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11月

スケッチブック

1)

紅葉、イチョウ、楓。
そして名前をしらない、木々の落とし物。
かしゃかしゃとブーツをくぐらせて、ふわりと巻き上げる。

秋の出口に、お約束のように思い出すことがある。

10代の昼下がり、
盛大な紅葉の中にゴロンと寝転がったら
友達が私に落ち葉をかけていった。
葉っぱ布団はふんわりと軽くて、いい匂いがした。
おそらくその何日か前に雨が降ったのだ。
「さあ、願いを全部いうんだ!」と友はおどけた。
私はぽつぽつと話して、どんどん素直になって
好きな人が好きだとわかってくれればいいのに、と言った。

20代のある夕方

好きな人と歩いていた。山の道を。
紅葉を見上げたその人が手を伸ばした。
私はその先の燃えるような赤を見ていた。
命を出しきって色付ている。そんな感じがした。
1年前におばあちゃんが亡くなったことを考えていた。

2)

30代の朝、今日


自分の吐く息が気泡になって、海面に上っていくのを見上げている。

ガイドさんが熱心に魚の名前を教えてくれているけれど、頭の中では、全然違うことを考えている。

かつて、ダイビングに明け暮れていた1ヶ月があった。
こんなふうに機材を背負って、少しだけしょっぱい海が混ざる酸素を吸って、無我夢中で、ダイバーたちの群れについていった。

渓谷を抜けて、沈没船の中を通り、
海底に広がる砂漠に静かに座ったりした。

私にとって旅は身に纏っていく行為だけど
海に潜るのは、削ぎ落としていく行為だ。

海から上がると少しだけ頭が痛くなる。眠くなる。
短い昼寝をした後、あの頃の私は海辺のカフェに通っていた。
バックパッカーが集まるエジプトのダイバーズ宿で、私のカフェ通いは「贅沢だねー」と揶揄されていたけれど、あの時間で書いたのが、最初の本「10年後ともに会いに」の初稿なのだから、かけがえのない、純度の高い行為だったんだと思う。

海に潜るのは6年ぶり。
本当はもっと早く、潜りに来たかった。
でも、私は自分の中に海を宿していた。

体にまだ海の重力がまとわりついていた。
余計な力が抜けて、余計な考えも消えて
罫線だけの真っ白なノートに
思いつくままを、書ける喜びに浸った。


11月の始まりから12月の始まりまで。

ー家のみんなでしおの753を撮った

ーちーちゃんが家に遊びにきて、おかえり、と言った。

ー父の古希

ー助けることと助けられることについて考えるー9ヶ月ぶりの飛行機、旅の仕事

ー相変わらず、本を書いている。

寺井 暁子

寺井 暁子

作家。出会った人たちの物語を文章にしています

Reviewed by
中田 幸乃

「海を宿す人」の想像を膨らませてみる。身体の中にある海が、上昇する泡のように言葉を産み出す。あるいは言葉を介さず響き合う。寺井さんの書くものは、時折、自分の中の海の記憶を編んでいるように思えてくる。

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