姉妹の距離感

第9期(2013年6月-7月)

先日、父と妹が東京まで遊びにきてくれた。
こちらの予定も聞かずに勝手に日取りを決めて、それを妹伝いに連絡してきた父に対し、
妹は「予定空けてもらってごめんね。でもおねえちゃんにひさしぶりに会えるの楽しみにしてる」と言ってくれた。

わたしと妹は年が5つ離れている。

わたしが18歳で上京する時、妹はまだ中学生で、
互いのいろんな出来事を相談したり、励まし合ったりするには10代の頃の5つの年の差というのはあまりに大きく、
たまにかける電話越しに成長してゆく妹を感じつつ、20代になった2人の心の距離は10代の頃よりも縮まっているように感じていたけれど、
大人になってからの時間を近くに過ごさないままに、数度の帰省の際にしか会ってこなかった。

仕事終わりに食事をして、次の日には浅草観光に行った。
そして浅草から2人が泊まっている渋谷のホテルに一端戻り、妹の部屋でふたり、舟和の芋ようかんを食べながらごろごろといろんな話をして、晩ご飯までの少しの間父をホテルに残して、ヒカリエを散策してみることにした。

よくよく考えるとこうやって姉妹で、遅くなった父の日のプレゼントを選んだり、お互いに似合いそうなアクセサリーをあてがってみたり、おいしそうなお菓子を眺めながら母へのお土産を吟味したり、そういうことをしたことが1度もなかった。

普段友達と行っているのとなんらかわりのないこの「お買い物」が、
妹と一緒だと、とても尊いものに感じられた。
もしわたしが東京で暮らすことを選ばずに地元にいたならば、あるいは妹も東京で暮らしていたならば、
こうした時間をもっと過ごせていただろうか。
もしそうだったならば、わたしはこの何気ない時間を、尊いものとして感じていただろうか。

今のままのペースでふたりが会うとすれば、わたしたちは死ぬまでにこうした時間をあと何回過ごせるんだろうか。

晩ご飯を食べて父と妹と別れ、帰りの電車の中で充足感となにかぐるんぐるんとした感情を混ぜ合わせながら、
家に帰ってからひとしきり泣いて落ち着いて、
でもベッドに潜り込んだら、やっぱりしばらく涙はとまらなかった。

わたしにはわたしの、
妹には妹の、
お互いがそれぞれのやり方で築き上げてきた生活がある。

彼女が辛かったとき、
彼女が悲しかったとき、
わたしはいつも、ただ電話越しに言葉をかけることしかできなくて、
家族として、姉として、側にいて励ましてあげることもできなかった。

わたしも弟も実家を離れてから、
妹が高校を卒業する直前に両親が離婚することになり、
そしてその年の春に妹は就職して、わたしたち5人家族は散り散りに暮らすようになった。
わたしは、両親は遅かれ早かれそうなるものだと思っていたので心を乱すこともなかったけれど、
兄妹のいなくなったあの家で、まだ大人になる手前の妹は、
最後の家族の分散の時を、どういう気持ちで過ごしていたんだろう。

わたしはただ想像することしかできない。

きっとわたしのせいで、我慢させてしまったことだってたくさんある。
わたしの妹に生まれてきたことを憎らしく思ったことはなかっただろうかと、考えてしまうこともある。

それなのに、姉としての姉らしい責務をなにも果たしてこなかったわたしに向かって、
妹はいつでも、剥き出しの信頼を浴びせてくれる。

妹は、
弱いけど強くて、
時にクールな現実主義者だけど、
わたしたち兄弟の中でいちばん、優しくて純粋な心を持っている。

人と他者とが繋がる時、それはなんらかの名前を持って呼ばれるようになり、繋がってゆくこともあれば、終わりを迎えることもある。

しかし、
わたしにとっての妹は、永遠に妹であり、
妹にとってのわたしもまた、永遠にお姉ちゃんであることは覆し様がない。

いままでいろいろといっぱいごめんね。

そして、いっぱいありがとう。

おねえちゃんは、ゆかがおねえちゃんの妹に生まれてきてくれて、ほんとうに嬉しく思っています。

今度は、おねえちゃんから会いに行くね。