実家についての概念

第9期(2013年6月-7月)

わたしが今暮らしている家は東京にある。

故郷は九州の大分県にある。

しかし「実家」と聞かれたときに、今のわたしは少し悩んでしまう。

4歳くらいまでは父方の祖父母の家に暮らしていた。
長男である父と結婚した母は、だんだんと祖父母、そしてとても気の強かった曾祖母との同居に耐えきれなくなって、わたしたち家族は隣町へと引っ越した。

そして、わたしが上京する数週間前にずっと5人で住んでいた家から引越しをした。
なのでわたしはその家での思い出がほとんどなく、さらに両親の離婚によってその家からも離れ、「父の家」と「母の家」ができてしまったので、厳密に「実家」というものがわからなくなってしまった。

しかし、そのことよりもわたしを混乱させているのは祖父母の家の存在だ。

家族5人で暮らす場所がわたしにとっては「家」だったのだけど、
祖父母の家に遊びに行く度に「おかえり」と、そして「ここが本当の家だからね」と言われ続け、
わたしはその度に混乱することになる。

祖父にとって父は長男であり、跡取りだった。
そして、わたしの弟も父の長男として生まれ、それを継ぐ者として扱われ、わたしや妹よりも可愛がられていた。

均等に愛されていないんだなぁと漠然と思いながら、「本当の家はここ」と言われるのはなにかの呪いの様に感じたし、祖父母の家に行く度に母の口からこぼされる愚痴は、わたしの祖父母の家に対する混乱に輪を掛けた。

そしてその混乱が輪郭をはっきりさせたのは、わたしが東京への進学を決めた時だった。
古い考えを持つ祖父は「女が勉強をして何になる」「東京に行くと言うなら死んだと思うからな」と言い、
祖母は「近所の◯◯さんとこの娘さんが東京へ行って3ヶ月で挫折して戻ってきたから、話を聞いてきなさい」と言って、
なんとか引き止めようとした。
彼等の望んでいたのは孫の幸せではなくて、「彼等の望んだ通りの幸せを歩む孫」だった。
そして、それを押し切ってくれたのは、父だった。

結局服飾の専門学校に進んだにも関わらず、わたしはアパレル関係の職種にはつかなかった。
これは彼等の言う通りの、そしてわたしも確信している「挫折」と言うものだろう。
ずっと洋服を作ることが好きだったのに、それを仕事にすることはできなかった。

わたしは卒業後に1年間フリーターをして、それから4年半、機械関係の会社で事務の派遣社員として勤めた。

3年前に帰省した際、祖父母に会いに行ったら、なぜかわたしは東京でデザイナーをやっていると思い込んでいて、わたしはそれに対してうやむやな返事をして、「もう行かなきゃ」と早々とその場を立ち去った。

もう大人なんだから、彼等の制止を振り払うことはできる。

なのに、やっぱり、わたしは彼等にとっては孫でまだ幼く、「挫折した」と認定され「戻ってきなさい」と言われることが怖かった。

彼等にとっては、わたしが今築きあげている生活やそれまでに感じた思いというのは、ないようなものなのだ。
わたしからも、なにかを伝えようとすることは諦めていた。

望んでいた業界では働かなかったけれど、わたしは今までやってきた仕事が無駄だとは思わないし、そこで得たものも含めて、今のわたしを形成している。

彼等の世界では、そういう個々の築きあげている生き方に耳を傾けることができない。
それはその家であったり、時代背景だったり、村社会だったりで、長年培われたひとつ宇宙だからだ。
「死んだと思う」と言われたあの時から、わたしはその大宇宙にロケットを打ち上げることも諦めた。

ほんとうは愛されていなかったわけではないことも、ちゃんとわかっている。
祖父母と過ごした記憶のなかで楽しかったことだってたくさんあった。
祖父はいたずらをして母によって蔵に閉じ込められたわたしと弟をそっと助けてくれたし、
祖母の作ったのりたまのおにぎりのお弁当を持って、裏の山に山菜採りに行ったりした。

いろんな思いが渦になってわたしの底の方に刻まれているからだろうか、
いまだに夢に出てくる場所は、5人家族で暮らした家ではなくて、祖父母の家が圧倒的に多い。

やっぱりわたしにとっての「実家」と言われると首を傾けてしまうけれど、
その場所はわたしにとって「原風景」であり、
この世に生まれてから数年を過ごした大切な場所であることは覆しようがないのだと思う。