「芝居」と「演奏」の共通、あるいは理由

いとでんわ 第1期(2011年10月-2011年11月)

日々色々な作曲家の曲を弾いている。
バッハ、クライスラー、サラサーテ、フォーレ、チャイコフスキー、ヴィターリ、その他。
どの作曲家の曲にもそれぞれの魅力がもちろんあって、私の仕事はそれを最大限に表現すること。
私が何をしたいと思っているかはその作業においてはまったく関係がないと言っても良い。
逆に言うと、その楽曲をある程度把握するまでは自分のスタイルなどというものは乗せられない、ということになる。
これはなかなか厳しい問題だと思う。
だって演奏家は(少なくとも私は)音楽が好きな以上に「自分で」音楽をすることが好きなはずで、そこに「あなたのやりたいことなど聞いていません」と言われているようなものだ。
でももちろん、演奏をするというのはそういうことなのだ。クラシック音楽というジャンルにおいては。

ところで日曜日に音楽付き朗読劇の公演をさせていただいたのだけれど、「芝居」と「演奏」することはとても似ているということを発見した。
どちらにも脚本と楽譜という表現すべきものがあり、その世界観を「そこに出現させる」ということを考えると言うまでもなく同じ性質であることに、なぜ今まで気づかなかったのだろうと思うと不思議だ。
たぶん、私が楽器と一緒に居すぎるせいだからだと思う。
昔、私はヴァイオリンの練習さえしていれば上手くなれると思っていたので、たくさん練習をしてきた。
たとえば友達と遊んだり、家の手伝いをしたり、学校関連の家でするべき仕事(宿題とか)などは全部後回しで、場合によってはまったくしないということもままあった(ほとんどと言い換えてもいい)。
私にとって楽器を弾くということは、ただ弾くということじゃなくて、生活すべてをも含むことなのだ。
歌なら、上手かどうかはともかく、今ここで歌えと言われれば歌えないことはない。
でも楽器の場合は、今ここで弾けと言われたら上手かどうかはもはや論外で、その楽器を扱えるかどうかという問題に直面する。
ましてや自在に操ることなど楽器と共に生活をしていなければ到底無理な話だ。
もちろん小学生だった私がこんなことを考えて毎日弾いていたわけではないにしても、感覚のどこかでそのようなことは感じていたのだろうと思う。
どちらかといえば飽きっぽく三日坊主の私が毎日欠かさず何時間も練習してこられたのは、ひたすらに「自分ではないものを自分自身であるかのように扱う」ことが難しかったからだ。
それに比べて、芝居。
「まるごと自分」で飛び込んでいけるのだ、まったくシンプルの極みではないだろうか。
おそらくそのことの大胆さの前にすっかり脱力していたので、芝居というものをきちんと見たことがなかったのだ。
芝居も演奏も、見てきたもの─脚本の世界、楽曲の世界─をできるだけそのままその空間に切り取ってこなくてはならない。
文章にして書くととても簡単で、ひょいっとできてしまいそうな気がするのだけれど、もちろんそれこそが厄介なのだ。
誰かが描いた世界を表現するということは、本来ならちょっと無謀だ。
現存する彼らのものならまだしも、もう亡くなってしまっている人の世界に、その時代とさえ共有できずにどうして迫ることができるだろう。
そんなことを言っていてもどうにもならないので、ではどうするのかと言うと、だから練習をするのだ。
厳密には作者の世界に迫ることはできなくても、技術があればどうにかなる。
芝居の感覚は分かりづらいので音楽にたとえて言うと、「ここはこういう音が欲しい」というところがある。
それは悲しい音、とかちょっと暗めの音、とか管楽器のような音、など様々だけれど、音を使い分けられて初めて「音色」という言葉になるのだし、「音色」なんてまったくうまいこと言うなあ、と思う。
芝居もきっと同じことなのではないかと思う(声を使い分ける、とか表情を使い分ける、とか)。
そうして、それは自分の動きの癖とはなんの関係もないところでできなくてはならない。
今回、稽古の段階から演出もするし役者もするという友人にたくさんアドヴァイスをいただいたのだけれど、その中に「芝居は気持ちではなくテクニックだから」だというのがあって私はびっくりしてしまった。
では、ドラマや映画の中で泣くシーンがある場合、あれは本当に悲しいとか苦しいとか場合によっては幸せだとか、「感じて」涙を流すのではなくて、「テクニックで」涙を流すということなのか、と思ったのだけれど、彼女が言わんとしていたことはもちろんそうではない。
この場合の気持ちというのは個人的な感情の話で、表現しようとしている世界の中の情感というのは自分が今どんな気持ちだろうと関係なく嬉しかったり悲しかったりするということ。
それをまさに「切り取る」にはテクニックが要る、というわけだ。
演奏をすることもまるで同じことで、私がどんな状態であろうと楽曲の世界の前では関係がない。
どんなに嬉しくてふわふわしていても、厳しい精神性を問うという性質を持つバッハを弾く時には、どうしたって追いつめられた、拮抗する気持ちを持たないととても弾ききることができない。
なあんだ、芝居も音楽もおんなじじゃない、と一気に芝居というものが身近に感じられたのだった。
それに、台詞を空で言うというのはとても考えられない、狂気の沙汰だと思っていたのだけれど、よく考えたら演奏家だってそれこそ何十曲もその楽譜が頭に(というより身体に)入っているのだし。
それはともかく、大切なのは、技術があることが重要なのではなくて、表現するべきものがあるから技術が要る、ということなのだ。
技術ありきじゃないということを小学生だった私に誰か教えてくれていたら、と思う。
何をするにつけ、私にとって理由ほど確かなものはない。

