週に1度の反芻

第9期(2013年6月-7月)

かれこれ5年近く、わたしは毎週靴教室に通っている。

もともとは友達が通っていて、いろんな作ったものを見せてもらったり話を聞いていたらすごく興味が湧いてきて、
紹介してもらい、わたしも彼女とは別の曜日のクラスに通うようになった。

「靴教室に通っています」というと、よく「靴職人を目指しているんですか?」と聞かれるけれど、そういうのではなくて、
そもそも「靴教室」というのに語弊があるかもしれない。

わたしの通っている教室は靴の他にも革小物や帽子など、そこで作れるものならなんでも作っていいよ、という場所で、
教室に誘ってくれた友達自体、わたしより長く通っているけど、靴は一足も作らずに小物の達人になっている。

きまったカリキュラムがあるわけではなくて、それぞれが好きなものを作っていて、それぞれのペースでいろんな物を形にしている場所。

靴を作る場合、だいたい12回から16回で完成するらしいのだけど、わたしは恐ろしく手を動かすのが遅くて、今作っているブーツは本当は去年の冬には履けていた予定だったのに、いまだに完成せず、今年の冬に履くことが目標になってしまった。
教えてくださっている先生(普段は先生とは呼ばないのだけど、ここでは一応…)は、わたしが手を動かすのが遅いのを「丁寧にやってるからだよ」と慰めてくれるのだけど、それでも5年も通っていて、靴以外の小物作りに浮気することもなくやってきたのにまだ3足目という脅威の遅さ。

もっといろんな物を作ってみたいし、早く靴だって完成させたいのだけど、
なによりもわたしはその場所に毎週「お茶をしに行っている」という感覚が強い。

コンコンと先生のアトリエの扉をノックして「こんにちはー」と顔なじみの皆に挨拶し、好きなところに座って作業をはじめる。

途中で先生がコーヒーとお手製のクッキーを出してくれて、お茶の時間になる。
誰かが口火を切ったところから話は広がって、とても真面目な議論になる時もあるし、ゲラゲラと笑い転げてばかりの時もある。
年齢もばらばらで、職業や生き方も違う人たちが一つのテーブルを囲んで、しゃべりする。
わたしはこのお茶の時間が特に好きで、気づきも発見もある。

毎週のこの場所でのこの時間がなければ、
ひょっとするとわたしは、例えば、将来に対する漠然とした不安に押しつぶされていたかもしれないなぁ、なんて思う。

社会の隅っこにいると、隅っこなりに、いろんな物事に適齢期のようなものや、決まった道しるべのようなものが存在しているように感じてしまう(もちろん物理的に存在するものもあるとは思うけれど)。

そうなってくると、だんだんわたしの視界は角度を狭めて、やがて歩く道もなくなってしまうような気がするけれど、
統計で計られたとしても、やっぱり、それぞれは、それぞれでみんな違う。
違うことは時に怖い。
だけど、違うんだから狭める必要なんてないんだな。
そんなことを、毎週反芻する。

それぞれが手を動かし、試行錯誤しながら、時に共有しながら、物作りをする。
それは、機械的に作られたものではなくて、その人にしか作れない、その人らしさを表している。

今作っているブーツが、冬になって履けるようになった頃、
わたしはなにをしているだろう。

想像できるのは、
またなにか新しい物作りをはじめて、また毎週反芻しているだろうということだ。