何もない心地よさ

第4期(2012年8月-9月)

今の仕事場である四谷三丁目のすぐ近くには神宮外苑があります。今ある美術大学での出講で毎日外苑に通っています。3年前から毎年8月の数日間朝から日没までの殆どをこの場所で過ごしているのですが、ぼくはこの場所が大変気に入っています。
理由は、外苑という場所が東京のど真ん中でありながら、お金を全く使わなくても普通に充実した一日を過ごす事が出来る場所だからです。
外苑の周辺には、タクシーで1メーターくらいの位置関係で、六本木、赤坂、新宿、原宿、渋谷などの町がぐるりと取り囲んでいます。共通するのはこれらの場所は、お金を使わないことには成立しない、飲食したり買い物をしたり、映画を観たりという消費行動以外で満足を得る事が出来ない様な場所が外苑の町をぐるりと取り囲んでいて、碁盤の上に黒石でぐるりと囲まれて取り残された最後の白石、というような趣があります。

外苑の周回道路をジョギングしたりウオーキングする人々は、皇居ランナーのように奇麗なウエァーに身を包む事もなく、常にテレテレのTシャツと使い込んだジャージという出で立ちが多く、かえって「本物」という雰囲気に感じられます。絵画館の前のベンチや、銀杏並木の突き当たりにあるちょっとした広場で上半身裸になって日焼けをしている人、のんびりと草野球観戦をする特に用事のなさそうなおじさんたち。基本的にこのエリアには、気の利いたカフェもなければ、おいしいものを食べさせるお店もありません。あるのは飲み物と、アイスクリームと、カップラーメンを売る自動販売機。
望んでも望まなくても、この場所にいると一切の消費行動は不可能です。映画「めがね」の舞台となったあの南の島みたいに、一日中「たそがれる」ことができる貴重な場所だなぁって思います。何もないことの心地よさです。

外苑は基本的にスポーツの町です。写真だの表現だのアートだのの世界に暮らすぼくにとっては、完全アウェイな場所だと思います。それゆえに余計な雑音に惑わされる事なく、自分の心を無にすることができるような気がします。ギャラリーディレクターという仕事は、作家さんの傍らに寄り添うというか伴走する仕事です。孤独な作業を続ける作家さん達に気の利いた事を言えたり、背中を押せる様な力強いことが出来れば良いのですが、必ずしもそうはいかない。自分の考える方向性は本当にこれで良いのかどうか。ぼくはぼくで、不安定な気持ちを抱えつつ日々を送ります。新宿・四谷の仕事場にいると、自分の意志とは無関係に様々な情報、うわさ話、単なるひがみなど、雑音が飛び込んできます。耳をかさなくてもそういう類いは妙に記憶に残るものです。
雑音は自分の立ち位置を見えにくくします。時には浮かれて足もとを掬われるようなこともあります。雑音は無意識のうちに自分の気持ちを時代に合わさせようとします。ぼくたちが本当にしなければならないことは、時代ではなく表現行為の王道を歩もうとしている人たちの心に歩調を合わせて行くこと。例えばいま、銀座に50万人もの人々が押し寄せる様なイベントがあって、この刹那幸福感を味わえる様な流れがあったとしても、それに抗い、物事の本質を洞察しようと試みる表現者達にスポットライトを当てることだと思います。

「何もない」がある場所に身を置く事で、時々自分の立ち位置を確かめることって大事だな、と最近思います。
ぼくは、日頃あまり休暇というものを取らないほうだと思いますが、全くアポイントも作業もない日が数ヶ月に一度やってきます。最近そういう日は何をしていたのかと今思い返しています。例えば房総半島の山の中にある土産も何もないような小さな町、山中湖畔の人気のない草ぼうぼうの湖岸から富士山を眺める。携帯電話も繋がらない岡山県と鳥取県境にほど近い、昔銅山があった小さな過疎の村。なんだか雑音の聞こえる場所からの逃避行動のようにも思えます。無意識にそういう環境を求めているのかもしれないです。

大学時代の4年間、ぼくは大阪の外れ、越えれば奈良県という山の麓の全く娯楽のない場所で過ごしました。折しも世の中は未曾有の好景気の頃でしたが、情報も何もない隔離された様なおかしな場所だったので、景気が悪くなるまで「バブル」という言葉すら知らなかったくらいです。今思えば、楽しみは自分たちで作り上げていました。何もないから自分で企画して自分でプロデュースするしかなかったし、誰に教わったわけでもなく自然にそういうやり方を身につけていったのだと思います。そして今、目の前を通り過ぎる状況はずいぶん変わりましたが、やっていることは20年前からほとんど変わりがないような気がします。進歩がないのでしょうか。多分違うと思います。あの頃ぼくたちはとても充実した日々を送っていました。ぼくは強い意志を持ってある地点に留まろうと思っているだけなんです。