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お直しカフェ (17) エシカル消費のアンチテーゼとしてのお直し

お直しカフェ

誰が予想したか、新しい感染症の流行と共に、世界はうんと過ごしやすい場所に変わりつつあるのかもしれない。0歳児との暮らしは元からステイホームだっただけに、各種リモートツールの浸透やご自愛の風潮で、私は逆に、社会との接点を急速に取り戻した。無理をせず、だけども楽しく健やかに。オンラインで、産後はじめてのお直しカフェ、ダーニングのワークショップを開催した。

企画してくださったのは、モデルでエシカルファッションプランナーの鎌田安里紗さんが主宰するオンライン型暮らしの実験室「Little Life Lab(リトル・ライフ・ラボ)」鎌田さんとは、世代こそ被っていないが、偶然同じ大学の研究室出身ということで、会の冒頭で少し対談をする時間をいただいた。今回は少しその様子を紹介したいと思う。健やかでビジョナリーな人だなあというのが、彼女の第一印象だ。

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■人のあり方に結びつけてお直しを考える
鎌田安里紗(以下、鎌田):私、はしもとさんの文章を読んで結構驚いたんですね。お直しをこんな風に語る人がいるんだなって。ただモノを長く使う、壊れたモノを直すだけじゃなくて、直すという作業に意味を見出して、その意味がどういうところにあるのかを自分の言葉で語っている。そういう人って今まで出会ってこなかったんですよね。

例えば、「直すという作業は何か大事な物事にアクセスするきっかけになっている」「小さな穴や汚れのためにゴミ箱にポイっとしてノーダメージでいられるほど、人間の感受性は鈍っていないんじゃ」とか、ただ直すっていう作業だけじゃなくて、人のあり方みたいなところに結びつけて考えているなと。はしもとさんが、お直しに価値を見出した、面白さを見出し始めたきっかけってありますか。

はしもとさゆり(以下、はしも):一番はじめに自分の靴下の穴を埋めたとき、元々は刺繍をやりたかったんですよね。でも靴下に穴があって、「あれ、これ刺繍で直せるかも」と気づいた。それで一人で夜、もくもくと直して、出来栄えはよくなかったけど、少なくとも穴が埋まったから「あれ、また穿ける。すごいじゃん、自分。」ってなった。ワークショップをやっていると、参加の方もみんな驚くんですよね。自分がモノを直せたことに。私もそうやってびっくりしたことが、きっかけとしては大きいです。

鎌田:じゃあ、直す技術をどこかで学んだのではなくて、ちょっと自分でやってみとうとして始めたのがスタートなんですね。

はしも:そうです。元々、洋裁のスキルがあるわけではなくて、少し編み物をする程度。最初に直したのは、ボコっとして具合が悪かったので、どうしたらいいんだろうと思ってウェブを検索しても、補修テープとかが出てきちゃった。でも、それじゃあつま先があたって気持ち悪そうだなって。一件、糸をすくって直してる人のブログ記事に当たったので、私も自分流に糸をすくって、間を埋めるということをしてみたり、靴下の穴を埋めることに関して、かなり試行錯誤した。

原体験としての試行錯誤
20代半ばぐらいの、東京でひとり、自分は何してるんだろうなみたいな時期に、でもこれは大事なことをやっている気がするから、ここに時間を割くのはいいことだろうと思って「どうやったら靴下の穴が埋まるか」にかなり試行錯誤を重ねてた時間がある。それが、少し落ち着いて、生活に目を向けられるようになった今言葉にしようかなと思ってるきっかけでもありますね。原体験として、最初すごく試行錯誤した。やり方がわかなくて。幸いやり方が普及していなくて。

鎌田:穴が空いていて、それを自分で直してみて、できた!っていう経験は、もしかしたら他の人もするかもしれないけど、そこからお直しって一体どういうを意味を持つんだろうと考えていったのが、はしもとさんの不思議なところだと思うんですよね。そこから、自分が直すことで体験したことはなんだろうともっと考えようとしたきっかけ、深めていこうとした思いはどういうことがあるんですか。

