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お直しカフェ (4) 穴が空く

お直しカフェ

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築地がなくなってしまった。天まで積み上がった発泡スチロールも、これぞブリコラージュと言わんばかりのロフトも、ビールケースの椅子もガムテープで補強しまくりの荷台も、もうじきに全部全部なくなってしまう。

私は何かがなくなってしまうことがたぶん人よりもだいぶ苦手だ。それは、今年の春、近所のお蕎麦屋さんが火事で全焼してしまったときに、友人から指摘されて改めて気づいたことでもあった。火事現場の前が辛くて通れないと言うと「そういうの特に苦手だもんね」と慰められ、ちょっとはっとした。彼に指摘されて、解体現場が苦手なことにも梅雨の頃に気づいた。

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新しいものが嫌いな訳ではない、ミーハーだし。だけど、目の前の、誰かが手をかけてきたものや場所や関係が無残になくなってしまうとき、いったいぜんたいどうしてと、悲しいというか嫌だというか、そういう気持ちにならずにはいられない。せめて、勢いや業者に任せてスパッと「壊す・捨てる」ではなく、時間がかかっても自分の意思や手で「片付ける・たたむ」ような、そういうことはできないのだろうか。「直す」の選択言わずもがな。

小さなことに目を凝らなさくてもいい、有り体にいうとこのブラックボックス化した社会で、このまま自分の手を下せない瞬間の連続で暮らしていると、こう心が体を離れていったりするんじゃないかという、ぼんやりとした危機感がある。

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芸術人類学者の中島智氏が、私の過去のエッセイに触れ、「繕いをする人は、繕いにあらわれる人格と語らう。それは山歩きに熟れたひとが、草の結びに “マーキング” を読んで回避し、枝の折れに “サイン” を読んで引き返すさまを彷彿とさせる。」という呟きをくださった。

確かに、人のお直しを発見するのはとても嬉しい瞬間だ。寿司屋の女将のシャツの不自然な位置についたパッチワークや、中華屋で出くわしたおじさんのガムテープが貼られたデニムの膝、布地のペンケースに構造を与えるかのように施された建築家の刺しゅう。自分の手の内にあるものに生じた綻びや不具合に、その人らしい手法や態度でもって補修を加える。私はお直しをする人が好きだ。

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かつて、車や飛行機、電車が普及しはじめた時代に、登山家が「そこに山があるから」という言葉残したように、この買った方が安い早いの流通至上主義の時代に、なぜお直しかと聞かれると「そこに穴があるから」と答えられなくもない。挑み続けたい山を見つけた気持ちだ。

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イギリス人アーティスト、レイチェル・マフュー(Rachael Matthews)さんのダーニングワークショップに参加した。繕い界隈では世界一、二の著名人で(もちろんそんなに広い界隈ではないが)、かのセントラル・セント・マーチンで教鞭を取る鬼才というタレコミ。やや畏れながら訪れつつもお会いしたご本人には、なんというかすぐに仲良くなれそうな、ちょっと先を飄々と歩く同志のようなシンパシーを感じた。
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何着か、これまでの作品を見せてくれた。これは、旦那さんのパジャマ。使い込んでかなり肌触りのよくなったコットン布だった。破け目はあるけど、その他の部分の仕上がりが良すぎて、これぞ経年優化(これは、三井不動産の造語)。本題に戻ると、黒いなみ縫いの箇所、かなりリズミカルに刺してあって、玉止めも終わりの糸始末もしていなかった。手早い。思い出すとインド人の刺繍もそうだ。丁寧な糸処理は、日本ならではものというか、日本人の特性だか癖かもしれない。選択の余地がある。

ちなみにこれは、イギリスのスーパー、マークス&スペンサーで買った一着らしい。普段、ユニクロのセーターや靴下もたくさん繕っている私は、ここでもシンパシー。

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これは、道に落ちていたのを拾ってきたというデニムジャケット。いい具合にくたびれてたくさん穴が空いたので、結果いい一着になったと言う。マフューさんはニット作家らしく、とにかく繕う行為を楽しんでいるように見えた。彼女の言葉を借りて表現するならそれは、(日本語の表現で細やかさを想起させる)「繕い」というより、「織りを施す」(英語ではadd weave)と言った方がいいかもしれない。どのお直しにもはっきりとした主張があって楽しげだった。

彼女くれたメッセージの中で印象的だったのは、「Make more hole!(もっと穴をあけて)」という言葉。「穴が空くほど使うのも難しいわね」とは、隣に座っていたマダム達の談である。

