フォルクレ父子について

第6期(2012年12月-2013年1月)

今日は、突然ですがクラヴサン(イタリア語ではチェンバロ、英語ではハープシコード)の話にしようと思います。

私の趣味は、クラヴサンをもっている人の家に留守中、押し入り、調律がバロック風でない場合、バロック風に調律しなおしてしまうことです。

持ち主がバカンスから帰ってきてクラヴサンを弾いてみたら、なんだかいつもより違う気がする…。でもおかしいところはないし、響きはより深い感じになったのでそのまま弾いていて、ある日、室内音楽の仲間と再び集まると、「あれ!半音下がってる!いつのまにバロック調律になっているじゃないか! さてはサンタが…」ということになるのを想像してほくそ笑むのです。

クラヴサンというのは、のちにピアノの原型ともなった鍵盤楽器ですが、仕組みは打弦楽器のピアノと違い、撥弦楽器です。
つまり、ピアノが弦をハンマーのように打って音を出しているのに対し、クラヴサンでは小さな爪で弦をはじいて音を出すシステムになっています。

クラヴサンはバロック音楽によく使われます。
バロック音楽というのは、クラシック音楽の中でもいろいろな意味で特殊な音楽であり、フランスでも変態が好む音楽とされています。

旋律に関しては、横に流れるようななめらかさよりも、アルティキュラシオン(articulation 分節の仕方、区切り方)でどうメリハリをつけるかが重要となります。後の時代の音楽に比べ非常に縦割りの音楽です。メリハリがバランスよく成立したところでその全体から流れが見えてくるわけです。

とくにクラヴサンの場合はピアノと違って構造上からも強弱が出ません。健を強く叩いても弱く叩いても音の強さはかわりません。
強い印象を与えたい音については、微妙に長く弾くとか、直前に一呼吸おく、などというやりかたで強調します。

同じバッハの曲であっても、ピアノとクラヴサンでは、どこを印象づけるかが違うので、結果、弾き方も違ってくる。ピアノ譜として編集されたものだと、レガート(滑らかに弾くところ)と指示されているところはクラヴサンでは区切るところだったりします。

これに加え、バロック音楽に特徴的な「不均衡」の概念というのがあって、ピアノだと単に八分音符の羅列である場所を、わざと付点がついているかのようにびっこを弾きながら弾いたりすることもあるわけで、そこは好き勝手に選んで良いわけではなく、規則があって決まっているようです。

つまり、様々な規則と制約にボンデージされた中でどう崩すかという遊戯(その崩し方にもまたルールがある)というのがバロックの醍醐味であり、ロマン主義のような健康的な全裸で体いっぱいに表現する自由さとは全く違った、一呼吸間違えれば気絶してしまうぎちぎちに締め上げられたコルセットのような繊細なエロさはそこからくるのです。

バッハの曲は弾き方をかえれば比較的ピアノでもクラヴサンでもいけるのですが、中にはこれはどうしてもピアノではピンとこないというものもあります。たとえば、フォルクレです。

昔々、バロック音楽最盛期のフランスに、アントワーヌ・フォルクレという音楽家がおりました。
アントワーヌにはジャン=バプティストという息子がおりました。

バロック音楽にはヴィオール(ヴィオラ・ダ・ガンバ)というチェロの原型のような楽器が使われていたわけですが、アントワーヌ・フォルクレはそのヴィオール用の楽曲を書いて、マラン・マレとともにフランス盛期バロックのヴィオール音楽の双璧をなしていました。ちなみにマラン・マレについては、とくにフランスバロック音楽に興味がなくても、アラン・コルノーの1990年の映画『めぐり逢う朝』(Tous les matins du monde)でご存じの方も多いのではないでしょうか。

天上的なマラン・マレの曲に比べ、アントワーヌ・フォルクレの曲のほうがどこか暗く厳しい悪魔的なところがあるのですが、その人物も音楽と同様、残忍で激しかったのでありました。また非常なナルシシストでそうしたどこかサタニックな自分のイメージを自分でも大事にしており、自分の作品の出版を許さなかったのもそのためだったようです。

アントワーヌは、長引く離婚裁判の恨みで、相手への嫌がらせとして、なんと、当時20歳くらいの息子ジャン=パブティストビセートルの監獄に投獄させてしまいます。当時のビセートルの監獄は、乞食・浮浪者・同性愛者(ただし貧しくて社会的も力のない同性愛者)・頭のおかしい人・病人など一言でまとめれば「望ましくない弱者」を、殺人や詐欺などのリアル犯罪者とごっちゃにしてどんどんぶちこむ場所でありました。