■マイケル・ジャクソンみたいになりたい
はしも:今はちょうどコロナ禍中だけど、私が大学生のとき就活の直前でリーマンショックが起きた。その年は、イケてる企業や出版社とかは採用を取りやめて、私もすごく苦戦した。それで、どうしようとなっているときに、マイケル・ジャクソンが死んじゃったんですよね。私や母の大好きなマイケルが死んじゃった。マイケルは「Make the change. 世界は変えられる。自分自身から変えよう」って言い続けていて、ああ、もう、私もマイケルみたいになりたいと思って、それで大学院に進学した。だから、変化を起こさなきゃという気持ちがずっとあったんですよね。

自分はお直しにはまっていて、これはたぶん大事なことだなと。お直しは、チクチクする作業も瞑想みたいでいい。落ち着く。動作としてもいいし、直すという行為もいいし、これはたぶん大事なことなので、スケールアウトせねばということをすごく考えてやってます

鎌田:大学院の研究もお直しに繋がることだったんですか?

はしも:それが恥ずかしいことにぜんぜん違って、元々は商学部で広告を勉強していたので、コーズ・リレーティッド・マーケティングという、寄付付き商品とかの研究をしようと思って大学院に行きました。企業の宣伝活動の中で、消費者の購買にも繋げて、社会にいいことを発信しようと考えていた。エシカルも言葉が出たての頃で視野に入っていた。だけど、論文はぜんぜんまとまらなくて、今度は東日本大震災が起こったり、研究はぐちゃぐちゃでした。

鎌田:じゃあ、お直しを深め出したのはそのあとなんですね。

はしも:そうですね。そういう、”世界”みたいなものに立ち向かおうとしていましたね若い頃は。だけども、すごい小さい自分ごとのところに戻ってきて、これだったらすんなり考えられるとなった。

鎌田:その変化はめっちゃ面白いですね。世界を変えなきゃと思っていたらハマらなかったけど、自分の手元に視点を戻したら、こんなすごいことがあったっていう。あと、事前にはしもとさんと話す中で「エシカル消費のアンチテーゼとしてお直しを考えてる」と聞いて、めちゃくちゃ面白いなと思った。その言葉の意味を教えていただけますか。

はしも:今言ったように、私は10代後半、20代の多感な時期を、広告とかマーケティングとかブランディング、カッコイイ!って。そういうので、人の行動や社会を変えようとかなり本気で考えていた。代理店に入って、そういう活動に携わっていたこともあります。だけどそれは、言い尽くされているけど、それは結局購買の促進だということが身にしみてわかったんですよね。例えば、私のいた代理店も、東証一部上場のそこそこ大きい会社だったけど、売り上げの何割か某ヘアケア剤に依存していた。やっぱり、世界的企業のシャンプーとかって、途方もない額の予算が宣伝に使われてる。これは安易に流されちゃいけないぞって。

エシカルについても、その言葉が市民権を得るのはとてもいいと思う。ただ今はエシカルというと、それはエシカル消費のことを指すんですよね。どうしても消費財、例えばチョコレートとかコーヒーとか、ジュエリー、ファッションとか、そういうものに付きがちな言葉だなと思っていて。わざわざエシカル消費を謳わないと売れない程度のものならもういらないんじゃないか。

コーヒーやチョコレートとか、やや依存性もあるし、私も毎日コーヒー飲んじゃうけど、本当はそんなに遠い外国の作物を全世界市民が飲む必要があるのかとか。Tシャツも、家にすでに何百枚もあるのに、さらに毎シーズン5枚6枚買う必要があるかとか。今のものは違うかもしれないけど、少なくともバブル時代ぐらいまでのTシャツはモノ的には、100年保つから。200年、300年保つから、もういらないよって。

「やらない善よりやる偽善」と思っているし「(悲惨さより)希望をシェアしよう」と思っているので、エシカルも、ないよりはいいけど、正直今はお直しに勝るものではないなと思ってます。

■モノと関わる態度としてのエシカル
鎌田:確かに、今エシカル消費という言葉からイメージされるのって、新しくモノを買うことですよね。でも、私はエシカル消費やエシカルファッションいう言葉は、エシカリーに作られたモノを買うだけじゃなくて、消費のあり方とか、モノを買う態度、モノと関わる態度全体を指すと思っています。

一方で、やっぱりエシカルファッションっていう言葉を発信していると、「何買えばいいですか?」ってよく聞かれる。買うという前提があって、それを消費することが、エシカル消費と呼ばれている。でも、本当はエシカル消費の幅ってもっと広いよなと思っています。

