風景のある図鑑 5

風景のある図鑑


「 右旋性/左旋性 : dextro-rotatory / levo-rotatory 」


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地球上の生物を形作っているのは、20種のアミノ酸です。
アミノ酸は炭素原子Cを中心に、各種元素が立体的に配置されます。

そのアミノ酸の中には、人間の右手/左手、右足/左足のように対をなすものがあります。
個性要素も形も同じですが、ちょうど鏡に映ったような関係になっているのです。
このように原像/鏡像の関係を、分子では右旋性/左旋性と呼びます。


この対の二つは、対等なのでしょうか?


何の制御もなくアミノ酸を作った場合、この右旋性/左旋性は、ほぼ同じ量だけ出来上がります。
しかし不思議なことに、地球上の生物の中には、左旋性のアミノ酸しか現れないのです。






仮に、鏡の世界があったとしましょう。

その世界はこの世界とそっくりに見えますが、何もかもが左右反対です。
もちろん、各種分子の原子配置も左右反転していますので。そこにいる生物は右旋性アミノ酸で構成されています。
その世界でおいしそうなステーキを出されたとしても、私たちにはとても消化できないでしょう。
私たちの消化器官は左旋性アミノ酸用に作られているからです。

左足用の靴にむりやり右足を入れようとしても、足を痛めるだけです。













「 シュレディンガーの猫 : Schrödinger’s cat 」


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1921年、コペンハーゲンに理論物理学者たちが集まり量子力学の研究所を開きました。
そこで考えだされた素粒子の世界の解釈は



「私が月を眺め、認識したときにのみ、月の存在は事実になる」



というものでした。これはコペンハーゲン解釈と呼ばれています。

なぜそんなことが起こるのでしょう。
本当に小さな素粒子の世界では、「見る」ことで、対象に影響を与えてしまうのです。
自分が「見る」以前の素粒子はどうなっているかというと、『位置Aにある』『位置Bにある』など、
複数の状態が「同時に存在」しているのです。
その状態を「見る」ことによって初めて、ある1つの可能性だけが残り、その状態が事実として確定されるのです。

しかし私たちは経験から、あらゆるものはひとつの状態でしか存在しないことを知っています。

(会社で仕事をしている自分と、ベッドで寝ている自分が「同時に存在」できないことは確かです。)



この矛盾を指摘しているのが、有名な「シュレディンガーの猫」の思考実験です。

ここではまず、素粒子が『位置Aにある』場合には毒ガスが出て、素粒子が『位置Bにある』場合は毒がガスが出ない、という装置を想定します。
その装置が仕掛けられた箱に猫を入れ、覆いをかけます。

覆いをかけられている、見られていない状態では、素粒子が『位置Aにある』『位置Bにある』という状態が「同時に存在」しています。
では、その先の結果の『猫が死んでいる』『猫が生きている』という状態は「同時に存在」するのでしょうか?
覆いのなかの猫は、半死半生のゾンビ状態なのでしょうか?

私たちは経験上、そんなことはあり得ないと考えます。
たとえ覆いをかけられていても、猫は生きているか、死んでいるか、どちらかの状態だからです。


それでは、量子力学の世界と我々の世界の境界は、どこにあるのでしょうか?