更にその5~6年後には父アントワーヌは息子をフランスから国外追放させようと試みますが、ジャン=バプティストの友人たちが見かねて王に「父アントワーヌは息子の才能に嫉妬しており、ジャン=バプティストはそのために不当で残酷な目にあっているのである」と手紙を書きます。持つべきものは友達です。

そんな悲惨な目にあったにもかかわらず息子ジャン=バプティスト・フォルクレの音楽家としての才能は認められます。息子をいじめ抜いた父にとって皮肉なことに、メルキュール・ド・フランスがアントワーヌのヴィオラ・ダ・ガンバの楽曲を本人以外で見事に演奏できるのはジャン=バプティストだけだと認めるほどでした。父についでジャン=バプティストも王室音楽家となり、ルイ15世の娘やプロイセンの王子のヴィオラ・ダ・ガンバの教師もします。

しかしジャン=バプティストがこれだけヴィオールができるのは、やはり子ども時代に父の熱心な手ほどきを受けたからでしょう。
そのへんといい、その後の息子に対する残忍ぶりといい、私は勝手に信濃川日出雄『ヴィルトュス』の成宮凱を連想しているのですが、成宮親子の場合とは違い、息子フォルクレは父に復讐をしませんでした。

息子を不当にいたぶった親父フォルクレは、王室音楽家として給与を実質上の引退後も受け取り続け悠々自適の生活を最後まで送ります。

そしてその父の死から2年たった1747年、息子フォルクレは父の作品を出版します。更にこれらの作品のクラヴサン版も書いて出版しました。あれだけの意地悪を息子にした父親の作品は、息子の手によってこうして後世に残ることになったわけです。息子フォルクレが父フォルクレにされたひどいことを考えれば、これはおそろしく偉いことです。音楽に対する愛のほうが、父に対する恨みより強かったのでしょう。

フォルクレ親子が盛期フランスバロックのヴィオラ・ダ・ガンバの重要人物であったのはもちろんでですが、息子ジャン=パブティストが父の作品をクラヴサン版に書き直したものは、これはまた別作品といえるぐらい、重厚ですばらしいものです。

父フォルクレがサディストな変態だとすれば、息子はマゾヒストな変態であり、クラヴサン版では、SMプレイな父子の関係が全開している印象がするのです。

Before
どこにarticlulationをつけるか知らないで適当に弾いた時。調律は現代風A=440hz。 鍵盤は二段重ねて弾いてます。
[youtube http://www.youtube.com/watch?v=n-1XCJsACaM?rel=0&w=420&h=315]

After
今回、クリスマスバカンス中の留守宅に忍び込んで盛期バロック風A=415hzに調律しなおしたクラヴサン。5オクターブが2段あるクラヴサンだったので全部調律しなおすのは結構時間がかかります。私のような暇人でないとなかなかできない偉業なのです。
Carillon de Passyという曲と、La Latourという曲を連続して弾いていますが、Le Carillonのみ先生にバロックの区切り方(articulation)をきちんと教わって弾いてます。上とだいぶ印象が違うと思います。
また、本来フォルクレイは鍵盤2段重ねで弾くのですが、このクラブサンにはただでさえ音が重厚なので、重ねないで弾いてます。
[youtube http://www.youtube.com/watch?v=pbVuWrZxUIk?rel=0&w=420&h=315]

たまたま、iPodを置ける場所が顔がうつる場所だったのですが、こうして自分撮りしてみると、演奏しながらドヤ顔にならないでいるのってなかなか難しいのです。

別に自分がうまいと勘違いしているわけでも美しいと勘違いしているわけでもないのですが、古楽の曲を自分で演奏したものをアップロードする限りはすごい勢いで音楽著作権協会からコンタクトがきたりするリスクが避けられます(クラシック関係はどうも厳しいようです)。それでもyoutubeなどは自動ソフトを使っているようで18世紀の曲を自分で演奏しているのに2回ぐらい「あなたは人の権利をおかしている可能性が」と自動メッセージが来てしまっていちいち返答しなければならなかったりしますが…。

きちんとした演奏をききたい人は私のおすすめは、Michael Borgstede氏の演奏です。

大晦日となんにも関係なくてすみません。
みなさん良いお年越しを。