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お直しカフェ (14) 暇だったときのこと

お直しカフェ

28歳のクリスマスに上司と社長に呼び出されて、年明け1月いっぱいで会社をやめてほしいと言われた。1ヶ月と少しの猶予があったので労働基準法的な問題はなかったと思う。「使い捨てられたと感じます」と発するのが、その時できた精一杯だった。娘の単身東京暮らしをずっと心配していた家族にはまさか言えず、帰省して心ここにあらずなお正月を過ごし、初詣で神様にだけご報告して何とか頑張りますとお伝えした。

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先月はああものんきなことを言っていたのに、コロナ(幸いこの言葉の響きはやさしい)で混乱を極める世界に対して、いまどういうことを話そうかなあと迷った。幸か不幸か東京からは昨年のうちに脱出していたので、わたしは今も近所の喫茶店に来て、こう、キーボードに向かっている。しばらく自粛していた。今お店には私しか客がいない。どうしたもんだ。

迷って、それで、少し勇気を出して、なす術なく自宅にこもっていたときの話をしようと決めた。とても格好悪くて恥ずかしくて、これまで誰にも話したことがなかった。当時は、打ちのめされていたし、これから一体全体どうしようかなと不安でしょうがなかったけれど、でも、どういう訳だか、数年も立たないうちに、ああ、あの時間があってよかったな楽しかったな、と度々振り返るようになっていたからだ。

少しでもいまソワソワしてピリピリした空白期間を過ごしている人に読んでほしい。Switchを買う前に、思い切って断捨離したりkonmariしたりする前に届いてほしい。

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28歳の冬から春にかけて、ひとり家で過ごすたくさんの時間があった。

最初に思い出すのは、ご飯を木のお盆に乗せて箸置きも置いて、ちゃんとして食べはじめたことだ。お盆を使うと、食事が一セットの舞台みたいになって、あれ、ここ空いてるから小鉢を置かなきゃ格好がつかないな、とか、副菜も増えていった。食事のときだけはテレビを消そうと決めると、自分で作ったご飯を食べながら、ああ美味いな今日は上手くいったなとか、今度はこうしよああしよとか、料理や食事に対する主体性のようなものが芽生えてきた。

枕カバーをそろそろ交換しようかどうしようかと眺めてたら、あれ案外簡単なつくりじゃないかと気づいて自分で作ってみた。

色褪せてきたスニーカーに、消しゴムで作ったハンコで柄をつけて何食わぬ顔をさせてみた。

図書館に行って工作の本に触発されたのか、古いキャンドルを溶かして、お風呂やベットサイドで使えるようにアロマキャンドルを作った。色はクレヨンを溶かしてつけた。たしか。

ベランダでハーブの寄せ植えを作ったり、ローズマリー収穫してクッキー焼いたり、ワンピースを作ったりもした。写真で振り返ると、本当にこの頃大変だったのかわからないぐらい楽しそう。ナポリタンの特訓していたり、スーパーで買ったネギの根っこを植えたら花が咲いたので刈り取って食卓に飾ったりもしている。

靴下の穴を一生懸命に繕いはじめたのもこの頃だ。暇さえあれば、撮りためたドラマや映画や「猫のしっぽカエルの手」を見ながら、靴下の穴とにらめっこをしていた。当時は、ダーニングなんて言葉も手法もなくて、ただただ、自己流で網目に沿って刺繍糸をさしていっていた。適度な集中と反復のリズムと穴が埋まる小さな達成感。今にして思うと、何かを修復する術や時間を体得する、自分自身へのセラピーみたいな時間だったなと思う。

お直しのよさの一つに、道具と材料の調達が極めて容易なことがある。針と少しの糸、これで簡単にはじめられた。繕いに取り掛かるのに、お買い物はいらない。家にある刺繍糸や毛糸(手縫い用のボタンつけ糸でもいい)の余りと針。それで、誰もが気軽に自然に取り組める。やっていることだって、さほど技術はいらない。みんなできる。一度、はじめたら集中しちゃって、心落ち着く。

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これはその頃から1年後、このとき繕った靴下の展示会をしたときの様子。思えばここから色んなことがはじまった。

photo: Shota Tamukai

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今にして思うと、この手で何かを作ったり、食事を通して体を整える術を知ったり、お直ししたり、手間ひまをかけたセルフケアみたいな時間だったなと思う。人生を振り返ったときに必ず思い出すであろう大事な期間。ベニシア・スタンリーの言う「日々の暮らしのなかに幸せがある」も、その頃は半信半疑だったけど、繰り返し思い返して、それで、繰り返す暮らしの中に楽しみを、少しずつ見つけられるようになった気がしている。

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最後に少しだけ最近の話をすると、マスクを使い捨てしない、布マスクの復興だけは、本当にいいできごとだなあと、町かどで花柄のガーゼや飼ってる犬と同じ柄、豆絞りの手ぬぐいマスクの人たちなんかを見かけて、いいなあとパッと楽しい気分になっている。私もそういう少し明るい気分を届けたく、ひとり暮らしで外出自粛をしている父方の祖母に送ろうと、まずは試しに自分用にひとつ作ってみた。するとどうだ、プロトタイプのつもりだったのに、黄色い小花柄のマスクひとつだけで、身に着けるこちらもちょっと元気になることに気づいた。これは私にできるエチケットですどうにかみなさん頑張りましょうと、小さなエールをまわりに対して送っているような、励まして励まされる気持ち。すっかり愛用している。いつもに増して大げさな表現をしてしまうのも、たぶんいま有事だから。

ゴム紐と鼻のところの針金は、使い古した紙マスクから。本体のこの可愛らしいガーゼは、去年亡くなった母方の祖母の家から、ベビー用品の素材にしようともらってきていたもの。マスクをつける度に、祖母の匂いがして、それで一層わたしは守られている。おしまい。

はしもと さゆり

はしもと さゆり

お直しデザイナー。企画と広報、ときどきカフェ店員。落ちているものとお直し、マッサージとマイケルジャクソンが好き。

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