たとえば、食事。
子供だった私はかつて食事をすることがひどく下手だった。
今では誰も信じてくれないかもしれないことだけれど、好き嫌いが多いというよりは、食べることそのものに興味がない子供だった。
子供が好きなものの代名詞ともいえるカレーライス、ハンバーグ、グラタン、海老フライの類はもちろん、ご飯やパンもそれほど好きではなく、魚もお菓子もダメだった。
第一、「あぶら」というものが苦手だった。
それが肉の脂であれ、フライや天ぷらの油であれ、私にとっては大して違いがないように思えた。
だから豚カツは、わたしにとって最強の敵なのだった。
ところがどういう訳か毎日でも食べたがる好きな食べ物は鶏の唐揚げとラーメンだったという、非常に矛盾した嗜好だったことを今でも不思議に思う。
そうして今、そのふたつの食べ物は基本的に食べない。
両親にとってわたしは理解に苦しむ子供だったに違いない。
せっかく腕を振るっても食べず、外食しても喜ばない我が子をどんな風に思っていたのか本当のところは分からないけれど、心配はされていたのだろうということは分かる。
食べないと叱られるというのは不当な仕打ちだと思っていたにしても。
ところで、では何を食べて生きていたのかといえば、唐揚げ、ラーメンはともかく、あまり子供らしくないものばかりを食べていた。
大蒜やきゅうりの柴漬け、数の子、そうめん、つけうどん、お茶漬け。
炭水化物と塩。
おそらく、このふたつで栄養を摂っていたのだ。
恐ろしい。
いったいどうしたことなのだろう。
それは考えれば考えるほど、理由なのだ。
食べなくてもどうってことはなかった。
元来丈夫にできているらしく、風邪もあまり引かず貧血の類も起こしたことがないので、食べることがどうしてそんなに必要なのか分からなかったのだ。
食事というのは人間にとって生命維持以上に大切な意味を持つこと、彩りや匂い、目や歯や舌で確かめながら五感すべてで味わうということ、誰かと食事を共にするということの幸福、そういう諸々をもしも誰かが一字一句説明してくれさえすれば、食べることはとても簡単だったのに。
でも私が今「食べる」ことを幸福に思えるのは誰かから説明されたからでは決してなく、理屈抜きで納得させられてしまったことを認めないわけにはいかないし、それは「愛情」という口にするのもはばかられるものの力であり結局理由、なのだった。
つけ加えるなら、今では料理も好きになり(というよりほとんど精神衛生上必要な作業であり)時間さえあれば保存食(ピクルスや漬物、ソースやジャム)を作り置いておく。
いつ誰が食べに来てくれても困らないように。