そもそも、買うか買わないかというチョイス。買う時は、いわゆるエシカルファッションブランドや、エシカルですと付けられているものを買うという選択肢もあるし、そういうカテゴリーに会社を位置付けてないけど、よいものづくりをしている人たちから買うという選択肢もある。買わない方に行ったら、今持っているモノを長く大事にする方法を考えるという選択肢もある。本来、エシカル消費のあり方は多様なのに、今は、新しくこのプロダクトを買いましょう、というところにウエイトが寄っているなという印象。

だからもっと、今あるモノをケアするとか、お直しするとか、自分とモノの関わり方を考え直すとか、そういう発信は、もっともっと広がっていったらいいなと私も思います。

「直す」っていう言葉はすごく素朴に思えるから、それがそんなにパワーがあることとは思えないかもしれない。でも、はしもとさんの文章を読んだあと、直すという作業をすると、その行動の意味が違って見える。直すということも革命的なことだっていうことが伝わってくるから、そういうところが社会に広がっていったらいいなと思います。

■買うことが簡単で他がよくわからない問題
はしも:買うこととの距離が近すぎると思うんですよね。買うことがすごく、すごく、すごく、すごく簡単で、作ったり直したりすることが、ぼや、ぼや、ぼや、ぼや、としすぎているのが今かなと思う。

例えば、私、去年出産したんですけど、妊娠しました、さあ10ヶ月後には、新しい命があなたと生活しはじめます、どうしよう!ってなる。そうすると、みんな、たまごクラブとか読んで、アカチャンホンポとか行って、単肌着っていうのはこういう洋服のことか、っていうのを学ぶ。今は買うことのメッセージが浸透しすぎていて、困ったときに、実家に帰って母親と顔付き合わせて相談するよりも、たぶん、たまひよ読んだり、アカチャンホンポ行く方が楽。それはちょっと、本来おかしくて、どうやったら今の情報の流れや、流通網を壊せるか考えたりもします。

鎌田:買うという選択肢がすごく簡単で、直すとか、人に譲るとかの選択肢が難しい。具体的に何すればいいかわからないっていうのは、今の社会の象徴ですよね。捨てるのも難しいなと思う。ゴミ袋に入れて外に出したら、回収はしてもらえるかもしれないけど、自分は何もしていない。次に渡そうと思うと情報が足りないし、ボヤッとしているし、何したらいいかわからない。

■直すという選択肢を手に入れる
鎌田:具体的に何か自分でモノを直せる技術を身につけるということもそうだし、直すというあり方を自分の選択肢の中にある状態にすることも大事かなと思います。私は2年前ぐらいに染め直すという選択肢を手に入れてから、モノとの関わり方がちょっと変化したと思ったんですよね。

それまでは、白いTシャツはもう捨てるしかない。そこに、染め直すという選択肢がある中で買い物に行ったり、服を着たりするのは、ぜんぜん違う世界を生きている気がするんです。だから、色んなモノの直し方を知る中で、世界の見え方が変わるというのはあるなと思って、今日はダーニングの方法を知ることで、またどんな風に変わるのか楽しみにしています。

はしも:ダーニングのいいところは、やっていることがものすごく簡単なんですよね。それは、この2、3年ぐらいでダーニングが流行った理由にも繋がると思います。

例えば、昔のお母さんって程度の差はあれ、洋裁の技術をみんな身につけていたと思うんですよね。服とか作れたり。そういう、服飾の技術が人からなくなってきたときに、ダーニングっていうのは、縦糸と横糸を通すだけ。縫い目も揃ってなくてもいいし、そもそもの箇所も小さい。だからすごくやりやすい、とっかかりとしてとてもいい。そういう「直せた、できた」の体験を共有するのは大事なことかなと思ってやっています。

■暮らしへの比重を増やすことについて
鎌田:東北のボロやインドのカンタ刺繍など、昔からやられていたお直しの技術について、探求して面白かったことや、発見したことはありますか?

