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お直しカフェ (7) 作る生まれる

お直しカフェ

赤ちゃんが生まれた。この世の全ての賛辞を贈りたくなる、幸せの塊みたいな、小さくて目も合わない、ふにゃふにゃの猫みたいな存在が、突然生活に加わった。ああどうりで天使のモチーフは赤ちゃんなんだなと、納得しきりだ。

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春に亡くなった祖母の肌着を使って、赤ちゃんの服を作った。特別な意味があった訳ではなく、たまたま、出産準備と遺品整理が重なったからそうなっただけ。たくさんの手芸用品や材料が残った祖母の家で、新生児用の服を作るのに使えそうな布を探していた結果見つけたのがその肌着で、安い時にまとめ買いしたのだろうパッケージに入ったままの新品のものもあったけど、適度に使い込まれたものの方が布地が柔らかで都合が良さそうだった。

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型紙は、一着だけ買った新品のベビー服(短肌着)から写して作った。それから縫製も、その一着を手に取りながら見様見真似で。新生児用の服は、肌当たりがいいように縫い目を表に持ってくるらしい。祖母の肌着を見つけ、よしこれで作ろうと、思い立ってから1日ちょっと。勢いよく完成させた。裾のレースをそのまま活かせたところが気に入ってる。ペタペタと切り貼りする、工作みたいで楽しい時間。気構えて準備したベビー服用の手芸本も型紙も結局使わなかった。赤ちゃんの服は小さいので、縫製や長い布の扱いにイマイチ自信のない私のような人でも気楽に作り始められる気がする。服のサイズ、子どもの成長に比例して、私の洋裁スキルも向上するといいのになあとぼんやり切に願う。祖母の服、一着たりとも捨てられないので、できるだけたくさん何かに作り変えて使い継ぎたい。

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妊娠初期の頃、出産こそはリクルートやベネッセのお世話にはならないぞと息巻いていたがあっさり陥落し、結局色んな情報誌やサイト、本に目を通した。これからどうなるんだろうという不安に加え、つわりで気力体力低下した日々で、カラフルで優しい紙面に救われたのは確かだ。就職や結婚、出産、どれも当人にとっては初めてずくしの大きなライフイベントに際して、商品やサービスを提供する企業があの手この手で差し出す情報をかわすのは至難の技だなあと、地元の巨大ショッピングモールでベビーカーを物色しながらぼんやり考えた。

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作ることは楽しい。一方で、買うことも楽しい。今という時代では圧倒的に、後者に比重が置かれている。地元のショッピングモールは遊園地の跡地にできた。買い物は娯楽か。試されているのは、私たちのバランス感覚だと思う。

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作ることは楽しい。私の場合、お直しを通じて、例えば穴のあいた靴下としょっちゅうにらめっこしてると、だんだん靴下そのものを見る目の解像度が上がっていった実感がある。縫い目の構造や、自分の歩き方の癖、ここ、予め補強しとこか、なんて工夫が芽生えてきたのである。そういう繰り返しで、中学生の頃に着ていたシャツを引っ張り出して襟を外し丈を詰め、授乳もできるこの夏ヘビロテの一着にしたり、祖母の家の物置に眠っていた、祖母の作った継ぎ接ぎの布団シーツを切って縮めて、ゆりかご用のシーツにしたり、ものを作る、道具を使う、手の使い方が増えてきて、これは本当に、暮らしてて楽しいなという実感に繋がっている。

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お直しは、作ることへの小さな入り口だ。道具を手に持ち、小さな技術と暮らしの創意工夫を取り戻す。小さい頃に誰もが取り組んだ工作のような、毎日の料理のような、その手軽さで、身の回りのものを作る、使い倒す、直す。巷の安い早いに対抗するには、ものを作る、その手の俊敏が鍵なんじゃないかと、今ふと考えた。今、夏だからかもしれないが。

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のらりくらり十月十日をなんとかやり過ごして、赤ん坊を生んだ。私の体が、ひとつの命を作った。私が、とはとても言えない。

産後2日目の夜、助産院の布団の上で初めて赤ん坊と二人っきりになったとき、彼の顔をまじまじと眺めていたら、どういう訳だかハラハラと涙が出た。ああ、尊いということはこういうことかと思った。産後5日目の夕方、実家のベランダで赤ん坊の洗濯物を取り込んでいるとき、彼を囲む家族の嬉しそうな顔を思い出して、ああこうも幸せな節目があるんだなあと驚いた。いつまでも、忘れないでいたい。

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Reviewed by 朝弘佳央理

さゆりさんのおうちに赤ちゃんが誕生してから、時々SNSにあがってくる写真を眺めていたら、あらなんだか髪が伸びて。しっかり座ってる!さゆりさんの赤ちゃんのときの写真とそっくり!!なんてにこにこしているうちに4ヶ月も経った。

私はと言えば、靴下のお直しをがひろがってゆく穴においつかず、ちょうど昨日新しい靴下を買いに行ってしまったところだ。
とは言えまだ穴の空いた靴下は捨てるわけではない。直せるものは直し、これはもう穴というより裂け目では…これは蜘蛛の巣??というようなものについては掃除用品に転職してもらう。
あまりふだん洋服屋さんに入らないのだけれど、入ると結構ぐったりする。大量の洋服がそこにあって、大量の人間がそれをがさがさとひっくり返したり、体に当てたりして、持って帰ろうとしているからだ。
ただ眺めているととても不思議な光景だな。
家のタンスには服があるだろうし、服を今も着ているのに、まだ服を探しているということが。
当たり前なんだけど、ちょっと変な気がした。
その一方で、マネキンが着ているコートとワンピースがとてもかわいかったので、素材を見て、もうちゃんと長く直しながら着られるものしか買うまい!……欲しいけど…と葛藤をしたりもしたのだった。

”お直しは、作ることへの小さな入り口だ。” とさゆりさんは言う。
ほんとうにそのとおりだと思う。
ズボンを一着縫うのは敷居が高いけれど、靴下をつくろうのは少しの時間でできるし、多少へたくそだって構わない。色んな糸を継ぎながら不格好にふさいだところで、それが味になる。重ねてゆくうちに、そのことと付き合っているうちに、だんだん自分なりに分かってくるものごとがある。

”お直しは、作ることへの小さな入り口だ。” とさゆりさんは言う。
ほんとうにそのとおりだと思う。
でも同時に、新しく何かをつくるよりも、すでにあるものを直すことのほうが、ある意味ではそのものにより寄り添う必要があるような気もする。
一方通行ではお直しはできない。
会話のようなものだ。
何かを育てるのとも似ている。

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はしもと さゆり

はしもと さゆり

お直しデザイナー。企画と広報、ときどきカフェ店員。落ちているものとお直し、マッサージとマイケルジャクソンが好き。

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