、もう少し気持ちよく日々をすごせるようにしたいです。それだけでも、100点満点やと思う。

Maysa
2017.12.10

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まちゃんへ

気づけばもう年の瀬ですね。
今年も振り返ってみると色々あったなあ。
1月に適応障害の診断を受けたけど、9ヶ月ほどで病院に通わなくてよくなり、自分でメンタルのコントロールができていると感じるようにまでなることができた。どうやったら、自分が辛くならずに生きられるか、精神をうまく誘導できるかをずっと模索しつづけた1年だった。

まちゃんはdi(尿崩症)になった。日々、自分の体調と闘いつつも、仕事もできる範囲でしっかりこなす姿に、自分も、と奮い立ちます。
自分たちの生活や考え方を見つめ直し、食生活や毎日の身の周りのことに今まで以上に目を向けるようになった。
まちゃんがdiになったことで、考えたくないけど、まちゃんの「死」を意識しました。薬を飲んでいたら大丈夫と病院の先生から聞いても、100%大丈夫なことなどないと思っているので、まちゃんと一緒にいる時間や、毎日をもっと大事にしようと思うようになった。

明日はまちゃんのビザの申請の結果がわかる日。
どんな結果が出ても、2人で生きていくことには変わりはないし、受け入れて、やっていこうと思う。
年末は休みもとれる予定なので、2人でゆっくりしたいな。

来年は、今年に引き続き、健康な生活をしつつ、もっと今の仕事の技術をアップさせたいです。
あとは、まちゃんと気持ちの良い部屋で過ごしたいです。出かけるのもしたい。

今年もありがとう、来年もお願いします。

2017.12.10
P

Maysa Tomikawa

Maysa Tomikawa

1986年ブラジル サンパウロ出身、東京在住。ブラジルと日本を行き来しながら生きる根無し草です。定住をこころから望む反面、実際には点々と拠点をかえています。一カ所に留まっていられないのかもしれません。

水を大量に飲んでしまう病気を患ってから、日々のwell-beingについて、考え続けています。

PQ

PQ

ゲームと映画が好きです。
国籍も性別もない。

Reviewed by
西尾 佳織

「明日はまちゃんのビザの申請の結果がわかる日。
どんな結果が出ても、2人で生きていくことには変わりはないし、受け入れて、やっていこうと思う。」

そういう風に、私は自分の大事な人に言えるだろうか? と考える。
あるいは逆だったら、どうかな?

日本の国籍を持って、日本のパスポートを持ち、子供の頃に親の仕事の都合でマレーシアに住んでいた私には、「海外に暮らすこと」もわりと普通にあり得ると思える選択肢だ。
でも今、「日本では一緒に暮らせないことになった」と言われたら、どこかへ一緒に拠点を移せるだろうか?

……と考えて、いや、「2人で生きていく」というのは別に暮らす場所が一緒とも限らないのかもしれない、と気付く。
そう思ったら尚更、2人が同じ部屋で一緒にいることを大切に感じた。

「2人で生きていく」ってなんだろう?