はしも:「敵わないな」ということがわかりました。手数の多さが違う。かけてる手間の量が桁違い。例えば、ベットカバーぐらいの布を全部手でひと針ひと針、刺し子のように縫い合わせる。それ今できますかっていう。それを各家庭で女性が夜にやっていた。しかも電気も灯りもない時代に、手と運針の技術だけで、一枚だけでなく家族の分、何枚も。やっぱり、暮らすのは本来大変なんだろうなということがわかった。暮らすことに力とか比重とかをもっともっと傾けてもいいんじゃないかなということ。

鎌田:まさに、今それを感じてる人多いんじゃないかな、この数ヶ月家にいる時間が増えて。今まで仕事に圧倒的に時間を割いて、暮らしの部分はアウトソースできることはできるだけアウトソースする。例えば、食べ物もできたものを買ってくるとか、掃除もアウトソースしたり。もちろん選択肢として、生活の中でやるべきことを人に依頼できる仕組みはいいことだとは思うんですよね。タイミングによっては、仕事に時間を使って、暮らしに自分の時間をできるだけ割かずに過ごすっていう時期もあっていいかもしれない。

でも本来、暮らしって労力がいることなんだとか、考えようと思えば、日々の暮らしに知恵を使えること、工夫できること、自分らしさを発揮できることがこんなにあるんだということを知っておくと、そっちに比重を置きたいときに戻れるからいいですね。(完)

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振り返って文字にすると、鎌田さんは、チョイスや選択肢を自分の中にたくさん持つということを大切にしている人だなという印象を受けた。多様性とも言う。直すというあり方をファッションを考える選択肢のひとつにすること。日々の暮らしに知恵を使えること、工夫できること、自分らしさを発揮できることがこんなにあるんだということを知っておくこと。私ももっと、軽やかに健やかに、彼女のような強さ、美しさをひとつの可能性として、お直しをスケールアウトしていきたいと改めて考えた。

本当は、そもそものこの会を企画してださった、片付けコンサルタントのうきさんとの対話のアレコレも紹介したいところだが、それはまた別の機会に。最後に、今回のオンラインワークショップ用に、我が家の大工が作ってくれた秘密兵器、スマホ撮影スタンドを紹介したい。クランプで留めちゃう大胆さと、楔が効いていてスマホが落ちない安心構造がよかった。ドン!

はしもと さゆり

はしもと さゆり

お直しデザイナー。企画と広報、ときどきカフェ店員。落ちているものとお直し、マッサージとマイケルジャクソンが好き。

Reviewed by
Maysa Tomikawa

エシカルであることの大事さを学んだのは、大学生の頃。今の社会が、どれだけ生産者側を搾取するようになっているのか、どれだけ自然を破壊しているのか、どれだけ野生動物たちに影響を与えているのかを知って、これではダメだなって思ったのが最初。だから、わたしはエシカルは消費のあり方でもあり、もののつくり方、環境のまもり方でありながら、生き方の選択だと思う。

なにかを消費するということは、買って、使って、捨てるということじゃなくて、その前には原材料をつくっているいる人がいて、それを運んでいる人がいて、さらに加工している人、販売している人、ここには書き切れないだけの人々が関わっている。その人たちの生活がかかっている。(人だけじゃなくて環境も。)そういう認識がないと、すぐに安さに惑わされりしてしまう。エシカルなマインドをつくっていくことは、本当に大事で、むしろ、生きる上での責任で、不可避であるとさえ思う。

でも、そういうことを認識している人 − とくに日本では − は、まだまだ多くない印象があって、今までなんでかなって思ってたんだけれど、「買う」以外の選択肢を知らないことが大きな理由なのかも、っていうのには本当に納得した。(もちろん、企業側の責任も忘れたらいけない。)買う以外の選択がぼやけているのは、消費することを良しとする社会だからなんだと思うと、複雑な気持ちになる。

エシカルな消費だけではなく、エシカルな生き方の選択。お直しには、そういう”新たな”側面があるよね。本当はちっとも新しくないけれど、買う以外の選択肢を失っていたわたしたちにとって、直すということはもう少し踏み込んだ次元のエシカルな行動だと思う。失っていた選択肢を取り返して、暮らしていく力を取り戻すこと、自分の持っている力に気づくこと、それって本当に大事なことだと思う。

じゃあ、今の自分はどんな風にこのメッセージを人に伝えていけるんだろう。自分の生活のなかで満足するんじゃなく、どうしたらいいんだろう。ふたりの対談は、今の自分の消費行動を見直したり、わたしの先にはどうアプローチしたら良いのかを考える刺激になった。

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