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その日彼女が手元に置いて繕っていたのは、同居する義理のお母さんのニット。作品が、これでもかというぐらい身近な持ち物で構成されているのも、何よりよかった。ずっと目をつけていて、この来日に合わせてやっとお直しさせてもらえることになったとのこと。日本に来たので、金継ぎみたいに刺繍してみているらしく、ニット素材に対してかなり細い金の糸で挑んでいて苦戦中だった。

他にも、お父さんが大工で、繕い道具のダーニングマッシュルーム(少し前まで日本でも販売していた)は父の手作りのものだったことや、もう服は買わないと決めていてその日も自分で作ったというカットソーを着ていたこと(お手製かなとチラ見で予想できるぐらい作りはラフだった)、旦那さんの家族が元難民だということ、コンピューターサイエンスの学者と共同で研究を行なっていることなど、色んな、興味深い話をぽんぽんぽんと伺った。私もこれまで繕ってきた靴下を見せたり、なんだか最近繕いがパターン化してきちゃってという相談をしたり、大事な友人を紹介したり、ぽつりぽつりとおしゃべりをした。同じような作業で手を動かしながら、テーブルを囲みながら、そういう空間で飛び交う会話が私は好きだ。

やるべきことを時短・感便(これは、日経トレンディの造語)に、こなしていく生活サイクルからは溢れてしまう、大事なエピソードやその人のルーツ、日々ひとりでぼんやり考えているような思考に触れられる機会を改まらずに畏まらずに持つことができる。それが、こういう繕いのワークショップのすごいところで、私自身も会を定期的に主催していて、大切にしなきゃなと思っているところだ。そうして、改まらずに畏まらずに、その人らしい態度、心と体がつながっているような姿勢でもって、人やもの、コトと付き合う術を少しずつ身につけていきたい。
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〈今後のお直しカフェ/繕いワークショップの予定〉

– 10/27(土) 15:00~17:00
場所 : 東向島珈琲店(墨田区東向島1丁目34-7 / 「曳舟」「京成曳舟」駅より徒歩約5分)

千住てのモノ市
– 12/9(土) 11:00〜12:30 / 13:30〜15:00
場所(予定): 千住仲町の家(足立区千住仲町29-1)

詳細や申込みはお直しカフェHPにて。
持ち物 : 穴の空いてしまった靴下やカーディガン、セーターなど。刺繍針・糸・当て布など(あれば)

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Reviewed by 朝弘佳央理

私も誰かのお直しの跡が大好きである。
お直しの跡を見つけたときに感じる愛おしさのようなものを、どう説明したらいいんだろう。
誰かがその物をたくさん触って、見つめて、工夫をこらそうとしたその時間が、急に見えてくる。
お直しの跡に気づかなかったときには「ただの物」であったものが、急に体温を持ちはじめる。
まるで、その物を撫でさすったのが自分であったかのような擬似的な身体感覚を持って息をしだす。
大げさに聞こえるかもしれないのだけれど、お直しの跡を見たときの感覚を文章にするとこんな感じ。

布同士をはぎ合わせ、糸を縫い込んで、穴が塞がれ、布が強くなり、古いんだけど新しい姿になる。そしてまたいずれは、擦り切れる。
お直しは、古びてゆくのも楽しい。
直し糸がやがては元の布になじんで溶け込んで、また穴が空く。
時には直し糸が、弱くなっていた布を引っ張って余計に大きな穴になってしまうこともある。
そんなことにいちいち学ばせられることも、楽しい。

なにかに長く触っていたり、そのもののことをしょっちゅう考えたりしていると、そのもののことが自ずと分かってくる。
大工さんが木の目を読めるのも、私のおばあちゃんが小豆を美味しく炊くのも、お母さんが赤ちゃんの鳴き声を聞き分けるのも、そういうことだ。
周りのひとからすると不思議なことだけれど、本人にとってはもうそれは見えているものなので、「だってそうなんだもん」という以外に答えようがない。

お直しをしてまでずっと手元に残したいものしか、もう欲しくない。
…と思いながらも、つい手頃で気軽なものを買ってしまったりするのだけれど。

10月27日のお直しカフェ、ご興味のあるかたはぜひ参加されませんか。
お直しは簡単だからひとりでもできるかもしれないんだけど、お直しについてはしもとさんとお話したり、集まった方が何をお直ししているのかを見たり、それがどういうものなのかお話するのはすごく楽しいと思うのです。
私も日本にいたら行きたい。

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はしもと さゆり

はしもと さゆり

お直しデザイナー。企画と広報、ときどきカフェ店員。落ちているものとお直し、マッサージとマイケルジャクソンが好き。

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