世界の終わりに鳴り響く音楽

第1期(2012年2月-3月)


夕方、ふと仕事をする手を止めて窓に目をやると、
鮮やかに燃える夕日と、赤く染まった雲が向かいのビルのガラスの壁に映し出されていた。
それに気がついたボクは、席を立ち自動販売機の休憩スペースから眼下に広がる新宿の街を見下ろした。
街は夕日の赤と陰のグレーの二色に染まっている。美しくてどこか物悲しい。
その赤い風景を見ながら、実は自分が今見ている向かいのビルの後ろでは
世界が地面から崩れ落ちている、そんな映像を頭に思い浮かべていた。

思考の海に呑み込まれやすいボクは、
「世界が終わるときに鳴り響く音はどういう音なんだろうか」
なんてことをぼんやり考えていたりする。
なんて暗いやつだ。もっと楽しいことを考えればいいのに。

きっとボクの中にあるそういうイメージは、いつか見た映画やアニメのワンシーンで
その薄っぺらいイメージを重ね合わせたハリボテの上にボクの思考が乗っかっている。
痛みをしらないボクにとってそれは結局、リアリティのないただの記号でしかなく、
薄っぺらいボクはそれをすごくかっこいいもののように思っていた。
世界を斜めから見ているようないけ好かねえ野郎だったに違いない。

多分だけれど、世の中の多くの人たちは、自分の目の前に当たり前にあるものは、
永久にそこにあり続けるものだと思っていると思う。
永久というと大げさかもしれないが、要は「自分が想像できる未来の中で」ということだ。
違う人もたくさんいると思うけれど、ボクはそう、だった。なんだかんだ、きっと今もそうなんだと思う。
でも、世界は常に前に向かって進んでいて、油断しているとすぐに自分の感覚だけが置いてけぼりをくらってしまう。
置いてけぼりをくらっていることに気付くと慌てて追いつこうとする。
今は気付いて慌てて追いつこうとしているところ。
本当は追いつきたくないんだけどそうもいってられない。

BRAHMANのTOSHI-LOWが霹靂のツアーファイナルで言っていた
生きてるかぎり迷うんだろう失うんだろうって言葉がよく頭をよぎる。
今追いつこうとしているものに追いついたとき、ボクはきっと後悔するんだろう。
きっとどんだけやっても後悔ばっかりなんだろう。
でも、「なんにもできなかった」って後悔よりも、
思いつくかぎりのことをやって「あれもやれたのに」って後悔のほうがきっと何倍もいいはずだ。
ボクが尊敬する、エディ・ヴェダーも、ジョー・ストラマーも、白洲次郎も、
きっとなにをやっても後悔ばかりしていたんだろう(エディは生きてるから過去形にするのはおかしいけど)と思う。昔ならきっと「自分とは違う世界の人だから」と切り捨てていたに違いない。
懸命に生きて、後悔を抱えて、未来の世代に託す。
そうやって積み重ねてきた時を経た今、ボクも先人達のようにがむしゃらに生きなきゃいけない。
みんなが住んでいる世界が終わるのが先か、自分の世界が終わるのが先かは、
想像できない未来の話だけれど、そのときに鳴ってる音楽はゴキゲンなロックンロールであってほしい。「世界の終わり」でも「雨上がりの夜空に」でも「壊れたエンジン」でも「恋をしようよ」でもいい。とにかく痛快なやつを。
どこで鳴ってるかって言えば、もちろんボクの頭の中。

「世界の終わり」なんて言葉を使ったのは、今回がこの2ヶ月間続けたコラムの最終日だから。
終わりにふさわしいタイトルをつけたかったからって、ただそれだけでつけたもんで、文章を書くのが大変でした(笑)
2ヶ月間、ボクのつたない文章やイラストを見にきてくれたみなさん、本当にありがとうございました。
このアパートメントから出て行くわけじゃないから(きっと屋根裏みたいなソファーのある部屋でアパートメントの住人と飲んでることでしょう)どこかで見かけたら声をかけてあげてください。
今後ともよろしくお願いします◎

最後の絵は、誕生日のコラムに向けて描いた絵を。